FAのサントラについて②(97年の日記より)
FRONT MISSION ALTERNATIVE(以下FA)のサントラの仕事が決まったのは96年夏頃と記憶しているが、日記をつける習慣がないので正確な日時は分からない
97年1月からインターネットを始めて、まもなくホームページとやらを立ち上げてみた(契約していたプロバイダーの容量は計5MB)、まだアーティストとしてはアルバム1枚しか出してない状況で、LIVEも頻繁に行っているわけでもなかったので告知も特に無く、載せるコンテンツがないから日記をつけることにした(当時のHPとしてはありがち)
但し、日記といっても日々の細かな記録というよりかは、今のSNSと同じような比較的短い文、ただ書きたいことを書いた、その日の記録でない場合も多い
サントラのインナーに載せてあるURLが当時のHPなのだが、その後2006年のサントラ再発の時には既に独自ドメインを取得したHPに変わっており、インナーを修正してほしかったのだが、全くそのまま再発するとのことで却下され、その時点でHPのURLとメールアドレスは意味のないクレジットになっていた
現在はSNSがあれば充分という考えになり、独自ドメインもレンタルサーバーも解約してHP無し状態
Wayback Machineに残されているHPは99年2月のが最も古く、この頃には日記をやめていたので非公開のものをこの度公開
ともかく、最初のHPの日記のデータをまだ残しており、その中からFAに関する箇所を引用し、それに補足していくという記事になります
と、その前にFRONT MISSION ALTERNATIVE関連の記事をおさらい
上記の2023年に受けたイギリスLaced Recordsのインタビューは仲野順也さんにも取材したらしく、1996年12月9日午後1時に初めて会ったとある、自分は当然日時までは覚えてなかったが、ここまではっきりしてるということは記録されていたのだろう、ただ自分はこの日に初めてスクウェアに行ったわけではなく、この前に2回は行っていると思う
HPの日記は97年3月からになっているので、それまでの経緯を説明
初めてスクウェアに行ったのが、冒頭あるように96年の夏(か秋?)、友人がスクウェアに勤めていて、社内コンポーザー以外の人を探してるという話に食いつき、顔合わせ?のようなことが行われた、いわゆる会議室とかで面接というような堅苦しいものではなく、どっかの開発部署の狭いところに案内された記憶、主にファーストアルバムを出したばかりというのと(CDを渡す)、SEGAの仕事(別の友人の紹介)をやってる最中というプレゼン?をして、数日後か数週間後か忘れたが、やらせてもらえることになった、流石に社員の友人でも実績が何もなかったら保留にされていただろう
SEGAの仕事は通常通り音楽を作って、その音源をそのままゲームに入れ込むだけだったが、FAの場合は内蔵音源方式ということで、音源を作って渡すだけではダメで、曲を内蔵音源で鳴らすためのプログラムを組む必要がある、採用が決まって、その説明を受けに行ったのが2回目だと記憶しており、そのプログラムを自分でやるのは無理〰️となってしまった、やるならそのくらい覚えろよとツッコミが入りそうだが、普段やってる音楽の打ち込みとは全然違うゲーム専用のプログラムで、自分は社内コンポーザーではないし、Windowsも使ったことないので出来ませんと突っぱねた
ここで不採用になってもおかしくはなかったがならず、ここから仲野さんに会う12月までは少し時間が空いたと思う、結局リョウアライが作曲したのを誰かがプログラムしないとならず(主にMIDIデータをゲーム専用のプログラムに変換)、その面倒な役を仲野さんがやってくれることになるまでに時間がかかったと思われます
さらに内蔵音源は元から音色が揃っているわけではなく、自分の音色で曲ごとにイチから作らないといけないので、そのプログラムを担当する赤松さんと3人体制で制作することになる
まず自分が通常通り音楽を作り(主にこれがサントラCD版の状態)、MIDIデータを仲野さんに渡し、音色を1つ1つバラしたものMDに録音して赤松さんに渡して、内蔵音源用に圧縮して(ゲームの容量を少しでも節約するため)組み込んでもらう、ゲーム専用の音楽プログラムで内蔵音源を鳴らして、やっとプレイ中で聴ける音楽になる
