一風堂と土屋昌己の7インチコレクション(8枚)
もっとリアルに

A面「もっとリアルに」
B面「DIS-COMMUNICATION」
作詞作曲編曲:土屋昌己
78年のYMOのデビューやクラフトワーク『人間解体』リリースなど経て、翌79年はドドドッとそれ系のバンドがデビュー、テクノ御三家といわれたP-MODEL、ヒカシュー、プラスチックスに加えて、それに入れてもらえなかった一風堂、俺たちを軽薄と呼んでもかまわない!とごねましたが、数年後「すみれSeptember Love」の大ヒットで見返します
初期の一風堂は「すみれ」時代と違ってパンキッシュ、バンド名も英語やカタカナじゃなくて男気あふれる漢字三文字!(元は渋谷のディスカウントショップ、そして後に有名ラーメン店名になる)
ジャケからするに衣装はDEVOを意識しているんでしょうか、そしてB面「Dis-Communication」はクラフトワークにインスパイアされてチャレンジしたナンバー
ブレイクアウトジェネレーション

A面「ブレイクアウトジェネレーション(狂育世代)」
B面「チャイニーズレゲエ」
作詞作曲編曲:土屋昌己
それにしてもハッシュタグ #一風堂 だとひたすらラーメン、海外展開もしてるので #IPPUDO でもラーメン、このバンドのが出てくるまで見るのを諦めてしまう、因みにラーメンの一風堂はこのバンドのファンだったから店名にしたようです
セカンドシングルは3月発売のファーストアルバム『NORMAL』の先行シングルともいえる(AB面共アルバムに収録)
一風堂といえば「すみれ」になってしまうのだろうが、ニューロマ化以前のファースト『NORMAL』のとっちらかってる一風堂もまた魅力的、ロックンロール/パンク/テクノ/ニューウェーブ/プログレ/レゲエが綯い交ぜになっている、その手探り状態であるがゆえにノンミュージシャンのテクノポップバンドとは違って70年代からギタリスト/バンド活動をしてきた土屋昌巳のノウハウが惜しげも無く投入されており、ちっともノーマルじゃないのが最高だ
ミステリアスナイト

A面「ミステリアスナイト」
作詞作曲編曲:土屋昌己
B面「HEIDELBURG SYMPHONY」
作曲編曲:土屋昌己
ファーストから半年後のセカンドアルバム『REAL』と同時発売
スネークマンショーでも「ファーストアルバムはベルリンで!」とのフレーズもありましたが、ベルリンのハンザスタジオ録音は加藤和彦『うたかたのオペラ』と同時期(ニアミス、どっちが先?)
A面「ミステリアスナイト」はレゲエ調、各々アプローチは違えど『うたかたのオペラ』『音楽殺人』『B-2 UNIT』しかり、スカ/レゲエ/ダブがトレンド、79〜80〜81年辺りのどんどん様変わりしていくニューウェイヴ、1980年は世間的にテクノポップで括られたかもしれないけれど、内実そう簡単な話でもなかった
B面「Heidelburg Symphony」のハイデルベルクとはベルリンから650キロほど離れた場所にある街で、何故この場所がタイトルになったのかは不明、インストでこれはテクノ? はたまたメロをギターで弾きまくる感じはベンチャーズ?
ラジオファンタジー

A面「RADIO FANTASY」
作詞作曲編曲:土屋昌己
B面「MAGIC VOX」
作詞:土屋昌己/作曲:土屋昌己、見岳章/編曲:見岳章
4枚目のシングル、同時発売サードアルバムタイトルチューン
パクリうんぬんとかどうでもいいのですが「ラジオファンタジー」のイントロを聴いてると最近は「孤独なグルメ」のサントラを思い出す、一風堂初期におけるシャウトする土屋昌巳のボーカルも悪くない、といったところで前アルバム『REAL』がベルリン録音でちょっと実験的だったもので『RADIO FANTASY』ではファースト『NORMAL』のハッチャケ具合が戻ってきものの、同じくアルバムからのカットのB面は珍しく?見岳章アレンジの「MAGIC VOX」で、こちらは雰囲気的には『REAL』を引きずっている印象、個人的には『RADIO FANTASY』からであれば「LISTEN TO ME」の方が良かったかなというところ
念の為一応書きますが、曲中は「レディオ」と歌ってるものの、タイトルは「ラジオ」になっています
ふたりのシーズン

