ひとりメキシコ旅行記〜嵐を呼ぶドンデ・エスタ・エル・バーニョ〜
去年の11月、約一週間メキシコを旅行してきた。
初のメキシコ、初の一人海外旅行。
撮影の日、とあるメイクさんに
「アンタ今行かなきゃ一生行かないよ!!」
と喝を入れられ(( 確かに、、!))と思った私はその場でメキシコ行きの航空券を購入。
出発はその10日後という弾丸旅行。
もちろんそんなスケジュールで友人は誰も捕まらず女一人でメキシコに行くことになった。
メキシコ行きを伝えた友人の反応は「なんでメキシコ?」と「生きて帰ってきてね」の2パターンしかなかった。
両親はと言えば「『ブレイキング・バッド』じゃん」と見当外れな事を言っていた。
いやあんな国境の激ヤバゾーン行くか。
まあ確かに、メキシコ=ドラッグ・カルテルなどのイメージは強い。
世界の殺人発生率ランキングやら物騒な番付の上位には必ずと言っていいほどメキシコが入っているし、『クレイジージャーニー』でもよく丸山ゴンザレスがメキシコのカルテルに会いに行ったりしてる。
それでも私はずっとメキシコに行くことを夢見ていた。
高校生の頃、「アナザースカイ」で写真家の蜷川実花さんがメキシコの小さな島”イスラ・ムヘーレス”を訪れ、メキシコ版お盆である「死者の日」を巡礼していた映像を見た。
理由は分からないが、その時からメキシコ、イスラ・ムヘーレス、死者の日に強烈に惹かれ、彼女がその島で撮った写真集『BABY BLUE SKY』を速攻買い、ページをめくるごとにほとんど裏側にある国に想いを馳せていた。
何故こんなにもメキシコに惹かれるのか自分でも分からずにいたのだが、とあるご縁で色々”見える”という人に自分の前世を見てもらう機会があった。
その結果、私の前世は
「200年前のトルコの国王一家から寵愛を受けていた踊り子」
だった。
私は国王の弟と愛人関係にあり、悪行で金儲けをしていた彼は命を狙われるのを恐れ私を連れてメキシコの海の方へ逃亡。
一時は二人で楽しく暮らしていたのだが、突如襲撃され私の目の前で彼は殺害されてしまう。
正式に弔われる事もなく無惨に散った愛する人の面影をその島で探し続けている、だからあなたはメキシコとイスラ・ムヘーレス、そして死者の日に想いを馳せているのよ。
なんて事を言われた。
スピリチュアルに関しては半信半疑なところのある私だが、メキシコに惹かれる理由が全く分からなかった為、この占い師の説明に妙に納得してしまったのだ。
それに、私は両親や親戚共々純日本人なのだが、以前から自分にラテンの血が入ってるような気がしてならない。
去年マネージャーさん達に誕生日を祝ってもらった時、二件目で行った広尾の「HAVANA 1950」で己の意に反して踊り狂った事がある。




踊り子だった時の記憶がそうさせるのか(とでも言っておこう)、とにかくラテンのリズムに身を任せて踊るのは気持ちが良かった。
Gipsy Kingsを聞く度に、私の中のラテンスピリットが騒ぎ出す。
それでいえば、この熱しやすく冷めやすい性格にも頷ける。
特に恋愛においては顕著だ。
ずっと恋愛が下手なのだと思っていたが、単に情熱的なだけなのである。
私には、熱が冷める事を知らないような、情熱の炎を燃やし続けてくれる熱い男が必要だった。
若人よ、「冷笑」なんかしている場合ではない。
時代は「ラテン」である。
ちなみに広尾には美味しいメキシカンが食べれるお店もあるので行ってみてほしい↓