音楽の作り方としては以上だが、では一体全体何曲作ればいいのか?は最初には分からなかった、何故ならゲームの開発と同時進行だったからである、ただ相当な曲数が必要らしいので、全てのシーンが出来上がってから、作っていたのでは追いつかないと思い、とりあえずゲーム画面は確認せずにひたすら作っていった記憶(ただ曲を作るだけでなく変換の作業もあるし)
月〜金でしっかりスクウェアに通ったというよりかは、ある程度家で何曲か作ってからスクウェアに行って変換してもらって、ゲームのプログラムで鳴らした出音を確認して、必要あらば修正、という作業の繰り返しだったと思う
自分は仲野さんの部屋に居候のごとくMacとMIDI入力用のキーボードを用意してもらって作業していて、違うフロアだったゲーム開発部には必要な時以外は顔を出していない、社内メールで済ます場合もあって開発部に寄らずに帰ることも多かった記憶
... ... ということでやっと日記の引用
1997年3月29日
急遽、この10日間位の間に15曲近く作らなければならなくなった。さしあたって、今日は幸先よく3曲出来ました。今やっているゲーム音楽はプログラム上の制限が多くて、結局悩んだ結果、ゴージャスにせずミニマルトラックで押し通そうかなと思っています。だから曲というよりトラックを只管(ひたすら)作る。
作業を始めて数ヶ月経った頃、何故急に追い込まれた状況になっているのか、もはや覚えていない、ここまでオープニングと4つの設定用の音楽(サントラCDに未収録で文句言われたやつ)は終わっていたはず、問題はバトルフィールド用に何曲必要なのか、ゲーム開発の進行に合わせて、それくらい必要だと急になったのかもしれない
プログラム上の制限というのは例えばリヴァーブやディレイなどエフェクターをかけることが難しかったり(データの負荷がかかるので避けたい)、トラック数に制限があったことなど(例えば4声の和音であれば4トラックを使う、1トラック=1音)、音色も出来るだけ圧縮してデータ量を少なくしたいので、ファーストアルバムでやっていたゴージャズな音像は無理ということでミニマルテクノで押し通す発想になる(バトルフィールドに向いてることもあり)、しかし結果的にはミニマルテクノ一辺倒でもなかったですが
4月24日
今日は3曲作ってヘトヘト
いきなり1ヶ月くらい飛んでしまっているのが、いかに日記が日々の記録ではないことを物語る、その間もスクウェアに行って作業をしてると思うが、逐一それは書かずに違うことを書いていたということ(今回は割愛)
4月26日
相変わらずやっているゲームミュージックはそろそろ曲もたまりつつあり、終わりが見えてきて、少し気力が抜けてしまった。しかし、これからのフィニッシュが大事なところです。
携わっている期間はそれなりあったのだが、ここ1ヶ月くらいで急に全何曲必要みたいなのが分かったのかもしれない、この時点では7月下旬発売というのもあっただろうし(結果的には間に合わなくて12月に延期になるが)、最後まで気を抜かないで頑張っていこう!的なこと


最近久々にプロモ用に配られたカセットを見たら、裏面に発売日が書いてあり、ゲームが(1997年)8月28日、サントラが8月21日とある、一応これを目標に急ピッチで全体が進んでいたのかもしれない、結局これを配った1997年7月30日のイベントにて発売延期が発表されてしまったが
5月8日
某@本社に足を運んだ。
おそらく今回初めて明かす事実になると思うが、当初サントラはデジキューブではなくエイベ◯クスでリリースする動きがあった、自分の希望ではなくスクウェアの意向で、テクノ・クラブミュージック=エイベ◯クスでメジャー展開みたいな、それ安易じゃない?と自分としては内心気が進まなかったが(エイベ◯クスが1番イケイケだった時期、それだけに... )、結果的にエイベ◯クス側がそんなに食いつかず話は流れた、なんとなくホッとしたような記憶
5月11日
サントラ制作に入る前の休息期間。
この時点でゲームに必要な曲は全て完成していたということになる、そして今度はサントラCD用の作業に移るという段階、これとて内蔵音源をそのまま出すパターンであれば、大してやることもないのだが、もう全曲収録版はないと聞かされていたのだろう
6月6日
久々に機材の電源を入れ、配布カセット用の2曲を録音(22時過ぎまで)。暫くPerformerを使っていなかったので少々エディットのスピードが鈍る。BDが前に出ない。PADのせいか?