A面「TIME OF SEASON」
作詞作曲編曲:Rod Argent
B面「I NEED YOU」
作詞作曲編曲:土屋昌己
5枚目のシングル「ふたりのシーズン」はゾンビーズのカヴァー
当初Discogsを参照することが多かったので、このシングルはUK盤しかないものだと思っていたのだが、Wikipediaを見れば日本でもシングルカットされているとのことで探していたのだが、高い安いの前に盤が出てこない、本当に日本盤があるのか?と疑うくらい時間がかかったが、この記事のラインナップ的には最後の最後にようやく入手
AB面共にアルバム『RADIO FANTASY』からのカットながら、アルバム発売から7か月後のタイミングになったのは『RADIO FANTASY』のUK盤が出てシングルカットもされたから日本でも合わせてカットしたのかもしれません
B面「I NEED YOU」はアルバム『RADIO FANTASY』のラストナンバー且つ、「すみれ September Love」の次のシングルにもなっている、重複なのだが、土屋昌己のよっぽどのお気に入りだったのだろうか、であるならば、これはこれとして、惜しいといえば、隠れた人気曲である「I LOVE YOU」がB面でもいいから7インチ化されていたらと頭を擡げる
すみれ September Love

A面「すみれ Septemper Love」
作詞:竜真知子/作曲編曲:土屋昌己
B面「ルナティックシャドウズ」
作曲編曲:土屋昌己
推測ですが、ディスコグラフィ的には前作『RADIO FANTASY』から1年程活動停止状態(シングルカットはあったものの)で、この「すみれ」ということは、一風堂って基本的に『RADIO FANTASY』で終わってたのかもしれないと思うわけです、82年の土屋昌巳は6月にソロ『RICE MUSIC』をリリース、そして7月には幸宏ツアーに参加、秋にはJAPANのラストツアーに参加等々で一風堂の予定は全く入ってない状態、その合間に降って湧いた化粧品CMソングが「すみれ September Love」でした
これが一風堂の活動を続けるための背水の陣だったのかどうかはわかりませんが、「すみれ September Love」のセットになりそうなアルバムリリースとツアーは予定になく、もし「すみれ September Love」がヒットしなかったら、このまま何事もなかったようにフェードアウト(解散?)したのではないかと、結果は大ヒットとなるのですが、オリコン最高2位を記録したのが10月11日付でリリースから2ヶ月半後、随分時間がかかったという印象ですが、CMが流れたのが歌のタイトル通り9月頃からだったのかもしれません、そして「ザ・ベストテン」にランクインする頃にはJAPANのツアーに旅立っており、衛星中継で土屋昌巳が1人で出演してたのが印象に残ってます
この大ヒット!となる直前の9月22日にベスト盤『Lunatic Menu』(ジャケ裏のジャケ写がリリースされたものとは別モノ)がリリースされているので、流れ的には「すみれ September Love」がヒットしてもしてなくても、これで一区切りというような感じだったかと思いますが、それが思いがけず(レコード会社側が)2位までいく大ヒットとなったので、調子こいて12月に『SOME-TIMES』という別のベスト盤を追加でリリースする有り様、もはや『Lunatic Menu』との収録曲の違いを調べるのも面倒だが、流石にこれは意味ないでしょ
さらにヒットに乗じて新曲を出したいが、予定が立たないということで『RADIO FANTASY』から急遽シングルカット「アイ・ニード・ユー / イミテーション・チャチャ」(12月10日、『SOME-TIMES』と同時発売)、そして「すみれ」のヒットを受けて翌83年活動再開となりますが、土屋昌巳と見岳章の2人だけになっていました
B面「ルナティックシャドウズ」はアルバム未収録曲の「シャドウズ」的なインストナンバー、これが3人での最後の演奏になりました的な
ムーンライトマジック

