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kibuki_art
「冷めたコーヒー」と「アイスコーヒー」
同じように冷たいけど
でも、決して同じじゃない。
何年か前にKREVAの
「冷めたコーヒーとアイスコーヒー、それぞれ違うストーリー」
という歌詞を初めて聴いたとき、何となく頭の中に残ってただけだったけど
最近になって改めて聞いてみたら
ズシッて何か乗っかって来たような気がして。
だって、冷めたコーヒーは、本当は温かかったはずだから。
誰かを待っていたのかもしれないし。
夢中で何かに向き合っているうちに、気づけば冷めてしまったのかもしれない。
その反対に、アイスコーヒーは最初から冷たいものとして作られる。
同じ「冷たさ」でも、生まれた理由が違う。
これってきっと、人も同じでさ。
いつも笑っている人。
いつも怒っている人。
いつも静かな人。
その姿だけを見て、「ああいう人なんだ」と決めつけてしまう。
でも、その人がそこに至るまでに、どんな時間を過ごしてきたのかは見えない。
法華経には、目に見える姿だけで人を量ってはいけないという教えが繰り返し説かれているんだけど。
目の前にある「結果」ではなく、その奥にある因縁や歩んできた道に目を向けること。
同じ冷たさでも、物語は違う。
私たちは、人との付き合いを紡いで行く上で目に見える「温度」を見ているのか。
それとも、その人が歩いてきた「物語」を見ようとしているのか。
見えている「今」だけを見るのは簡単だけど
見えているのは
当たり前だけどほんの一場面。
本当にその人をつくっているのは、誰にも見えない物語なんだから。
あなたの目の前にいるその人は、 「アイスコーヒー」ですか?
それとも、 「冷めたコーヒー」ですか?