なんだかんだ1ヶ月近く休息していた感じ、まずゲーム内の音楽を頑張って作って、どの曲をどの場面に使うかの指定も自分で全部決めさせてもらったが、これが意外とすんなりうまくいった記憶がある、自分が作り溜めた曲と実際のゲームのシーンを合わせてみたら違和感が全くなく、リテイクの指示もなかったことで余裕が生まれたと思われる
そしてサントラ用の作業に入る前にイベントで配るカセット用の音源を先に作ることになる(締め切りの都合)、これを作った後、サントラ用にはさらにミックスを変えたのでカセット用だけのヴァージョンになる、Performerは音楽ソフトの名前、BDはバスドラ、PADは楽曲のバックで流れる、空間の隙間を埋めるように広がり感や雰囲気を与える柔らかい持続音
6月7日
昨日からやっとやる気になった曲の録音というかミックスダウンというかデータ整理というか何とも言い難い作業が続く。909のスネアの連打と共に突然大雨が降ってきたのが印象的だった。
細かいことは忘れているが、ゲーム用に作ったMIDIデータをサントラ用に変えていくというようなことだろう、改めて最初に曲を作った時の状態を確認しつつ、サントラ用にさらに手を加えていくというような(ステージによって違うヴァージョンを1つにまとめる等)
6月12日
ひねもす、レコーディング。何も自分でじらすことないと思ったらやる気になってきた。徐々に体裁を整えるべく淡々と作業は続く。この調子でいけば後は時間が解決する、であろう。
既に出来上がってる曲を再構成していく作業なので、ゼロから作曲するよりかは余裕な感じだが、計16曲とそれなりに数があるので作業は続く、ちなみにサントラの内容に関しても完全にこちらにお任せ
6月24日
打ち合わせ。レコード会社並びに代理店の提案に対して可能性を探りつつ、あーでもない・こーでもないと話し合うのは全然苦ではないのだが、いかんせん生活の乱れから寝不足が相まって会議後の疲労感はただ事ではない。目黒駅前のキツイ坂が追い打ちをかけ、帰りの電車は眠くて眠くてヘトヘト・ヘロヘロになった。
この時点でデジキューブで出すことは決まっており、例のブラックケースのアイデアを出したりしたのだと思う、「オフィシャルリアレンジヴァージョン」という文言も内蔵音源そのままじゃないから、どうする?となって会議で決めたのでしょう、YELLOWでイベントやるみたいなことは多分代理店が考えてきたことで自分の意向ではない、誰でも思いつく著名なDJを集めてやるみたいなアイデアを出されたが、そもそも断られる可能性大だし、その方達に自分の曲をプレイさせるというのは恐れ多過ぎて、であれば自分でやりますと主張して一人でやることになった、坂は行人坂のこと
6月25日
今回のサントラは寸前まで会社が決まらなかったこともあり、マスタリングからリリースまでが大変タイトなスケジュールである。最短ケースではなかろうか。次々と急遽決まることが多いのでこちらも早めに作業しておいて良かったという感じ。音の方は今日の作業でほぼ90%以上完成。今週中に終える予定です。
この時点ではまだゲームの発売延期が決まってなく、サントラ共々7月下旬に発売するつもりだったのかな?という感じ(プロモカセットの表記では8月だったが、当時の記憶で聞かされていたのは7月だったような)
6月26日
そしてラスト1曲のミックスを終え、最終的なマスター作業に入る。レコーディング終盤、この仕上げの時期にツライことはもう何回も聴いてきた曲をまだ細心の注意を払って聴き続けなければならないことだ。そんな気分からかどうしても急遽その場で変更したくなる箇所が出てくる。昨日までボツの予定だった曲を急遽収録したりエフェクトを変えたり。
内容に関して特に補足することはないが、当時マスターはDATを使っていて、それに録音していく作業、それらをMDに録音していって曲間つめる編集をして通して聴いてCDになった時をシュミレーションするというような、まだ家のMacでは音も取り込めないし、CDRも焼けない状況
6月27日
