【短編小説】シュガーホステル
〈あらすじ〉
この物語は、二〇二四年に、神奈川県小田原市本町にオープンする作家応援の宿「旅籠屋さとう」というゲストハウスに泊まりに来た、三人の架空旅行客の短編物語である。宿に来る理由も、暮らしてきた環境も違う三人が、何を思うのか。それぞれ小田原で得た思いを胸に、三人とも新たな人生が始まっていく。
氏名(name) 田畑まち
ピロロ。ピロロ 。
スマホのアラームが鳴ると同時に、まちはぱっと目を覚ました。
布団の横には昨日まとめておいた荷物、前の壁には今日着て行く服がハンガーにかけてある。一人旅は久しぶりだ。旅行の時にはリュック一つで荷物を済ませるのが彼女のルール。現地で洗濯して毎日同じ服でも構わないが、今回は予備のシャツも入れてある。外はまだ肌寒さを感じるが、日中は半袖じゃないと耐えられないほどの暑さになる。
「電車の中で食べてね」。お母さんが作ってくれたサンドウィッチを受け取り、まちは階段を降りた。今日は小田原へ行く。新横浜から新幹線で十五分程らしいが、今日は最寄りの川崎駅から東海道線のグリーン車に乗って小田原へ向かう。このサンドウィッチはその電車の中で食べようと思っただけでワクワクしてきた。
看護師になって四年が経ち、現在二十六歳。実家暮らしで家のことは全くしない。が、おつまみ作りが好きで、休みの前の日にはキッチンで飲みながらおつまみを作って、食べて、飲んでを繰り返すのが一番の幸せだった。五年目の仕事には慣れてきたが、新人感も否めない。看護師のスキルを上げるためにもやってみたいことはあるが、今の仕事を完璧に熟せているわけではないので、転職とまでは思わない。でも、イライラすることやむかつくことがあると、この場所にいたくないと思うことも増えてきた。そんな思いから今回二連休という休みをとって旅に出ることにした。自分と向き合う時間がちゃんと欲しかった。
顔を洗って歯磨きをし、早速出かける。昔は興味本位で、化粧にこだわる女性になりたかったけれど、最近はシンプルに生きる女性に憧れて、日焼け止めクリームしか塗らない。 「行ってきます」とお母さんに声をかけて玄関を出た。サンドウィッチはお母さんが手提げに入れて持たせてくれた。駅の近くのコンビニでコーヒーを買って、電車で食べよう。わくわくしてきたまちは、ほんの少し早歩きになった。どうでもいいことだが、私はコンビニでドリンクバーみたいなコーヒーマシンでのコーヒーを買うことが苦手だ。美味しいのは知っている。でもわざわざ氷入りカップを買って、自分で入れなくてはいけないシステムが面倒に思えてしまう。それに機械の淹れてくれる速度が遅くて後ろの人を待たせてしまったり、大きな音で「プシュー」とか鳴るがなんとなく苦手なのだ。
小田原へは初めて行く。久しぶりの一人旅だし、部屋に露天風呂があって部屋食のある箱根の旅館にでも行こうかと思っていたが、インスタグラムで検索していると気になる宿が出てきた。
『小田原で作家応援民宿を始めます。ライスバーガーとレモネードのあかねです。』作家応援民宿とは何なのかと思って詳しく見ていると、どうやら作家さんがこの宿で作品を作ったりできるらしい。ライスバーガーとレモネードについてはよくわからなかったけど、飲食店をやっている人がゲストハウスを始めたということらしい。小田原にはゆかりのある著名人が多いとテレビでもよく耳にした。創造に胸を膨らませ今回はこの宿に決めた。私は特に秀でた才能もなく、昔から平凡に生きてきたが、ドラマや映画、小説が好きで、気づけば同じ脚本家や作家の作品ばかりを見ている。私の好きな人たちも泊まったりしたのかなと思うとワクワクしてきた。
川崎駅のホームに降りると、予定時間通りの電車が到着するメロディが流れた。窓側の席を陣取り、そそくさとテーブルを出してコンビニのコーヒーとお母さんのサンドウィッチを並べた。発車してからしばらく外を見つめていた。ドラマの一シーンでよく見かける黄昏ている女を演じてみたが、目の前の美味しそうな食べ物には敵わず、五分もしないうちに手をつけた。サンドウィッチにはハムときゅうり、卵、マーマレードの3種類が入っていた。職場の休憩室で食べるお弁当はいつもゆっくり食べられない。十分程度で流し込み、歯磨きをして、トイレを済ませ、カルテの記録時間に勤しむ。電車の外を見つめながら、こんなにものんびりと食事ができることに至福を感じた。
AirPodsでお気に入りの曲と共に小田原へ向かう。少し寝ようと思っていたけど、案外早く着いた。「思ったより人が多い」川崎に比べたら人は少ないが、外国人も多くて少し驚いた。改札を出るとスマホでマップを開き、まずは宿を目指す。宿の方には小田原城も海も近くにあるようだから、そっちの方へ行ってから考えよう。
小田原駅から宿までは徒歩十五分。バスで八分か。散歩がてら歩いてみようとまちは思った。古い町並みと新しいビルが混在する風景が広がっている。途中で見かけた古い商店や書店には、昭和の映画で目にしたような、どこか懐かしい雰囲気が漂っていた。まちはこの町の歴史を感じながら歩いた。やがて、目的の宿「作家応援の宿」が見えてきた。