A面「ムーンライトマジック」
B面「ロンリーシーライオン(Live from "File Tour 1983")」
作詞作曲編曲:土屋昌己
前シングル「ドリーム・オブ・ザ・ジプシーズ」も三菱電機のCMに使われたようですが、半年後にリリースされた「ムーンライトマジック」も同じく ステレオコンポのCMソング、その「三菱電機ダイヤトーン ROBOTY L7」がどんな製品だったのかググってみれば、カセットが7本まで収納出来て連続再生可能という酔狂な物体でCMもYouTubeで確認、土屋昌巳もしっかり出演してました(当時観た記憶はナシ)
これが一風堂としてはラストシングルになってしまったが、実質もう土屋昌巳1人になってしまったと言ってもいいだろう、ジャケ裏の写真こそ2人だが、このレコードに見岳章が関わっているかどうは不明、特に解散宣言もなくて自然消滅だったのではないか、そしてこのシングルの2ヶ月後に土屋昌巳ソロシングル「スターライトシャワー」がリリースされるのだが、特に何も違いはない、名義が「一風堂」から「土屋昌巳」に変わっただけというような
B面「ロンリーシーライオン (Live from "FILE TOUR 1983")」は当時『live and zen』(84年7月21日リリース、単体では未CD化、サブスク未解禁)には収録されなかった音源、元JAPANの2人(Steve Jansen & Richard Barbieri)が参加したツアーだったが、おそらく一風堂にSteve Jansenが参加したため、83年の幸宏ツアーに参加出来ず、David Palmerの起用に至るが、一風堂のツアーがなければSteve Jansenが幸宏ツアーならびにYMO散開ツアーのドラムを叩いた可能性もあったかと
スターライトシャワー

A面「スターライトシャワー」
作詞:来生えつこ/作曲編曲:土屋昌己
B面「B-Side Passion」
作詞作曲編曲:土屋昌己
AGFがこれからはアイスコーヒーをキャフェオンザロックと呼ぶというCMの曲でしたが、その提唱を引き継いだのはびっくりドンキーなのでした
一風堂のラストシングル「ムーンライトマジック」はジャケに土屋昌巳が1人で写ってたりしますが、「スターライトシャワー」がソロ名義の最初のシングルのようです、その間たった2ヶ月なのでソロと区別がつきにくかったのですが
そもそも最初のソロアルバムは『RICE MUSIC』(82年6月21日リリース)ですが、憶測ながら、この時点で一風堂は活動休止もしくは解散状態だったのではないでしょうか? ところがその1ヶ月後にCMソングのシングル「すみれ September Love」をリリースして大ヒット、7月21日リリースながらベストテンにランクインされるのは10月で、このタイムラグはおそらくCMが流れ出したのが秋キャンだから9月頃からだったのではないかと、それで10月の終わりから11月にかけてJAPANのラストツアーに参加してたので、ヨーロッパのツアー先から衛星中継で土屋昌巳が1人で「すみれ」を歌ってたのを覚えています
要は82年の一風堂の活動としてはシングル「すみれ September Love」のみ、「すみれ」から2ヶ月後の9月22日にベスト盤『Lunatic Menu』をリリース、このタイミングから考えると「すみれ」がヒットするしないに関わらずベスト盤は予定されていた、そういう流れを考えると、もし「すみれ」がヒットしてなかったら、このままベスト盤が出て、解散という形になっていたのではないかなと、しかし大ヒットしたので当然のようにベスト盤『Lunatic Menu』も売れ、じゃーそれに続けといいながら新曲がないので、前81年のサードアルバム『RADIO FANTASY』から「アイニードユー」(ジャケは土屋昌巳1人)を年末に急遽シングルカット、そしてさらに何故かベスト盤から3ヶ月後の二番煎じベスト盤『SOME-TIMES』もリリース、今まで売れなかった分を回収するかのようにEPICソニーがたたみかけます
「すみれ」の大ヒットによって一風堂の活動は延長(と勝手に解釈)、翌83年から84年4月までにシングル3枚とアルバム1枚とライブアルバム1枚(+見岳章のソロアルバム『Out of Reach』)で終了
「スターライトシャワー」は当時PVで観たのが最初で、その頃の日本のPVのレベルは欧米に比べて発展途上だったのですが、土屋昌巳の独特の動き(マイム)にツッコミを入れながらも割と好きでした、他にもEPICは佐野元春やバービーボーイズなどPVに力を入れていた印象
B面はいかにも開き直った曲名「B-Side Passion」
一風堂ならびに土屋昌己の音源はソニーなのでYouTube Music公式動画のリンクが貼れません(YouTubeプレミアム会員しか聴けない仕様、他会社と比べてこんなセコイことをするのはソニーだけ)、よって今回はSpotifyのリンクを貼っています
