価値観の違う夫婦が百人一首の和歌を送り合ったら、会話にならなかった
今、Amazonプライムビデオで名探偵コナンの過去の映画が見られるんですよね。
コナン好きな夫の影響で、先日、「から紅の恋歌(ラブレター)」を2人で観ました。
簡単にまとめすぎると、百人一首の話で、蘭と新一が和歌を送り合うシーンがあったんです。
「いいな、私もやりたい」
この一言が、この後の夫婦の和歌の送り合いを事故らせることになりました。
旦那は、小学校のクラス百人一首大会で優勝という謎の経歴の持ち主。
私は、中学の時に図書委員で百人一首大会を主催したとき、和歌を読む役割をしたことがあります。
中学の百人一首大会は3人1組だったんですが、当日、1チームに欠員が出て、代役で対戦にも一度出たことがあります。
歌を読む担当だから、ある程度覚えてるでしょという言い分から、
無理やりチームに入れられる私。
もちろん、一枚も取れないよね笑
瞬発力が底辺レベル。
結局、いてもいなくても同じ人数合わせの私でした。
対戦相手のチーム名は「啓蒙思想」という名前で、オタクの女の子3人組でした。
対戦中にお互いのことを、ロック、ルソー、モンテスキューと呼び合っていて、
そういう関係にひどく憧れたものでした。
話が逸れましたが、和歌を読んでいたので、何となく百人一首は知ってるつもり。
だから、旦那と和歌をやりとりしたらどうなるんだろうと、久しぶりに胸ときめく私。
旦那が私に最初に送った歌は、3番。
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」
私は、和歌の意味は全部自己流に解釈しています。
この歌は、私の解釈の中では、ヤリ目の相手の誘い文句という立ち位置でした。
「結局、ヤリ目ってこと?」
「全然、違うよ!何でそうなるんだよ!作者への冒涜だ!」
はい、旦那と早速、会話が噛み合わなくなってきました。
本当の意味は私はわからないので、知りたい人は調べてください。
私の3番に対する返答は、78番。
「淡路島 かよふ千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」
毎日同じ場所にいる関守が、毎晩、千鳥の鳴く声に起こされている。
そんな日常の繰り返しが愛おしいねという、日常への夫への感謝として送りました。
送られた旦那。
「意味わかんねー。何でこの歌なんだ?これは遠くにいる相手を思って孤独や寂しさを歌ってる歌だろ?君は淡路島に関守として単身赴任でもしてるのか?」
私の解釈が歪みすぎてて、旦那に伝わりませんでした。
それに対しての旦那の返答、15番。
「君がため 春の野にいでて 若菜摘む わが衣手に 雪は降りつつ」
私の解釈では、
「仕事中も私のこと思ってくれてるってこと?」
「違うよ。この歌の意味はあーだこーだあーだそーだあーだこーだ(意味不明すぎて書き起こせないので割愛)」
百人一首大会の出場者として、一つ一つの歌を教科書通りに正しく解釈している夫。
百人一首大会の読み手として、一つ一つの歌を何となくの雰囲気で解釈してる私。
まあ、話合うわけないよね!爆笑
私の解釈が歪んでいて、ぶっ飛んでることもわかってる。
でも、私の中ではこれが私の正解なのよ。
ちなみに、私が一番好きな和歌は99番。
「人もをし 人もうらめし あぢきなく 世を思ふゆゑに 物思ふ身は」
私の解釈→人を好きだとか嫌いだとかって振り回されてるのは、世の中をくだらないと思ってる自分のせいだ
旦那の解釈(正しい解釈)→「微妙に違うんじゃない?」
うん、そうなんだよね!きっと!
でも、正解は知らなくていいんですよ。
私は私の独自のへんてこな解釈で、救われてきた和歌がたくさんあるから。
正しい解釈を知ってしまうと、たぶん私の中での百人一首の和歌への愛はきっと形を変えてしまう。
正しさだけで、人は救えないよね。
そういうわけで、価値観が違う夫婦は同じ百人一首の和歌でコミュニケーションをとっても、
事故るということが証明できた出来事でした。
まあ、100%私のせいなんだけどね。
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