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安心基地 ― AIに相談するということ


現在、世界中でAIが話題になっている。

実際に使い始めると、その便利さにどんどん引き込まれていく人も多いのではないだろうか。

私自身も、思考の整理や仕事で使う英文の確認、選択肢の比較、自分の考えの言語化、情報収集など、さまざまなことにAIを使っている。

とても便利だし、時間の節約にもなっている。

AIを使えば、自分で一から学び、調べ、実行するよりも、はるかに短い時間で多くのことができる。

私の仕事は、直接コンピューターを扱うような仕事ではない。内容としては、人と関わりながら手作業で進めることの多い仕事である。

それでも、AIを使うことで仕事にかかる時間はかなり短縮されている。

そう考えると、日常的にパソコンを使って働く人たちにとっては、本当に便利なツールなのだと思う。SNSでも、その有益性についてさまざまな場所で語られている。


その一方で、AIに対する懸念の声もある。

AIから与えられた情報をそのまま信じて実行し、その結果について深く考えずに行動してしまうことも、問題の一つなのではないかと思う。

薬局で働く友人から、興味深い話を聞いた。

あるお客さんが、自分の症状に必要な薬は保険でカバーされるはずだと言ってきたそうだ。

友人が調べたところ、その人の保険では対象外だったため、そのことを伝えた。すると、そのお客さんは、

「ChatGPTでちゃんと調べてきた。カバーされると言われた」

と納得せず、文句を言い続けたらしい。

実際にその回答を見せてもらうと、そこには「Most of the cases」と書かれていた。

つまり、「多くの場合はカバーされる可能性がある」という意味であり、その人が加入している保険には当てはまらなかった、というだけの話である。

けれども、その人にとっては「ChatGPTがそう言った」ということが、目の前にある事実よりも強い根拠になっていた。


また、別のシニアのお客さんは、ある薬を探していた。

友人がその薬のある売り場まで案内すると、お礼を言ってくれたそうだ。

その後、その人はスマートフォンに向かって、

「あなたが言った通り、薬局にその薬があった。どうもありがとう」

というようなことを長々と話していたらしい。なぜAI相手だとわかったかというと音声での会話をしていたからである。

そのやり取り自体に問題があるわけではない。

AIに対して、まるで人に接するように話しかけることも、必ずしも悪いことではないだろう。

ただ、どうして人はそこまでAIとのやり取りに引き込まれていくのだろうと考えた。

まず、AIはすぐに対応してくれる。

待たされることもなく、24時間365日、こちらが話しかければ返事をしてくれる。

そして基本的には強く否定されない。

もちろん内容にもよるのだろうが、自分の意見を真正面から否定され、会話そのものを拒絶されることは少ない。

さらに、自分にとって役に立ちそうな情報を提示してくれる。

もちろん、AIが事実ではない情報を答える「ハルシネーション」と呼ばれる現象もある。

それでも、「分からない」「何の情報も得られない」という状態で終わることは少ない。

人間を相手にするよりも、ストレスを感じず、スムーズにやり取りできることが多いのかもしれない。

実際、私も自分の苦手な機械やIT関係のことを知りたい時、もし専門家にサポートを頼むとなると、

「こんな細かいことを聞いてもいいのだろうか」

「同じことを何度も聞くのは申し訳ない」

と考えてしまう。

そして結局、分からないまま諦めたり、聞くこと自体をやめてしまったりすることがある。

けれどもAIになら、「こんなことは知っていて当然だろう」と思われそうなことでも聞ける。

以前に聞いたことを忘れて、もう一度同じ質問をしても恥ずかしいとは思わない。

そういう意味でも、私はAIにとても助けられている。

そして、こうした使いやすさの理由を考えると、AIの魅力は知識量そのものよりも「安心感」にあるのかもしれないと思う。

安心して質問できる。

安心して相談できる。

安心して分からないと言える。

何度同じことを聞いても嫌な顔をされない。

それは多くの人にとって、とても大きな価値なのだろう。


保育士として私は、子どもたちにそんな安心感を持ってほしいと思っている。

分からなくても大丈夫。

間違えても大丈夫。

失敗しても大丈夫。

そう思えるからこそ、子どもたちは新しいことに挑戦できる。

そして失敗したとしても、それで終わりではなく、もう一度やってみようと思える。