他にも日本でメキシコを感じられるお店に行ったり、タコスパーティーオフ会を開いたりなどなど🌮





他にも何となく寄ったスーパーで本当に何となくテキーラが買いたくなって(何故)、私が手に取ったボトル一本だけ"死者の日"限定デザインだったり。

もうこれは呼ばれてるとしか思えない。
実際に現地に行って自分が何を感じるか試してみようじゃないか。
そうしてタイミング良くメイクさんに背中を押されメキシコ行きが決定した。
まずはともあれ渡航先の情報収集である。
フランスに行った際も現地に詳しい人からデンジャラスゾーンについて聞いたりと下調べをして行ったのだが(フランス旅行については過去のブログ参照)、今回も弾丸旅行とはいえデンジャラスゾーンに関しては少しばかりお勉強。
ルス・グアダルーペさんというメキシコに移住していたYouTuberの動画を前々からちょくちょく見ており、その中にメキシコ(特に首都のメキシコシティ)の治安を図解してくれた旅行者には非常にありがたい動画がある↓↓↓

いやほぼデンジャラスゾーン。
青の中にも赤があるのが怖すぎる。東京に例えたら、23区中20区が足立区のようなものだろう。
動画を全部見てとにかく治安があまり良くない事だけは分かった。
一旦デンジャラスゾーンに関しては見なかったことにして、ホテルの予約や大まかなスケジュールを爆速で立てる。
予定はこうだ。
まず日本から直行便で首都のメキシコシティ→メキシコシティから高速バスで6時間かけてグアナファト→グアナファトから国内線でカンクン→カンクン滞在中にフェリーでイスラ・ムヘーレス→カンクンに戻り国内線でメキシコシティ→日本帰国
一つの都市に二、三泊して約一週間の滞在というまあまあなハードスケジュール。
本当はそのままキューバまで行ってハバナで「ブエナビスタ ソシアルクラブ」に想いを馳せながら、葉巻片手にモヒートでも飲みたかったが流石にそこまでのスケジュールは取れず断念。
不安な事は山積みだが、一番の関門は言葉の壁。
フランス語は大学の第二外国語で履修をしていたので何となく理解が出来ていたが、スペイン語は未履修。
簡単な挨拶を覚えあとは英語とジェスチャーと気合いで乗り越える事に。
ただ、これだけは覚えておかなければいけないフレーズがあった。
それは、
「¿Dónde está el baño?」
(ドンデ エスタ エル バーニョ)
つまり、
「トイレはどこですか?」
異国の地で腹痛(はらいた)を引き起こす恐怖を知っている私は、万が一に備えこのフレーズを何度も何度も繰り返し、約12時間のフライトを経てメキシコシティへと上陸した。

何度見ても飽きない神映画
今回は初めての一人海外旅行という事もあり、初日のみコーディネーターさんを付ける事にした。
現地在住の日本人の方で、待ち合わせの時間に私の泊まっているホテルまで迎えに来てくれた。
ふわふわした人当たりの良いおばさまなのだが、同行中、
「女の子の一人旅はね〜、やっぱり人身売買で誘拐とか結構されてるからね〜」
とかサラッと言ってくる。
えっとー、私明日から単独行動︎(^_^)
他にも、
「大麻くらいじゃ警察は逮捕しないよ〜逮捕する理由がないからね〜」
「これ全部行方不明者の貼り紙!」
とか結構刺激的な事を普通のテンションで言うのが不謹慎だがそのギャップが面白くて、この人にガイドを頼んで正解だと思った。
メキシコシティに到着した日は「死者の日」の真っ只中。
街は死者の魂がこの世に帰るための道標となるマリーゴールドの花で埋め尽くされ、骸骨の置物や飾り付けで溢れかえる。
オフレンダと呼ばれる祭壇には個人が生前好きだった食べ物などがお供えされており、どれも家族の深い愛情を感じるものばかり。

人間だけじゃなくてペットの写真とかも飾ってある


まさに『リメンバー・ミー』の世界だ。
↑死者の魂がこの世に帰るイメージとして、やっぱり『リメンバー・ミー』の描写は優れているなあと感心させられる。
街ブラをする前にホテルの近くのパン屋で軽食を取る事に。

