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小説:老人ホーム デスゲーム5


 トメさんの足跡を辿って走る。血のニオイというのは本当に不快だ。ほかのニオイを消してしまう強い鉄錆のような生臭いニオイ。ここの老人ホームでは、利用者さんから血のニオイを嗅ぐことはほとんどない。血が出るほどの怪我をしたら病院に転院だし、擦過傷くらいの出血ならこんなには匂わない。前に病院に勤務したときは、毎日のように血のニオイがしていた。病院は老人ホームよりも死の気配が強い。科によるけれど、おめでたい気配がするのは産婦人科くらいだろう。僕は産婦人科に勤めたことはないけれど、同じ子供を診る科でも、小児科は切実な気配が立ち込めている。僕が勤務していたときは、子供たちの無邪気な笑顔が見られるときもあった。でも、ベッドから出られないまま短い生涯を終える子供もいる。僕はそういうとき、自分にいったい何ができたのだろう、と無力感を覚えるのだ。
「タロウ、急ごう!」
 ハルトの声にハっと我に返る。昔のことなんて思い出している暇はない。今は、とにかく早くトメさんを保護しなくては。
 一人目の利用者さんの部屋をのぞく。ベッドから動くことのできない人で、呼吸器を使用していた。だからデイルームには出て来られなかったのだけれど、今はその呼吸器だけがシュコーシュコーと虚しい音をたてている。利用者さんは、気管切開されて呼吸器のつながれた喉を、激しく切り裂かれていた。壁にも布団にも、真っ赤な血が飛び散っている。
「くっ、遅かった」
 ハルトが悔しそうに吐き出す。次々に部屋を見てまわるが、寝たきりの利用者さんたちは全滅だった。みんな刺し殺されていた。最後の部屋を見終わって廊下に出る。おかしい。トメさんがいない。もうデイルームに戻ったのか? いや、誰ともすれ違っていない。
「トメさんはどこに行ったんだ」
 僕とハルトはデイルームのほうを見る。ハルトが珍しくうろたえている。混乱しているのだろう。当たり前だ。デイルームのほうへ行く廊下以外、行ける場所はない。それなのに、トメさんはいなくなってしまった。どこかへ隠れているのか? それに、ハルトが混乱している理由は、こんな意味不明なデスゲームに突然巻き込まれたことにもあるだろう。老人ホームで働いていて、こんなことに巻き込まれるなんて普通は思わない。僕だって、受け入れられていない。
 僕はこんなに大量の人間の死体を見たのは初めてだったから、感情が麻痺していた。生き物はいつか必ず死ぬ。ハルトもいつかは死ぬし、僕も死ぬ。でも、それが「今か」と聞かれたら、やっぱり実感はない。長期に療養している利用者さんたちも、いつかお別れのときがくるのはわかっているけれど、やっぱりそれは「今」ではなかったのだ。だから、血まみれの利用者さんたちを何人見ても、映画か何かを見ているかのような、非現実感があった。恐怖はまだない。やっぱり、感情が麻痺している。
 そのとき、微かに小さな泣き声を聞いた。何だろう。誰の泣き声だろう。僕は、泣き声に耳を傾けた。か弱い小さな声のほうへ近づく。最後に見た部屋だ。
「どうした、タロウ」
 僕はハルトを連れて最後に見た部屋へ戻る。どこだ。どこから聞こえる。
 ベッドの下をのぞくと、そこにはダブダブの服に包まれた赤ん坊がいた。か細い声で泣いている。ハルトが僕につられてベッドの下をのぞく。
「赤ん坊だ! どうして……」
 僕がベッドの下から赤ん坊を引きずり出すと、ハルトが抱きあげた。そして、僕と目を合わせる。赤ん坊が包まれていた衣服は、血液でひどく汚れていた。
「もしかして、トメさんか」
 僕も同じことを思っていた。利用者さんを全滅させるほどに殺し続けたトメさんは、みんなの残りの寿命を奪いすぎて、赤ん坊になってしまったのだ。
「長期療養の利用者さんは、何十年もこのまま生き続けることがあるからね」
 ハルトがぼそりという。何人も殺したそのせいで、トメさんはこんな非力で小さな赤ん坊になってしまった。
「とりあえず、詰所に戻ろう」
 ハルトは赤ん坊になったトメさんを抱えて走った。僕もハルトを追いかけた。
 

6へ続く

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秋谷りんこ(あきや・りんこ) おもしろいと思っていただけましたら、サポートしていただけると、ますますやる気が出ます!