子どもにとって、安心できる大人の存在や環境は挑戦するための土台になる。


そう考えると、私たち大人がAIに惹かれる理由の一つも、実は同じなのかもしれない。

分からないことを聞いてもいい。

同じことを何度聞いてもいい。

初歩的なことを質問してもいい。

AIは知識を与えてくれる存在であると同時に、大人が安心して「分からない」と言える場所として機能しているようにも見える。


AIが人気になる理由は、人間が怠けたいからではなく、むしろ現代の大人が安心して弱さを見せられる場所が減っているからなのかもしれない。


ただ、その一方で少し気になることもある。

AIが便利になればなるほど、人は人に頼らなくなっていくのではないだろうか。

誰かに相談する。

自分とは違う意見を聞く。

誤解される。

説明し直す。

時には意見がぶつかり、折り合いをつける。

そうしたやり取りは、正直なところ面倒なことも多い。

けれども、人が成長するのは案外そうした面倒な過程の中なのではないかと思う。

自分とは違う価値観に出会い、時には傷つき、時には考え直しながら、人との関わり方を学んでいく。

もしAIがその面倒さを取り除いてくれる存在になった時、私たちは何を得て、何を失うのだろうか。


そう考えた時、気になるのは、これからの子どもたちのことである。

私たち大人は、これまでに得てきた一定の知識や経験をもとに、与えられた情報について考えたり、疑ったりすることができる。

しかし、子どもたちは、そうした知識や経験をまだ育てている途中にいる。

AIから与えられた情報が正しいのか、自分の状況に当てはまるのかを、どのように判断していくのだろう。

AIは、インターネットを通じて世界中の情報を集めることができる。

人間が一つひとつ調べ、集め、整理するよりも、はるかに早く情報をまとめてくれる。

けれども、それが本当に事実なのか。

自分が置かれている状況に合った内容なのか。

その情報を疑い、確かめ、精査する力を、子どもたちはどのように身につけていけばよいのだろうか。


家族や友人には相談しにくいことでも、AIになら相談できる。

なぜなら、AIには人間のような感情がなく、与えられた情報をもとに比較的論理的な答えを返してくれるからだろう。

けれども、相談する人が置かれている事情や、その人の感情を、AIはどこまで考慮できるのだろうか。


もちろん、人間同士の関係でも、こちらの事情や感情を考えてくれない人はいる。

けれども、そのような相手には次第に相談しなくなる。

人はいつも「正論」を聞きたいわけではない。

正しい答えを知りたいのではなく、ただ話を聞いてほしい時もある。

励ましてほしい時もあれば、自分では言葉にできない気持ちを、誰かに分かってほしい時もある。

AIは今後、そうした人間の感情や、言葉の裏側にある思いについても、さらに学習していくのだろうか。

そして、もしAIが人間の気持ちをくみ取り、より心地よい言葉を返せるようになった時、生まれた時からAIが存在する今の子どもたちは、人とのつながりをどのように捉えていくのだろう。


価値観は一つではない。

そして、人の価値観は時代とともに変化していくものでもある。

それでも私は、人とのつながりが少しずつ希薄になってしまうのではないかという不安を感じる。

嫌なことを言わない。

いつでもすぐに答えてくれる。

何度同じことを聞いても面倒くさがらない。

それなら、人間よりもAIの方がいい。

そんなふうに考える人が増えていくことはないのだろうか。

一方で、私がこうした不安を感じるのは、AIが存在しなかった時代や、誰かに聞かなければ答えが得られなかった時代を知っているからなのかもしれない。

AIが身近にあることを当たり前として育つ子どもたちは、私たちとはまったく違う形で、AIと人間との関係を築いていくのだろう。

AIに相談すること自体が悪いわけではない。

私自身も、多くの場面で助けられている。

大切なのは、AIを使うか使わないかではなく、どこまでをAIに任せ、どこからを自分で考えるのかということなのだと思う。

AIは、考えるための材料を与えてくれる。

選択肢を整理し、自分では気づかなかった視点を見せてくれる。

けれども、その選択の結果を生きるのはAIではない。

最後に決め、行動し、その結果を引き受けるのは、自分自身である。

だからこそ、AIがさらに身近になっていくこれからの時代には、知識そのもの以上に、与えられた情報を疑い、自分で考え、そして誰かと話し合う力が必要になるのかもしれない。

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