死者の日に食べるパンで、頭蓋骨の形をイメージして作られている

それから地下鉄で中心地に移動。
様々なブログや動画で「一人で地下鉄には乗るな!」と散々言われていたが、こっちは二人体制なので余裕で乗る。

お土産を求めて「メルカド」と呼ばれる市場へ。
撮影禁止のお店が多かったけど、どこもこんな感じでカラフルで細々したものがいっぱい売っていた。



名称は「失踪者たちの広場」
被害者の遺族らが抗議活動を行っている記念碑的な場所で、複数の都市に存在している。

このようなものを見る度に日本とのギャップというか、メキシコという国のリアルな姿を垣間見る。
途中『007 スペクター』のロケ地となったホテルにも訪れてみたりした。

そして私が死者の日にやりたかった事。
それは、「カトリーナメイク」!!
死者の日の期間はちらほら道に屋台のようなものが出ており、そこでメイクアップしてもらう事が出来る。
私がやってもらったところで料金は800円ほど。

途中『メキシコ国宝』になる瞬間がある。

この時に誰もが一抹の不安を覚えるのだが、ここを乗り越えた者だけが念願のカトリーナメイクを施す事が出来る。

こっちの人には急ぐという感覚があまり無いのでトータル1時間30分ほどかかったが、800円でこのクオリティなら文句無し。
当たり前だがこの日は一日中この顔で街を歩き回った。



死者の日を満喫して感じたのは、メキシコの「死」に対する価値観は極めて明るい。
死は決して悲観的なものでもなく、遅かれ早かれ誰にでも平等にやってくるもの。
それならば悲しみに暮れるのではなく、死者の魂を歓迎し、あの頃のように皆でお祝いをしよう。
死んだ後も彼らは私達の記憶の中で生き続けるのだから。
ただ、私には異国の地で "死ぬる覚悟" は無いため、夜は安全の為早めにホテルへ戻った。
ドアマンのおじさんに「ブエナス ノーチェス、セニョリータ(おやすみ、お嬢さん)」と言われて、なんだかメキシコ人の一員になれたような気がして嬉しかった。
メキシコシティ、グアナファト、カンクン、イスラ・ムヘーレスと周った中で、実際のところ最も惹かれた街はグアナファトだった。
メキシコシティからグアナファトまでは高速バスを使って移動したのだが、本来乗るべきバスの時間を勘違いしていて(チケットを前日に買っておいたにも関わらず)夕方にグアナファトに到着するバスを逃してしまった。
今回の旅のファーストプチパニック。
コーディネーターさんとは別れた後も連絡を取り合っていた為、動揺した私はすぐに連絡。
するとすぐに返信が。

アドバイスなのかアドバイスじゃないのかよく分からない助言をいただいた。
曰く、この方法で以前に成功体験があるとの事。
今見るとこのアドバイスもおかしいが、私の返事もおかしい。
「わかりました🥹」じゃないだろ。
まあバスに乗れなかったのは私のミスなので本来なら新しくチケットを買い直さなければいけないのだが、一縷の望みをかけて受付の強面セニョーラのところへ向かい、チケットを指差しこれで乗りたいと頼んでみる。
答えはもちろん「No」(発音は”ノ”)
日本であればこのような時はすぐさま引き下がるのだが、ここはメキシコ。
ルールがあるようでないこの国で、無力なアジアの小娘のまま終わるわけにはいかない。
郷に入っては郷に従えだ。
コーディネーターさんの言葉を信じ、捨てられた子犬のような顔で「ポル ファボール🥺」を連呼してみた。
結果は惨敗。
クソッ、やはりこの作戦が通用するのはオジだけか。
粘った挙げ句普通にチケットを買い直し、予定より5時間遅れでバスでグアナファトへ向かった。
そんなことがあった為、グアナファトに着く頃にはもうクタクタ。
だが宿のオーナーのオマールがとても良い人で、着くなり労いの言葉をかけてくれた。
そして一通り宿のシステムの説明が終わると、徐に屋上に連れられた。