さらに出来上がったDATを聴いてたら1曲どうしても録り直さなければならなくなって、そう思ったら他の曲もあちこち気になってきて再度全部録り直し。シーケンスはいつも同じに動くわけじゃないし、音の出方も微妙に違うし、マスター作りは頭が痛い。一応完成したが時間はまだあるのでまた気にいらない所が出てきたらまたやり直すかもしれない。しっかしキリがないなぁ、これ。ホントにもう大変なんすから。
かなり神経質になって細かいところが気になっている模様、今となっては何のことやら
6月28日
ホントに切りがないのでOKにしちゃいました。偶然にもマスタリングの日取りが思いっ切り早まる。そして今回はプロモ用にアナログとカセットを作るので、CDを含めた3点のアートディレクションの会議。点数が多く今までのゲームサントラにあまり例がないためかなりややこしくなった。例によって寝不足だが言いたいことは言っている。
直し続ければいいってもんじゃないのは今でも言える、直し続けて悪くなる場合もあるので、どこかで見切りをつけて完成という判断も大事かと
1ヶ月前とかにこの日がマスタリングだからと言われていたわけではなくて、急に決まる、みたいな、まだゲームの発売日が延期にならない想定のもとに
7月3日
13時から22時過ぎまで六本木サンライズスタジオでマスタリング。全16曲に軽くコンプ/リミッター(左右の拡がり増す)、音量調整、曲間は殆ど6フレーム(日本レコード協会規定の最短範囲)、途中ジャケの打ち合わせ、7曲目をフェードイン、9曲目にEQ、トータルタイム72:39、出前は昼食に親子丼、夕食にタン塩弁当。
基本そんなにマスターから変えてないので、9時間やってたのは意外だが、2回飯食ったり打ち合わせ挟んでたりしたら、そうなるか?
7月8日
ジャケのデザインを確認するため、バイク便でそれが届くのを待つ。うかつに外に出られないのが幸いし他の仕事が仕上がって(仕上がったというのは僕の中だけでその判断は他人がするものではあるが)しまった。無事にライダーも到着し、ジャケはパターンBをOKにする。
マスタリング途中に打ち合わせてたものが、この日に出来上がったということ(今だったらメールに画像を添付して確認するところを大きい画像をまだメールで送れないのでバイク便で)、もっともブラックケースは決定していたので、帯とインナーのデザインをチェックすればいいという、通常のCDよりかは確認箇所が少ない、後の再発盤はブラックケースではなく透明プラケースになり、インナーがそのままジャケになる(色味とか若干は変わったのかも?再発盤はノータッチなので)
7月12日
先週行ったマスタリングのCD-Rがバイク便で届く。DATでのコピーを聴いている時は痛くガックリ来たもんだが、このCDを聴くとまた印象が違って、もう後は世の中のリアクションに任せよう。
人生2度目のアルバムだったので、若気の至り的な、まだ思い入れが強過ぎるというか、今思えば大したことはなく、その後聴いても特に悪い箇所はない、何がガックリだったのか、今では分からない、実際この日記でもマスタリング数日後には気にならなくなっている様子
マスタリング済みDATは当日もらえたので、後日CD-Rだけわざわざ届くというのも97年らしいが、実際のCDのマスターはシブサンと云われるU-Maticという昔のビデオテープ(ベータより前の規格)が使われた、よってCD-Rはそのマスターのコピー、翌年くらいからCD-Rをマスターとしてプレス工場に納品可能になってくる
7月18日
風邪っぽく体がだるくなりながらも打ち合わせ。アナログ盤とカセット(共に配布用)、ステッカー、Tシャツ、ポスター等を頂く。
もはや何の打ち合わせか分からないが、時期的にイベントのことだろう
7月21日
先日サンプルでもらってきたアナログを友人宅で聴く。そこにはでかいスピーカー(JBL)とマッキントッシュというメーカーの真空管アンプがある。しかし今回の僕の音源はさしたるアナログ感の特徴はなく、低音等も何か拍子抜けした印象だった。やっぱりデジタルミキサーのデジタル録音ではダメか? 結局カッティング時も特に何も施されなかったことも確認出来た。これを反省材料とし、飽くなき音の旅は続く・・・。
