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あの日のアヒージョが食べたい。

体重が6キロ増えた。

原因は、夫の作る料理だ。



明日の予定を気にしない、久しぶりの夫婦時間。我が家の料理担当の夫が、鰹節で出汁をとったオリーブオイルに、アンチョビで味付けしたアヒージョを作ってくれた。

簡単に作れることが第一優先のわたしとは反対に、夫の作る料理は一手間も二手間もかかっている。例えば、大根ひとつすりおろすだけでも繊維の向きがどうこうあるらしい。わたしはおろしてあれば何でもいいと思ってしまうが、外交的で持続可能な家族運営、夫婦円満のために「へぇ、すごいね、知らなかった」と相槌を打つ。もちろんわたしのときは縦横無尽に大根がおろし器の上を滑り散らかしている。

でも、手間暇をかけているだけあるのか、知識量がものを言っているのか、夫の作る料理は美味しい。今日のアヒージョは人生でいちばん美味しいと思ったアヒージョだった。具材がたっぷり入ったアヒージョでお腹いっぱい。〆のオイルパスタまで食べられなかった。

夫と付き合う前わたしは鏡の中の自分を細かく点検するのが癖みたいになっていた。メジャーでウエストを測り、見えた数字は誰に言うわけでもないけど、わたしの支えになったことはたしかだ。夫と付き合い出したら体重計の数字がみるみる増えていった。ウエストは一度も測っていない。

これまで生きてきた中で、能動的に食べるのはもちろん、なんとなく食べないと物足りないという惰性でも食べたりしていたが、わたしの食の興味の中心は甘いものだった。言わば嗜好品だ。嗜好品をたのしむために3食の食事を控えめにするという本末転倒なことを、まるで洗練された習慣のような顔して行ってきた。

夫と出会い、夫の作った料理をしっかり食べるようになって、同僚からは「太ったよね?」と聞かれ、わざわざ「“◯◯さんが、ひびきさんちょっと丸くなったよね?”って言ってたよ」とご丁寧におしえてくれる人までいた。

どうやら、わたしの身体は思っていたより公共物らしい。

介護職という職業柄もあってか、仕事中、食事を前に手を止める人を見てふと思った。

巷で見聞きする食事制限やファスティング。どうせそのうち多かれ少なかれ食べられなくなるんだから、美味しく食べられるうちに食べておかないと。

普通のご飯が食べられなくなっていく人たちを、わたしは仕事で何人も見てきた。「お腹なんて空かないよ」と言う人。揚げ物や肉は固くて食べられない人。やがて細かく刻まれ、ペーストになり、ゼリーになる食事。

美味しく食べられる時間には、限りがある。

もちろん太り過ぎて健康を損なう程なら話は別だ。でもアルファベットがひとつ進んでも、売ってる服が入るうちはセーフ!くらいの気持ちでいよう、と。

きれいやかわいいで得をすることは、きっと多くある。

けれど「かわいいね」「お肌つやつやだね」「ほっそいね」と褒められても、学生時代みたいにそれだけで1日がうまくいく気はしない。「ありがとう」より「そう見えてるなら、ひとまず成功です…!」なんてユーモアが求められてる気さえしてしまう。

きれいやかわいいだけで自信を持てるかと言ったら、もうそれだけではあまりにも脆かった。



細かった頃のわたしは、きれいでいれば強くなれると思ってた。

嫌味を言われたって“あなたより、きれいなんで”と立っていられた。

でも実際は、きれいは武器なんかじゃなくて鎧みたいなものだった。傷つかないで済む位置に立とうとしていただけだ。



わたしは今、誰かに「太ったね」なんて声をかけられることもなくなった。

太ったままの姿だからだ。

アパレルショップの鏡の前で店員さんに「お客様細いから横に並びたくないんですけど」なんて営業トークもかけられない。

以前よりひとつ大きなサイズを手にとり試着室へと案内されるとき、入るかどうかどきどきしているのを店員さんに見抜かれそうで、もう一度どきどきしてしまう。まるで軽いアトラクションじゃん、と、ひとりで笑ってしまう。

今でも美容やファッションはわたしにとってなくてはならないものだ。

「ただ好き」で選んだ服は肩の力を抜いても立っていられる。細い身体を強調するようなファッションをしなくても、案外世界は崩れない。いちばん大切だと思ってたつけまつ毛をやめても、何も起きなかったように。

崩れたのは、わたしのちっぽけな優越感だけだ。



試着した服が思っていたシルエットにならなかった日。試着室のカーテンを戸惑うことなく開けられたあの日が恋しくなる日もないわけじゃない。

前は痩せてたんです!本当は細いんです!と言いたげな自分に気づく日もある。

それでもわたしは誰かに評価されたり、一目おかれることより目の前の食卓にいる自分を選ぶのだと思う。

食べる前の匂いや、夫が言う「たくさん食べて!」にちゃんと気分があがる自分でいたい。

これが歳をとったってこと?なんて迷う日もある。

だって、美意識の高い美女が「痩せるのが一番の垢抜け」だと発言しているのを見るたび、心がざわつく。そして、少し腹が立つ。

それでも、わたしは今日もお皿の前に座るし、あの日のアヒージョが食べたいと言うのだろう。


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