そこにはグアナファトの夜景が360度広がっていた。
ブエナ ビスタ、あまりの美しさに今までの疲れが一瞬にして吹き飛んだ。
グアナファトはその景観の美しさから「宝石箱をひっくり返したような街」と呼ばれ世界文化遺産に登録されているのだが、まさにその通り。
『リメンバーミー』の死者の国はここグアナファトがモデルになったとも言われている。
予想外のトラブルとそれを凌駕するその国の魅力という、旅行の醍醐味を味わった夜だった。
翌朝、朝食を用意してくれているというので屋上へ上がるとお手本のようなパンケーキとカットフルーツとたっぷりのコーヒーが。

朝食を食べたら街の散策へ。
そもそもメキシコは高地にある国で、グアナファトの標高は約2000m。
かつ急勾配に囲まれた街でもあり、私の泊まっている宿は坂の上にあったので、観光で街に出るには一度坂を下る必要があった。
下るのは良いのだが、上るのがめちゃくちゃキツい。
体感日本の10倍くらいはキツい。
最初はヒイヒイ言っていたが慣れると案外平気で、カラフルな街並みを楽しむ余裕も生まれてくる。



適当に歩いていたら有名な観光スポット「口づけの小道」を発見!
隣り合う家のバルコニーから身を乗り出して、恋人がキスをしたというロマンチックな逸話付き。

そしてグアナファトで一番大きな「イダルゴ市場」へ。


お土産屋さんだけじゃなく屋台もたくさん入っている
その後も気ままに街ブラ。





小さな街なので一通り歩いた後、オマールにおすすめされた「ミイラ博物館」に行く事に。
写真は撮れなかったので簡単に説明すると、グアナファトの乾燥した気候と特殊な土壌によって、土の中で意図せずミイラ化したご遺体を展示しているちょっと変わった博物館。
老人から赤ちゃんまでたくさんのミイラがいてなんだか不思議な空間だった。
そんなミイラ博物館の近くに大きな墓地を発見。
メキシコのお墓はとてもカラフルで個性豊か。




フランスの時も思ったけど、海外に行ったらお墓と教会はマストで行くべき。
神聖で、静かで、その国の特徴がよく現れているから勉強にもなるのでオススメ。
その後は街を一望できる「ピピラの丘」を登ることに。





そして旅行の一番の楽しみと言っても過言では無い、食事について。
メキシコと言えばタコス、タコスと言えばメキシコ。
今回の度で食べたタコス達を一部お見せしよう。

これで400円くらい

これが一番好きだったかも


メキシコのタコスはトウモロコシの粉で作ったトルティーヤに具材を乗せて、サルサをお好みでかけて食べる。
必ずライムが付いてくるのだが、コーディネーターさん曰く、ライムには殺菌作用もあるので搾ったライムの残りで指先をぺたぺたしてから食べるのが現地の人流。
このタコスを"世界一美味しい"と言われるメキシコのコーラと一緒に流し込むと、本当に来て良かったという気持ちになる。(コーラは日本で飲むものより甘さが強い気がした)
「うま!」「美味しい〜」「リコリコ(Ricoはスペイン語で「美味しい」)」とか言いながら食べてたら、「わざわざ口に出して言うのが可愛い」とコーディネーターさんに言われた。
美味しいものは「美味しい」って口に出した方が絶対良い!
だがそんな調子の良い事を言ってられたのも3日目くらいまで。
流石にタコス飽きてくる問題。
この辺りから日本食が恋しくなってくる。
そして最終目的地のカンクンにてタコスの脅威を思い知る。
カンクンへはグアナファトの空港から出ている国内線に乗り約2時間ほどで到着。
有名リゾート地でもあるカンクンは英語を話せる人が多い。
そして移動はバスが断然お得。


