恐れが現実を動かすとき──「思い」は災害さえ生むかもしれない
ここ最近、7月5日に日本を襲うという“大災害予言”が世間を賑わせている。
ある夢見を通じて得たという啓示が拡散され、SNSでは「地震が来る」「津波に飲まれる」といった不安が日々飛び交っている。
または隕石説、太陽フレア、様々…。
私はその話を鵜呑みにするつもりはない。
けれど、これまでの人生とスピリチュアルな実感から、ひとつだけ確信していることがある。
それは、「恐れと不安のエネルギー」は、具現化がとても早いということだ。
人間の思念の中で、もっとも強く波動を持つのが「恐怖」と「不安」。
これらは私たちの無意識を通して世界に放たれ、やがて“現実”として形を取っていくことがある。
誰かを心配する気持ち、怒りや悲しみ、安堵──そのどれもが波となり、目に見えぬエネルギーとしてこの世界を巡っている。
だが「恐れ」と「不安」は、それらの中でもとりわけ鋭く、強く、速く届く。
まるで黒雲のように、他の光を覆い尽くしてしまうこともあるほどだ。
だからこそ、大勢の人が「来るぞ」「起きるぞ」と繰り返すたびに、
それは“災害を呼ぶ祈り”のように力を持ってしまう。
人は無意識のうちに、自分の言葉で現実を動かしている。
「そんなつもりはなかった」という念も、世界には“意図”として伝わっていく。
不満を抱える人は、今の社会に少なくない。
傷つき、報われず、孤立してしまった人たち。
そして中には、「もう全部壊れてしまえばいい」と、静かに破壊を望むような想いを抱える人もいる。
その心の奥には、寂しさや虚しさ、絶望があることを私は知っている。 けれど、それらは新しい命や希望ではなく、「さらなる破壊」を呼び寄せてしまうのだ。
災害が起きたとき、スマートフォンを構え、映像を収めようとする人たちがいる。
その中には「誰かのために」と記録を残す者もいるだろう。 だが一方で、「注目されたい」「名を上げたい」「お金になるかもしれない」──そんな思惑が混じることも、否めない。
日々の生活に刺激が足りず、「何かが起こればいい」と無意識に願ってしまう心。
それが、現実を大きく揺さぶる引き金になりうるとしたら──それは私たち自身が招いている危機でもある。
そして忘れてはならないのは、「災害はいつも弱い者を直撃する」という現実だ。
富裕層は安全な場所へ避難する余裕があるかもしれない。
情報をいち早く得る術もあるかもしれない。
けれど、日々を生きるだけで精一杯の高齢者や、
社会的に孤立している人たちは、「逃げる」という選択肢すら持たないことがある。
命に優劣などあってはならない。
けれど現実は、静かにその差を突きつけてくる。
もし、見えない世界に神々が存在するのなら──
どうかその眼差しが、魂の美しい人々に向けられていてほしい。
そして私たち一人ひとりが、その祈りに応えるような生き方を、日々選び取れるように。
「恐れ」は現実を動かす。
だが裏を返せば、「希望」や「信頼」も同じように、世界を変えていく力を持っている。
人の心は、どこまでも不安に傾くこともあれば、ひとつの光で変わることもある。
私は信じたい。
破壊を望むのではなく、癒しと調和を願う思いが、いつかこの世界を優しく包むときが来ることを。
「どうせ何を言っても変わらない」と口にする代わりに、
「それでも私は祈る」と語れる人が、ひとりでも増えることを。
私たちは、まだ選び直せる。
今、この瞬間も──。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
私たちは時に、目には見えない“恐れ”に心を縛られてしまうことがあります。
けれど、その感情を手放す勇気が、新しい現実を優しく迎え入れてくれることもあるのです。
次回は、長年私を導いてくれた “白い龍”との出会いと、そのメッセージについて、少しずつお話していきます。
どうぞお楽しみに…。
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