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毎日が教員時代の夏休み、退職して気づいた「余白」のある働き方

「夏休みがあるから、もう少し頑張ろう」と思えていた

教員だった頃、夏休みが好きでした。

朝は8時半くらいに学校に着けばいい。
いつもよりゆったりと仕事ができる。

お昼休みも、ちゃんと休憩時間がある。

職員室で先生たちと、普段はなかなかできないような話をすることもできる。

子どもが忘れ物を取りに来れば、少し話をする。
保護者の方が来られれば、ゆっくりお話を聞くこともできる。

「先生、ありがとうございました」と言ってくださる保護者の方と話しながら、こちらも自分が伝えたいことを、言葉を選びながら、ゆったりと伝えることができる。

校内の先生方だけではない。

近隣の学校の先生や、同じ分野で研究や実践をしている先生と、子どもたちのことや教育のことについて話すこともできる。

そして、有給休暇も比較的取りやすい。

そんな「ゆったりした夏休み」が、私は好きでした。

今振り返ってみると、夏休みは単なる休暇ではなかったのだと思います。

毎日、子どもたちと向き合い、授業をして、保護者と話し、校務をこなし、時間に追われる日々。

「もう辞めたいな」と思うことがあっても、

「もう少し頑張れば夏休みが来る」

「夏休みになったら、少し休める」

「また2学期から頑張ろう」

そう思えることが、私にとって大きな支えになっていたのだと思います。

夏休みは、教員を続けるための「小さな回復期間」だったのかもしれません。

そして今、退職して2回目の夏を迎えています。

でも、ふと気づきました。

「そういえば、今年は夏休みだから嬉しい、という感覚があまりないな」と。

もちろん、夏は好きです。

でも、以前のような、

「ここまで頑張った。やっと夏休みだ」

という感覚がありません。

なぜなら、今は、

「毎日が、あの頃の夏休みみたいだから。」

朝、慌ただしく出勤する必要もない。

自分で仕事の量やペースを決められる。

休憩したければ休憩する。

人と話したければ話す。

考えたいことがあれば、立ち止まって考える。

自分がやりたいことに時間を使うこともできる。

もちろん、仕事はほそぼそですが、
でも、「自分の人生の時間を、自分で使っている」という感覚があります。

教員だった頃の私は、夏休みを心待ちにしていました。

今の私は、毎日の中に、あの「夏休みのゆったりした感覚」がある。

それは、退職してみて初めて気づいたことでした。

あの頃の私は、夏休みがあるから頑張れていた。

そして今は、

「夏休みくらいの余白が、毎日の中にあってもいいんだ」

と思っています。

仕事を頑張ることと、人生を大切にすることは、どちらか一方を選ぶことではない。

しっかり働いて、しっかり休む。

人と話して、ひとりになる。

誰かのために動いて、自分のための時間も持つ。

そんな働き方があってもいい。

「毎日が夏休みくらいの余白を持っている」

今の私は、そんな働き方が、ちょうどいいのかもしれません。

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