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メイド居酒屋で萌え萌えニャンニャン言っていた黒歴史の話をしよう。

高校3年の夏。進学はしないで就職することを決めていたわたしは夏休みに最高のバイトを見付けていた。

メイド居酒屋が新規オープンするらしい。制服がメイド服なだけで時給が1000円〜1200円(当時の最低賃金は700円くらい)で、高校生可の文字に、わたしはその場で飛び付いた。

「メイド居酒屋のバイトの張り紙見たんですけど、まだ募集してますか?」

対応してくれたのは男前な男性。イ…イケメン!!と声には漏らさなかったがきっと顔には出た。笑顔120%のわたしに対してイケメン男性には笑顔が一切なかった。あまりの笑顔の無さに、正直やばいところに来ちゃったかなあなんて思った。

面接は後日行われて、面接してくれたのは別の男性。見た目はホストのようだったけど、すごく話しやすい人で応募したときの不安はわくわくに変わっていた。無事面接に受かったわたしはメイドとしてご主人様にご奉仕することとなった。

仕事内容は普通の居酒屋と同じ。注文とって飲み物食べ物を運ぶだけ。合間にお客さんと立ち話するくらいはあるけど、あくまで居酒屋なので横には座らない。

「いらっしゃいませ」が「お帰りなさいませご主人様」(女性はお嬢様)呼ばれたときの返事は「ニャンニャン萌え〜」とかそれらしい言葉使いもしていたけど、働いてたメイドの大半は、特にコスプレが好きとかアニメが好きとか、俗に言うオタクなわけでもなく、時給目当ての普通の女の子が多かった。

わたしも当時流行っていた、黒のアイラインで目を囲み、つけまつげを上下に付けたデカ目メイクに金髪(夏休みだったので)いわゆるギャルの姿でメイド服を着ていた。立ち振る舞いも「お帰りなさいませご主人様」とは言うけど、他のメイドらしい作法や仕草なんて知らないし「しなくていい、そのままの方が面白いから」と店長にも言われていたから、ありのままの姿で「まじっすか!めっちゃうけるー!」とか話していたら本当にメイドさんが好きなご主人様からは「あんなのメイドじゃない」とお叱りの言葉を受けた。

店がオープンして月日が流れると自然に、本当のメイド好きのご主人様は帰って来なくなり、「冷やかし」のご主人様が多くなった。

「ニャンニャン」とかの掛け声に耐えられれば、最初は冷やかしでも常連になってくれるご主人様も少なくはなかったけど、「あー俺無理だわキツイ」と業界全体がその人に生理的に合わないだけなのに、否定される言葉を浴びることで無駄に傷付くことになる日も多かった。品定めするような目で見られたり、「ブスじゃん」と言われたり、推しのメイドさん以外が来るとあからさまにガッカリするご主人様なども中にはいて、だんだんと「高いコミュ力」「鋼のメンタル」「ネジの抜けた頭」このどれか、もしくは複数を持っていないときつい仕事になっていった。

わたしは「ネジの抜けた頭」の持ち主に他ならなかった。

ネジの抜けた頭で高校卒業までご奉仕した。
高校卒業後は、バスガイドとして観光バス会社に就職。

わたしは新入社員として慣れない日々を過ごしていたある日、バスガイドとして喋る練習を兼ねて数人の上司の前で自己紹介をすることになった。

こんなとき、わたしはどうしても爪痕を残したくなってしまう。埋もれることが何より嫌なのだ。何人かいる新人バスガイドの中で一目置かれたい気持ちを抑え切れずに言ってしまう。

「高校生の頃はメイド居酒屋でアルバイトをしていました!」

上司は長年バスガイドとして勤めたのち現場を離れ指導役に回った女性達だ。この場面で言わないほういいに決まっているが、持ち前のネジの抜けた頭はそれがわからなかった。

バスガイドという職業自体、ネジの抜けた頭には負担が大きくて4ヶ月で辞めた。今となっちゃ、ネジの抜けた頭が覚えていることは、先輩バスガイドが怖かったことと、泊まりでの仕事の際、夜運転手の部屋には行くなと教えられたこと、バスガイドと運転手の不倫くらい。

