「何もしてない」と泣いた私に、おばあちゃんがくれた言葉
「何もしてない」って、よく言ってしまうけれど。
本当は、「してること」が見えなくなってるだけなのかもしれません。
こんばんは。
りんごあめです。
限界ワーママの私は、今日ももちろん限界です。
両親と義母はすでに他界しており(この話はいつか改めて書きたいと思っています)、今は遠方に暮らすおばあちゃんが、90歳ながら元気に過ごしてくれています。
本当にありがたい存在です。
おばあちゃんには年に1〜2回しか会えませんが、私は大の“おばあちゃん子”。
そのため、毎朝と夕方、保育園の送迎の合間に10分ほど電話をしています。
「おはよう」から始まり、「いま送迎中だよ」「朝ごはん食べた?」といった他愛のない会話ばかりですが、私にとっては心が癒される大切な時間です。
ふだんは、おばあちゃんに心配をかけたくなくて、なるべく愚痴は言わないようにしています。
今日もいつもと同じように電話をかけました。
電話の向こうで「もしもし?りんごあめ?」と声が聞こえたとたん、何かが切れたように、ぽろぽろと涙がこぼれてきました。
何とか取り繕って「……もしも、し」と返しました。
が、気づけば、言葉にならないまま、弱音が口をついて出ていました。
「もう私、無理だわ。
何にもできてないのに毎日しんどくて、
家事もしたいのに体は動かないし、
スケジュールも管理できてるのかわからない。
今日も何もできないまま終わりそう。
こんなダメな母親、いない方がいいかもしれん。
子どもに申し訳なくて、情けなくて、しんどい……」
電話の向こうで静かに話を聞いていたおばあちゃんが、そっと言いました。
「アンタは、子どもを4人も生かしとる。
それだけで十分すぎるよ。」
私は、さらに泣いてしまいました。
「子どもを生かすだけなら誰でもできるよ。
私はそれしかできてないのに……」と。
すると、おばあちゃんは、こう続けてくれました。
「それが一番むずかしいことだよ。
大丈夫。今のアンタに、自信持ちなさい。
みんなアンタのこと、すごいと思っとる。
少なくとも、おばあちゃんは、尊敬しとるよ。」
保育園のお迎え前、いっぱいいっぱいだった私の心が、ふっと軽くなった瞬間でした。
おばあちゃんの言葉は本当にあたたかく、話せてよかったと心から思いました。
その後、涙を拭いて、いつもの笑顔で子どもたちを迎えに行けました。
「いっぱいいっぱいなときこそ、
誰かに話すことで、心に少し余白ができるのかもしれない。」
そんなことを感じた一日でした。
「子どもを生かしてる」なんて言葉、
ふだんならサラッと聞き流してたかもしれない。
でも今日は、それが心にじんわり染みました。
今日も、なんとかやれてるかな。
わからないけど、それで、いいんだよね。
