正義を貫く覚悟はあるか 最終回
11
「はあ?」
思わず声が出たのは、私だ。小林さんは、きょどきょどと鮗さんと月見里さんを見比べて、扇さんは両手で口元をおさえ、刑事は鋭い目で月見里さんを見ていた。
「突拍子もないこと、仰るんですね。セクハラで訴えますよ」
月見里さんは強い口調で言ったが、動揺しているように見えた。
「鮗さん、言い切れる……ん……ですか?」
私は不安になって聞いた。
「言い切れる。食事をしていた部屋を警察がこれだけ探しても見つからないということは、犯人がまだ容器を持っていることになる。犯人が持っているのにボディチェックで見つからなかったのは、体内に隠しているからだ。飲み込むことなら誰にでもできるが、取り出せないうえに、万が一ニコチンが漏れたときに自分の体にも症状が出る可能性がある。従って、隠されているのは犯人の膣か、肛門のどちらかだ。取り出すことを考えたら膣のほうだろう」
鮗さんは、珍しく自信のありそうな声で断言した。
「そんなこと言ったって、だいたい、どうやって膣の中になんか隠すんですか。それこそ、不審じゃないですか」
月見里さんがじっと私の後ろにいる鮗さんを見て言う。
「2.5mlのシリンジは10㎝くらいの長さです。人間の膣も10㎝くらいだそうです。さっき調べました。十分、入ります。でも、異物感があるのでしょうか。月見里さんは、乾杯のあとから今まで一度も座っていない」
鮗さんの言葉に、月見里さんはぎゅっと手を握った。
「体内に隠しているというなら、可能性は私だけじゃないですよね。扇さんだって、鈴木さんだって隠せますし、小林さんだって鮗さんだって、お尻の穴に入れようと思えば入れられます」
月見里さんは、絞り出すような声で反論する。
「はい。仰る通りです。直腸も10㎝程度の長さがあります。僕も小林さんも、入れようと思えば入るかもしれません。しかし、さきほど小林さんはけっこう勢いよくそこのソファに座りましたよね。肛門の中に硬くて細長い異物を入れたままあの行動をとるのは、そうとうな勇気がいります。下手したら、直腸を突き抜けてしまうかもしれない。僕はホームパーティに来てから烏鷹さんが倒れるまで、ソファから立ち上がっていません。ソファに座ったまま肛門にシリンジを隠すことはできません。それに、月見里さんは気付いていないのかもしれませんが、今日ここにいる人間は、あなた以外、全員ズボンを履いています。もう一人くらいスカートの人間がいれば容疑者は増えたのですが、残念ですね。くわえて、扇さんはボディスーツ型の矯正下着だそうです。きつく体を締め付けることを目的とした下着を着たまま、体内に異物を隠すのは無理です。小林さんにしても、鈴子にしても、ズボンを脱いで、こっそり膣や肛門に10㎝のシリンジを挿しこんで、バレないのは難しいです」
「スカートだって難しいでしょ」
「難しいと思います。しかし、あなたは『お酒をこぼした』といってキッチンにしゃがんでいたと聞きました。膣に挿しこんだのは、そのときでしょう。シリンジそのままでは、ニコチンが経皮的に吸収されてしまう可能性がありますから、おそらくは、膣内に入れて一番安全で丈夫なもの、コンドームに入れて隠したのでしょう。前もって潤滑剤のようなものを塗っておけば、入れやすかったでしょうし、サニタリーショーツにおりものシートをつけておけば、ボディチェックのときに下着が少し濡れていたところで、変には思われない」
月見里さんは、下唇を噛んでいた。それは、無言の抵抗なのか、降参なのか、私にはわからなかった。
「だから、自首してくださいと言ったじゃないですか」
鮗さんが、つらそうな声を出す。そもそも人前でこんなことを指摘できる人じゃない。月見里さんの羞恥心を想像すると、自分事のようにつらいのだろう。
「この男の言っていることは本当ですか?」
刑事が、月見里さんをじっと見た。
「リビングからも持ち物からも毒を入れた容器が出ていないことは事実です。それに吐いたものを調べた結果、カプセルなどで飲みこんでから時間差で消化して毒が作用した可能性は、否定されています。みなさんがホームパーティに集まってから飲まされたことが事実なんです。容器さえ見つかれば」