料金は一律12ペソ。(日本円で90円ほど)
乗り方はバス停で待つ or バスが来たら手を上げる。
バス停以外の場所でも止まってくれるため、降りる時も降りたい場所で運転手に言えば降ろしてくれる。
この緩さがメキシコ。
基本情報として、カンクンは主にダウンタウンとホテルゾーンの二つに分かれている。
せっかくなので今回はホテルゾーンにあるオールインクルーシブのホテルに滞在してみた。


カンクンは11月でも30度越え。
暑さに負けじと最も栄えている市場「メルカド28」へ。



メルカドを一通り探索し、お腹が空いたのでカンクンで有名なタコスのお店へ向かう事に。
バスの乗り方にも慣れてきたので近くで適当に降ろしてもらい、Googleマップを頼りに人通りの少ない道を歩いていく。
そして路上に面した屋台を発見!

ここは「カルニタス」と呼ばれる豚のあらゆる部位を余すこと無くラードで煮込んだタコスが有名。

ブッチェと呼ばれる食道の部分が美味しいとの事だったが、人気部位で既に売り切れだった為、マシーサ(ロースやヒレ)とミクスト(全部位ミックス)を注文。

ここも例に同じくサルサをお好みでかけて食べるのだが、これが運命の分かれ道であった。

先程も言ったが、カンクンは真夏である。
そしてこの店はほとんど外に面していて、当たり前だが厨房の空調など我々の飲食スペースまで届かない。
生野菜を使った水っぽいサルサがこの蒸し暑い場所に常温放置されている時点で気付くべきだったのだが、徹底してミネラルウォーターだけを飲み、屋台の生の果物や氷でさえ細心の注意を払い、ここまで順調に胃腸を守り抜いていた私は完全に油断しきっていたのだ。
数時間後、ついにこの台詞をい言う時がきた。
皆も言いたくてウズウズしているずだろう。
せーの、「ドンデ エスタ エル バーニョ〜 !!!」
完全に「エクスペクト・パトローナム」と同じ語感の為、この言葉を放つ際には本家と同じく最も幸せだった記憶を思い起こす必要がある。
この時の私にとって最も幸せな記憶はサルサをかける前の記憶である。
結局その日は行く場所行く場所でトイレを探すはめになった。
流石にライムの殺菌作用だけでは賄いきれなかった。
カンクンの水はヤベェだろ。
だが異国の地で腹を壊す事もまた旅の醍醐味である。
それに、サルサのないタコスなんてウェボスのないウェボス・ランチェロスも同然だし、チレのないチャモヤーダも甚だしい。
オフチョベットしていないだけマシである。
私はサルサをかけた事を後悔していない。
後悔、していない。
翌朝、ディメンターサルサとの戦いに完全勝利した私は意気揚々にある場所へ向かっていた。
それは、イスラ・ムヘーレスへ向かうフェリー乗り場だ。


このフェリーに乗って島へ向かう。
フェリーの上ではスナックの販売をする若者がいたり、おじさんがサックスの演奏をするなど観光客仕様。
サックスオジが唐突にGipsy Kingsを演奏し始めた時には例外なく私の中のラテンスピリットが騒いだのでチップが弾んだ。