自分の音楽が初めてレコードになったということで、高価なオーディオセットで確認をしたかったのだろう、しかしレコードになると音が変わるとの懸念は覆されて、良くも悪くも変わらないなと、結果的に古めのジャズのレコードなどを聴くなら最高なオーディオセットなのだが、CDで最近の音楽を聴いても特に良くなかった印象
7月30日
一夜漬けという感じで明日のイヴェントで使うDAT作り。基本的にマスター(DAT)からMDにデジタル録音してつなぎをエディット。それらを通しで最終的なDATにアナログ録音(デジタルコピーがこれ以上不可能なため)。ついつい調子に乗って選曲したら105分程になってしまったので反省し、曲を削って録り直し90分程にまとめた。
まだMacに音を取り込んで波形編集が出来なかったので、このような作業になる、MDはCD-Rが家で焼けるようになった頃には用無しになったので短命でした、サントラCD全曲とその他自分の曲を追加したセットリストだったはず(DATなど記録は何も残っていない)
7月31日
大雨のせいか何のか、予想したより客が少ないイエローで独り大音量で自分の音楽を流し続けたことはかなり淋しかったけど、スタッフにはアピール出来たみたいなので極端に言えばそれだけでいいのかも。
日記に正直に書いてしまっているが、一旦スクウェアに行ってからタクシーでYELLOWまで行った時にタクシーから降りるのがイヤだったくらい大雨だったのは事実(帰りには止んでいた)、来なかったといってもフロアが満杯じゃなかったというだけで、それなりに人は来てはいたが、とりあえず映像も音も何も記録が残っていないのは今となっては残念かも
オープニングに記者会見みたいなのがあって、これからプレイする自分は紹介を受けて軽くスピーチをした、橋本名人から発売延期が発表され、開発部の人は誰も来てなかった記憶
自分的には音楽を全て作り終わり、サントラも制作し、イベントも終わって任務完了、あとはゲームの発売を待つのみ
11月21日
「フロントミッションオルタナティヴ」OSTの発売日。
ゲームよりサントラの方が先に発売されていた模様、日記には触れてなかったのだが、発売までの間に(発売後かもしれない?)ガイドブック用のインタビューを受けに久々にスクウェアに行っている、日記に書いてないからそれがいつかはもう分からない
1998年2月7日
自宅で1回も聴いてなかった「FA」のプロモアナログを聴く。B面ラストの曲(CDでは6曲目)のFadeOutが思い切り無断で早まっていることが今頃わかる。こりゃひどい! あの曲はちゃんとFadeOutの最後で曲が終わっているようにしたのに。アナログのマスタリング時は東洋化成の都合で立ち合わせてもらえなかった。
家のレコードプレイヤーでとっくに聴いていたのかと思いきや... この時期レコードに一番興味なかったかもしれない、DJにプロモーションするために100枚作られたレコード、中古で見たことはないし、ここ読んで持ってる人はいないでしょう
3月10日
デジキューブからサントラのアンケートハガキの一部が届く。僕より若い人からの感想を読んで結構意外と真面目に聴いているんだなと痛感。文面的にも面白いのがいくつかあって堪能出来た。
サントラCDにアンケートハガキが封入してあって、当時はネットがあったといってもエゴサーチはまだ出来なく、感想が知りたかったので、デジキューブの人に頼んでハガキの束を送ってもらった、読んだ後に返却したので内容はもう覚えていない
1999年4月15日
個人的に「FA」内蔵音源トラックのCD(2枚組)を制作。完全版と言いたいところだが、バックアップしていたMDのエラーにより1ヴァージョンだけ欠ける。配布用カセットの2曲(opening&Sandtown.共にアルバムとは別mix)も追加収録。
全部の音楽が完成した時に、内蔵音源版を再生が出来る仲野さんのパソコンで鳴らしてMDに録音していった、そして家でやっとCD-Rが焼けるようになったのを機に
現在、YouTubeにupしている内蔵音源版はこの時録音したものではなく、プレステから録音したものでもなく、後年自分がネット上でたまたま見つけた内蔵音源版データ(psf=PlayStation Sound Format)をダウンロードしたものである
日記のFAに関する内容は以上です