刑事の言葉に、月見里さんは迷っているように見えた。崩れてしまいそうだった。ここまで頑張って耐えてきたのに、どうする。どう答える。その逡巡の中にいるように見えた。
「あなたと婦人科に行くことは、できれば避けたいですね」
刑事の、強面に似合わない突然の柔らかい口調に、月見里さんは「ああ……」と小さく声を出して両手で顔を覆った。私は、足が震えた。認めたのか。月見里さんが、犯罪を認めたということなのか。月見里さんが、烏鷹さんを殺害したのか。
「婦警と洗面所に行って、ご自分で出してください」
刑事の言葉に、月見里さんは「ここでいいです」と言った。そして、スカートの下から手を入れて、何かを取り出した。刑事は、手袋をした手で、それを受け取った。月見里さんの体内から取り出されたのは、鮗さんが言っていた通り、コンドームに入ったシリンジに見えた。表面は少し濡れて、電気を反射していた。小林さんと扇さんは、それを黙って見ていた。
「鮗さんの言った通りです。私が、シリンジに入れてニコチンを持ち込んで、社長を殺しました」
月見里さんが、自供した。
「ニコチンはどこで手にいれたんです?」
刑事が聞く。
「個人輸入している人とネットで知り合って、譲ってもらいました」
そうか。個人輸入のログからは辿れなかったということか。
「でも、どうして……」
思わず、といった風に口に出したのは、扇さんだった。
「社長とは別れたし、もう次の恋人もいるって言っていたじゃないですか! まさか、それは嘘で、実は未練があったとか、捨てられて恨んでいたとか、そういうことですか?」
月見里さんは、ふーっと息を吐いた。
「逆なんです」
「逆?」
「社長が、私に未練があったんです。新しい恋人を作ったことを、とても怒っていらした」
「そんな……」
「だからって殺すことなかったんじゃ……」
小林さんが、まだ信じられないといった風に言う。
「私の新しい恋人に、危害が及ぶところまで来ていました。あの人は、社長は、自分を慕ってくれる人は好きだけれど、逆に自分から離れる人は嫌います。そういう人です。私の新しい恋人は、邪魔でしかなかったんです」
室内が静かになった。刑事が、ドア前にいる警察官に何か言う。警察官は部屋を出ていった。ほかの刑事を連れてくるのかもしれない。
「月見里さんは、一緒に警察署に来てください。ほかのみなさんは、ご帰宅していただいて結構です。また何かありましたら、ご連絡さしあげるかもしれません」
刑事の言葉で、私は事件が終わったことを知った。月見里さんが犯人で、これで終わりなんだ。月見里さんは逮捕される。殺人をしたから。そのことが、実感として全然理解できなかった。月見里さんはもうあきらめたのか、何の抵抗もせず、刑事と一緒に部屋を出ていった。私は、その場に座り込んだ。振り向くと、鮗さんもひどく疲れた様子で座り込んでいた。
「鮗さん、お疲れ様でした。見事でした」
私の言葉に鮗さんは、ただ黙ってうなずいた。
扇さんと小林さんと一緒に部屋を出た。鮗さんは、ぐったりとしてうまく歩けなかったから、見かねた小林さんが肩を貸してくれた。
「すみません、鮗が」
「いいえ、人前で話すことが苦手な方なんですよね。それなのに、あんな推理を披露するなんて、疲れて当然です」
そういってくれた小林さんも、疲れているように見えた。扇さんは黙っている。殺人事件が起こって、その被害者も犯人も自分の身近な人間だったということは、誰にでもショックを与えるものなのだろう。私だって、まだ衝撃の中にいる。
鮗さんがこんな状態じゃ一人で帰れないだろうと思って、私は鮗さんの奥さんに電話していた。マンションを出ると、紺色のセダンが停まっている。鮗さんの奥さん、真由美さんの車だ。運転席からこちらを見た真由美さんは鮗さんの状況を察したのか、運転席から降りて駆け寄ってきた。
「鮗の妻です。このたびは、主人がお世話になりました」
真由美さんは小林さんと扇さんに深く頭をさげた。
「いえ、お世話になったのは私たちのほうです。鮗さんが事件を解決してくれました」
小林さんが真由美さんに頭をさげて、鮗さんに貸していた肩を真由美さんに譲った。扇さんは、静かに頭をさげた。
「じゃあ、ここで失礼します」