イスラ・ムヘーレス(Isla Mujeres)は、「女神の島」という意味。





ビーチもそこそこに、私には目指すべき場所があった。
それは『BABY BLUE SKY』でロケ地となった墓地。



多分イスラ・ムへーレス唯一の市営墓地。
日本で見た写真と同じ場所に、今自分が存在している事実に大感動。
特に何をする訳でもなく一時間くらいいた気がする。







忘れているかもしれないが、ここまで来たのは肝心の前世問題があるからだ。
前世で所以がなければこんな場所までわざわざ来ないはず。
占い師には「あなたの島での記憶はトラウマでもあるから、その場所に行くと悲しい気持ちになったり、憂鬱になるかもしれない」とも言われていた為、正直なところ少し身構えていた。
結果としては、特に何もなかった。
涙が出るとかスピリチュアルな体験が出来るんじゃないかと期待していたのだが、お土産屋のダル絡みがウザくて予定より早くカンクンに戻った。
写真集を見る限り、もっとイノセントな何かを期待していたのだが、思っていたよりも観光客向けの島で良くも悪くも商売にがめつい人らが多かった。
これはあれだ、アフリカの先住民族的な人達が意外とスマホとか持っててガッカリするみたいなやつだ。
勝手な期待をしているこっちの非なのだが、これもまた実際に行かなければ分からなかった事だ。
占い師に文句を言いたい訳でもない。
海外旅行って、案外"思ってたより"な事の連続であるし、慣れない国での滞在はどうしてもストレスが溜まる。
でも、その国にいる間は文化の違いを受け入れるのが最も健康的な旅の楽しみ方であろう。
その道中、日本では体験出来ない特大感情揺さぶり案件(今回で言えばグアナファトの夜景だったり、初めて食べた本場のタコスの美味しさだったり)が時たま現れて、それが人によっては人生観をまるっと変えてしまう事になったりするのが、旅の真価なのだと感じた。
本来であれば一人でメキシコまでいってほとんどトラブル無しで帰って来れた事に絶対的に感謝するべきなのだが、普段ノージョブフドウや無敵のレオなどのハードボイルドな旅系YouTuberを見てる私からすると、生ぬるすぎる内容であった。
もし私がハードボイルド旅系YouTuberなら全てお蔵入りである。(世界一要らない心配)
今回はだいぶ掻い摘んで書いたので、もっと細々した出来事は沢山あった。
個性豊かなUberタクシーの運転手たちのエピソードや、ホテルマンの青年に求愛された話、グアナファトで一日中遭遇し続ける日本人観光客や、カードが使えなくなって今世紀最大のコミュ力を発揮した話など。
総括すると、メキシコ人は大抵皆優しい。
「Hola!」って挨拶したらにっこり「Hola!」って返してくれるし、困っていると助けてくれるし、自由にやりたい時は放っておいてもくれる。
中南米独特の陽気で明るい雰囲気と、良い意味で適当な感じがひとり旅初心者にはうってつけであった。
それに、旅をすると日本に帰ってきてからの日々がより充実するような気がする。
当たり前に言葉は通じるし、どこもかしこも清潔で、ご飯はありえないくらい美味い。
それがどれだけ嬉しいことか。
身内となら話のネタにもなるし、店員さんとか知らない人とコミュニケーションを交わす際に変な躊躇が無くなる。
たとえ日本で迷惑系に遭遇したとしても、謎に心穏やかでいられる耐性を獲得した。
だってメキシコでもっとヤバい奴をたくさん見たから。
帰国してから約一ヶ月ほどはメキシコにいた時のテンションのまま生活していた為、あらゆる事に敏感に、新鮮に、温厚に、寛容になっていた気がする。
また行くとしたら、、、10年後くらいかな!!!

帰国から数日後、一通の封筒が届いた。
送り主は、、、「成田空港警察署」!?!?!!
((えっっ、私ヤバいブツとかなんかの手違いで持ち込んじゃってた?!え、こわいこわい。もしかして騙された?そしたら終わりやん!警察やん!え、その場合メキシコの法律で裁かれるの?!メキシコの怖い人達と同じ刑務所だったら完全詰みじゃん!!ヤバイヤバイ))
と、動揺しながら封を開けると
「パスポートの落し物を取りに来てください」
との通告が。
無事に日本に到着し気が抜けきっていた私は知らぬ間に成田空港内でパスポートを紛失していたのである。
本当にバカすぎる。
嗚呼、神様。
メキシコの刑務所に入るような事が無くて本当に良かった。
生きて帰ってこれた事に感謝します。
日本から愛を込めて、ムーチャス グラシアス。
〜おまけ〜
メキシコから帰ってきてから我が家のトイレはこんなに可愛くなりました🧡

