Music Synopsis資料庫(当サイトの扱いについて)
現在、私は「はてなブログ」にて「Music Synopsis」という音楽ブログを運営しております。かれこれ200記事以上ある中で、とりわけかなりの長文が多いサイトとなっております。近年は同人批評の寄稿文章なども行なっており、3サークル以上の主宰様に原稿を書くという作業を行なっていて余計に感じる点が、「過剰」に書きすぎるという点です。
もちろん「ブログ」の場合は個人運営であり、正直どんだけ長くても、それは書き手の自己満足で気持ちとしては完遂可能ですし、それを読むか読まないかは読者に依拠されるという形式と「ネットブログ」という玉石混交の場所であればその判断はユーザーが行うものであり、つまりは「長すぎて読むのやめた」というのも手段としては有効であったりします。つまり読みたいところだけ読んであとは野となれ山となれといったスタンスが可能ということ。自分にとっての文章を整える本質というのは「ここ」にあると思っており、つまりは「長すぎる」文章を「本当に必要な点」だけ抽出すれば字数も収められるので、必要分だけ読んで記事として「成立」という形になります。
だからこそ、今後はその「過剰さ」を削いで結果的に生まれる文章はこれまで通り「はてなブログ」という母艦にアップロードする形そのものは変えずに、その記事で必要だけど「軸足」がブレるからこそ「削いだ」点をはじめ
・「こういう資料を読んでいる時に」
・この本は本論と関係ないけどアイデアとして面白い
・こういうネットニュースの語彙がいいと思ってその類語を転用した、あるいはアナロジーとして考えた
といった枝葉すぎて誰も求めてない、「が」記事としては基盤の大元を担っている。こう言った点をnoteに「資料編」としてまとめるというスタンスをとって行きたいと思います。完成された文章、というよりも「点」と「点」の集合体と「いらないから削ったけどここの部分にはこういう文章があった」という形もの、或いはサブテキストとして利用可能な書籍群などの紹介をメインに行なって行きます。
そして、運営スタンスとして、資料編は前提として有料というスタンスを取ります。「完成品」が無料であり、その「成り立ち」という散文以上、「論考的文体」未満といった「そもそも」という段階のものは無料で公開しても、それこそ組み立てないプラモデルの箱を積むようなものであり、これは組み立れれば「プラモデル」になるけどそうじゃないと「ただの場所をとる」未完成品のおもちゃでしかない。ただそれは無料ではなくメーカーが作ったものを購入しているという狭間にあるといえば伝わるでしょうか?自分の思索にそれほどの価値があるかどうかというのはあくまでも購入手側の判断に依拠するという意味では規模範囲は違えど、通底するものはあるかと思います。
こうしたモデルケースはいわゆるクリス・アンダーソンの『フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略 』(2009年)が発案という形で現在のネットモデルケースとして「freemium(フリーミアム)」という形で数々の分散情報のあり方として色々な方が実践している形です。
いわゆるフリーミアムの王道は「無料で価値を体験させ、追加価値や深度を有料にする」構造で、その意味ではそのままの実践です。
クリス・アンダーソン的フリーミアムの定義や実践例でも、無料側は「完成品としての体験」、有料側は「追加の便益・深掘り・別レイヤーの価値」という切り分けが基本線にある。その意味ではここで連ねていることは一種の「常識」ではあります。ただスタイルとしては
そこからさらに一歩進めて「作品としての結論=無料」「研究ノートとしての外縁=有料」に純化させた「型」で運営ということです。
主流派の本文分割「型」が多いと思うのです。だからこそ、そこに乗るよりかは自分のモデル的に、ちょっと捻ったということです。
自分自身、過去の体験として「面白い本編」が途中で「有料ゾーン」になるという体験をしてきたものですから、そういうことを発信側でするのは同じ轍を踏むと同義であり、だからこそ「全部載せ」みたいなスタンスを「Music Synopsis」で実践してきて中には9万字みたいな「嘘だろ」みたいな記事も生まれたりしる実情を踏まえると、先述のような運用の仕方であれば「それは、アリだ。」ということです。
全ては自分の問題意識(盛りすぎると論旨がブレる/でも資料価値は残したい/労力とコストは回収したい)というが主因という意味では、構造的に「不毛」地帯としては着地点としてはおそらく最良の解決策として「完成品の読みやすさ」と「研究過程の厚み」を別商品にするというのは合理的であると判断した。と言えばそれで済む話ですが。
様々な思考の迂遠を経ましたが、結局のところ、本編無料完結+資料有料の二層モデルが「批評の完成度」と「研究の厚み」と「労力回収」を同時に成立させるという意味で、「我流」としてはベストに近い。と判断したので、こういった基調文章に至ります。
そのため、過去のテキスト含め、しっかりと「物」として成立する前提で今後本noteを運営して行きたいと思いますので、興味のある方はぜひ検討をしていただければ幸いです。
第一弾として、はてな側で「Ave Mujica論」とそのサブテキストの組み合わせを公開しました。
興味のある人はぜひ、宜しくお願いします。