私も小林さんと扇さんに頭をさげて、真由美さんと一緒に鮗さんを支えながら車へと歩く。小林さんと扇さんは、これからどうするのだろう。社長は死んでしまって、同僚の月見里さんは逮捕されてしまった。うちへの投資ももう無理かもしれない、と思った。
真由美さんと一緒になんとか鮗さんを車の助手席へ乗せる。鮗さんは、ぐったりしていて、さきほどまで推理を披露していたとは思えない。私は、送ってくれるという真由美さんのお言葉に甘え、後部座席へ乗る。なんとなくは電話で話していたが、詳しい話を真由美さんに聞かせた。
「鮗さんは、普段あんなにコミュニケーションが苦手で超人見知りなのに、どうして今日はあんなに堂々と……といっても私の背中に隠れながらでしたが、推理を披露できたのかわかりません。別人みたいでした」
私の言葉に、真由美さんは少し笑ってから「そうよね」と言った。
「この人の家系は、代々男性がひどい人見知りで、コミュニケーションが苦手なのよ。お父さんもおじいさんも、真雄流さんみたいな人だったみたい」
「そうなんですか! 完全に、遺伝なんですね」
「そうそう。遺伝。そんな性格のお父さんなんだけど、おじいさんから言われていた家訓みたいなものがあったらしくて」
「家訓ですか?」
「家訓、というか、一家の主としての心得みたいなもの。今と違って、男の人がその家の大黒柱だ、っていう時代だったじゃない? でも、男の人にだってコミュニケーションが苦手な人はいるでしょう。今も昔も変わらず。だから、そういう意味では、真雄流さんのほうが生きやすいかもしれないわね。昔は、男だろ、しっかりしろ、なんて言われるのが当たり前だったからね」
たしかに、そうかもしれない。今でも、男だろ、しっかりしろ、という世間の呪縛は完全にはなくなってはいないだろう。
「でも、真雄流さんの家系の人たちは、男だろ、とは言わなかったのよ。人見知りでもいい。コミュニケーションが苦手でもいい。それも個性だと」
「はい」
「でも、【どうしても自分の正義を貫きたいときだけは、どんなにつらくても、自分の意見をしっかり言って、正義を、信念を貫きなさい】っていうのが、鮗家の男たちに受け継がれる心得なの」
「正義を貫きたいときだけ……」
「そう。見逃せない、見過ごせない、と思うことがあったら、どんなにコミュニケーションが苦手でも、ちゃんと意見を言うこと。不正をただすこと。人見知りを理由に、そこから逃げてはいけない。それが鮗家の心得」
「そうだったんですね」
「それで、その心得に従って生きたお父さんは、電車で痴漢被害にあっていた女性を助けたことがあったの。普段は、知らない人に声をかけるなんて絶対にできない人なんだけど、その日だけは見逃せないっていう自分の正義を貫いて、痴漢を捕まえて駅員さんに突き出したらしいのよ」
「ええ、すごいですね」
「そう。その被害にあっていた女性が、お母さん」
「ええ! なれそめってことですか?」
「そうなのよ。お父さんが正義を貫いて頑張った結果、お母さんと出会えたのよ」
「やっぱり、いざというときの行動力は大事ですね」
今日の鮗さんは、犯罪を見過ごせないという正義を貫いたのだ。
「今日の鮗さんが、必死に頑張って推理を披露した気持ちが、やっとわかりました。犯人が分かってしまった以上見過ごせない、と自分の正義を貫いたんですね」
「その結果、ボロ雑巾みたいになってるわ」
真由美さんは、助手席ですっかり眠っている鮗さんを見て少し笑った。
窓の外は暗く、陰鬱な空が広がっている。犯罪はなくならないかもしれないけれど、今後もし何かで私も自分の正義を貫く場面に遭遇したら、今日の鮗さんみたいに頑張ろうと思った。その結果ボロ雑巾になったとしても、見逃せないことがあったら、頑張ろう。
「結局、ほとんど食べてないんでしょう? 食欲があるなら、お茶漬けでも食べていく?」
真由美さんが声をかけてくる。殺人事件に直面して緊張していた精神が、ようやくほんの少し緩み始め、お腹がすいた気がした。
「ありがたく、いただきます」
ふーっと息を吐いて、私は車の揺れに身をゆだねた。
おわり
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