小5娘の孤独と、心のお守り
小5の娘は、最近ますますミセス(特に大森元貴)への愛が爆走してます。
もっくんと呼んでいた彼を、最近は「大森さん」と呼び始める謎の変化が起きています。
娘を「大森さん」呼びに導いたきっかけとなった曲は、「風と町」
朝ドラの主題歌になっているので、耳障りがよく、毎日聴いていても飽きが来ない。
娘に、「この曲のどういうところが好きなの?」と聴いたら、
娘は「歌詞が自分に重なっていい」と、なんと歌詞への言及。
小5の子供に、JPOP曲の歌詞が刺さるというのは、私にとっては意外。
私が小5のときは、とにかく流行の曲を追いかけて、歌えるようになるのに必死。
歌詞は覚えてるけど、意味なんて考えたことなかったし、
あ、この歌詞ちょっといいかもと思ってきたのは、中学生くらい?
しかも、その時の解釈は果てしなく浅い。大人になって聴く機会があると、
「ああ、この歌の歌詞はこういうことを歌っていたんだな」
と、やっと気がつく程度。
そんな間抜けな私の娘が、「歌詞が自分に重なる」とか言ってる笑
これは興味深すぎる!と、さらにその話題を掘り下げてみました。
♢
「え、何?どこが好きなの?」
「1番の『どこかでこの手を待ってる人はいるのでしょうか』ってところが、一番最初に好きなところ」
朝ドラが看護師さんの話なので、この歌詞は歌のけっこう大事な部分かな?と、
私も個人的に思ってた。
でも、この歌の肝は、それを含めた全てを、風がただ俯瞰的に見てるってことなんだと思ってるけど(個人的な解釈です)、
意外にも、いいところに目をつけてる(何目線で言ってんだよ)と思った。
「でも、これだけじゃダメで、2番の『ここにもこの手を待ってる私がいるのだから』とセットになるからいいんだよ」
この2つの歌詞がセットになってる。
その発想は私にはなかった。それどころか、この部分の歌詞が微妙に違うことに気づいてなかった笑
「1番の人の悩みに対して、2番の人が答えてあげてるんだよ」
確かに、1番の歌詞の問いかけに対して、2番の歌詞が答えになってる。
私は1番の人と2番の人は同じだと思ったけど、娘にとっては違う人という解釈だった。
「私を必要としてくれる人はいるの?
いると思うよ。私だって誰かを必要としてるのだから。」
という感じなんだろうか?
私が意訳して文字に書くと、一気に安っぽくなった気がする笑
私には自問自答に見えるけど、娘には誰かが自分の問いに答えをくれている感覚なんだろう。
子供は、実は案外孤独だったりする。
学校は、たまたま家が近くで同じような頃に生まれた子たちが集まる場所。
好きなものも違うし、やりたいことも違うし、家庭環境も違う。
自分と同じような考えを持っていたり、同じような志を持っていたり、
一言でいうと、価値観が近い人に出会うのは、
ある程度、自分ができてきて、やりたいことを選択していける
高校生か、あるいはそれ以降だと思う。
小5という時期は、自分の考えや性格、好きなことや苦手なことが、見え始める時期。
自分と相手は違う人間だと見え始める時期。
一人でいる孤独ではなく、誰かと一緒にいるのに感じる孤独というのを
知るようになるのがこれくらいの時期かなと思っています。
娘も、たぶん今、孤独を背負っているのだと思う。
仲間外れにされてるとか、そういう物理的なものではなくて、(実際にされてないよ)
「この人は私と違う。この人とは分かり合えない」という
小さな絶望の中にある孤独を背負っているのだと思う。
いつか、私の本当をわかってくれる人はいるのかな?という
学校や家庭という狭い町で生きている娘が、
未来で出会う自分の手を待っている人に、思いを馳せているのかなと思うと、
この2つの歌詞(娘にとってはセットになって1つの歌詞)が、
娘の心に響いているのは、何となくわかる気がする。
子供の頃に覚えた歌は、大人になってもあまり忘れない。
特に好きな歌は歌詞まで鮮明に覚えていることが多い。
娘にとってこの「風と町」は、きっとこれからの人生の色んな場面で、思い出すのかもしれない。
そして、手を待っているは、まだ見ぬ相手でもあり、自分でもあったということに、いつか気づくのかもしれない。
娘の好きだと言った歌詞には、大人が聴いても、ハッとする視点がある。
これからの人生を彩る心のお守りになるだろうなと思ってる。
そういう曲に出会えてよかったね。
これからも前を向いて進んで行ってね。と娘を応援しています。
もう一つ、この曲で娘に響いている歌詞があるのですが、
長くなりそうなので、また次の日記に書こうと思います。
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