そして、気付けばまたメイド居酒屋でメイド服を着てニャンニャン言っていた。メイドからガイドになり再びメイドとなったわたし。

ネジの抜けた頭はとどまることを知らない。地元の無料情報誌の裏表紙一面にでかでかとメイド居酒屋の広告を出すことになり、わたしはメイド服を着てニャンニャンポーズをして掲載された。

フリー素材です。参考画像。

これは、かなり反響があって数年ぶりに連絡がきた友人もいた。地元の無料情報誌なのもあって辞めた観光バス会社にも配られており、先輩お嬢様が冷やかしにお帰りなさってくれたりもしたけど、ネジの抜けた頭はそのくらいじゃ動じたりしない。

その後2年間くらいをメイドとして過ごして、バイトリーダーならぬメイドリーダーまで登り詰めた。

どっぷり浸かっていた2年間、一緒にご奉仕したメイドさんにも入れ替わり立ち替わりたくさん出会ったけど、人間の人生というものを煮詰めたような人生を送ってきている子もいて、きっとあのままバスガイドをしていたら出会うことはなかっただろうな。

わたしは、ご主人様との恋愛は御法度、連絡先の交換もNGと言われる中で、密かに好意を寄せていたご主人様がいた。休日に街へ出ると偶然も偶然、その想い人がいた。ご奉仕中は掟を守れても、休日には自分を抑えられなかった。ご主人様の方から連絡先を聞かれたら、断ることなんて出来なかった。秘密のデートを重ねたわたしたちは結ばれた。なんて綺麗に語ってみたけど、出会した場所は実はパチンコだし、やさぐれた男女がただのルール違反の恋愛をしただけの話。

ご主人様に「ここでのアルバイトで得るものなんてないだろうね」なんて言葉を言われたりもした。地位とか名声とか、努力して得る何かとか、社会人としての振る舞いなんてものとは離れた場所にいたのは確か。そういうものが一番大切な人から見たら得るものはなかったかも知れない。

実際、メイド居酒屋を辞めて数年して我に返ったときには黒歴史になっていて、人には隠していた時期もあった。ネジの抜けた頭にネジを入れようともがいた時期があった。

でも、人生を重ねていくことはその時々で出会いを重ねていくこと。様々な人と出会う中で、わたしがもがいて求めた「正しくレールに乗った失敗のない人」より、時にはみ出したり引き返したりしながらも、それを笑い飛ばす強さを持った人や、たくさんの経験から柔軟さやしなやかさを身につけている人がわたしには魅力的に感じてしまった。ネジがないならないで、それを強みに変えることだってその人次第で出来るんだと知ったら、そうやって生きていきたい。

おそるおそる「昔、メイド居酒屋で働いてたんですよぉ、萌え萌えニャンニャンしてましたぁ」なんて言ったのがキッカケで、興味を持ってくれた職場の先輩と一緒にメイド居酒屋へ飲みに行くことになって、先輩が萌え萌えニャンニャンする姿にお腹を抱えて笑ったり。黒歴史を受け入れてもらえる安心感はわたしの何かを変えた。

もう黒歴史とも思ってないけど、気を引きたくて今日のこのnoteのようにわざと「黒歴史なんです…」とあれこれ喋ることもある。黒歴史のひとつやふたつある方がネタになるってもんだ。誕生日を迎えたら今年で37歳。大抵のことは受け入れられる余裕も持ち合わせてきた気がする。

恥ずかしいとか、自分がどう見えているかを気にする20代の子に出会うと、ああこれが若さだなあ…なんて感じて、そんなの大丈夫!全然大丈夫!とドンと構えてしまう自分は人生を重ねていったことを実感する。

でも、それも悪くない。

黒歴史を自由に操ることができるわたしはいま、結構人生が楽しいのだ。

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