「文房具・事務用品…」看板の横にそう書いてあった。もともとは文具屋さんだったのか。昔ながらの風情をそのままに、新しい宿として生まれ変わったことを物語っていた。宿のドアを開けると、やさしい木の香りが漂い、落ち着いた雰囲気が広がっている。受付には男性が一人座っていた。
「こんにちは。ご宿泊の方ですか?」
まちは少し緊張しながら、
「はい。まだチェックインには早いですよね。」
「そうですね。ここは十五時チェックインです。それと、私は受付の者ではありません。」
「え?」
「ここは宿のコミュニティスペースで、日替わりで小田原の作家が在中しています。今日は私の日で、自分の作品を展示・販売しているんです。」
「なるほど。」
男性の心地よい声のトーンに温かさを感じ、自然と笑顔になった。
「近所には海も近いですし、カフェや飲食店、雑貨屋もあります。チェックインまでどうぞごゆっくりお過ごしください。ここでも作品をご覧になっていただいてても構いませんよ。」
まちは、暫くこの場所を堪能することにした。コミュニティスペースにはベンチがあり、壁には様々な作品が飾ってあった。小説や雑誌の切り抜きが貼られており、それは全て「旅に関すること」が書かれていた。
一つ一つの言葉を丁寧に読んでいくと、この旅を始めた理由を思い出した。
看護師という、今の仕事は好きだし、誰かを救える立場にあることを誇りに思う。ただ、最近は楽しみを見つけることが難しくなってきて、今日のノルマ、と日々の業務を淡々と熟すしかなかった。そうなってしまった自分がなんだか嫌になってしまったのだ。もっと楽しく、働きたい。
この壁に貼られている小説の1文や作品を目にすることで、まちの心のモヤモヤが解けたような気がした。
せっかくだから海を見に行こうと、コミュニティスペースを後にして再び出かけた。歩いて四分程で到着し、輝く海に感動した。天気が良く風も気持ちがいい日だった。ただ海を見ているだけで心が穏やかになり、ここに来てよかった。と思った。
近所のカフェには小田原に詳しい店主がいると、宿の作家さんが言っていたので行ってみることにした。
「ここだ」
そこは自家焙煎の珈琲を提供するお店だった。店内は古民家の雰囲気で、入るだけで落ち着く空間だった。
「アイスコーヒーとかまぼこチーズケーキをお願いします。」
静かにジャズが流れる店内はまちと店主だけの空間であった。病棟内ではこんなにも静かになる場所はない。本棚には小田原○○といった、この地に関するであろう本がずらりとならんでいた。まちは非日常を感じ、旅にきたという実感が増した。
「ご旅行ですか?」
「はい。今日明日で。」
「そうでしたか。小田原は初めてですか」
「初めてです。日頃看護師をやっているもので、この町の静けさに感動しています」
「そうですね。今は駅から離れると少し静かな町かもしれません。」
「今は?」
「昔はこの地域は栄えていました。夜のお店が多かったので、人が集まっていた場所です。今は新しいお店も増えて、お洒落なお店も多いです。宿はこの辺ですか?」
「そうだったんですね。はい。今夜はシュガーホステルに宿泊します。」
「あ、あかねちゃんの所ですね。江戸時代にはこの辺に百軒近くの宿があって、彼女はそこに注目したみたいです。文豪や作家も多く訪れた町ということで『作家応援の宿』として始めたそうです。」
「なるほど。そういうことだったんですね。」
だから作家応援の宿なのか。この地域の特性に基づいて始めた宿なんだ。
気づくとチェックインの時間となり、お会計をした。
「ドリンクとケーキで千円です。」
「え?こんなに安くていいんですか?」
「はい。」
自家焙煎の珈琲と美味しいチーズケーキで破格だと思った。こんなお店が近所にあったら毎日でも来たい。小田原って最高。
宿のチェックインは事前にパスコードがメールで送られてきて、自分で鍵を取るシステム。部屋に入ると、『ご予約のお客様』という紙が1枚机の上に置かれていた。
本日は旅籠屋さとうへご宿泊いただき誠にありがとうございます。長旅でお疲れではありませんか。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。
旅籠屋さとう 女将あかね
部屋の中を見渡すと、シンプルでありながらもレトロ感漂う空気が流れていた。部屋の一角には小さな書斎コーナーがあり、机の上には手書きのメモや古い文具が置かれている。まちはその一つ一つに触れながら、ここがただの宿泊施設ではなく、作家のための特別な場所であることを感じ取った。
「この宿では、何か新しいことを始められるかもしれない。」
不思議とそう思いながら、まちは引き出しを引いた。そこには一冊のノートがあった。
「リレー小説No.1」
【このノートは宿泊された皆様と、女将あかねが作っていくリレー小説です。既に書いてある文章の隣の行に一文書き加えて、ストーリーを繋げてください。】
「おもしろい。作家じゃなくてもいいんだ。」
まちは作家の仲間になれるかもしれないという新しい気持ちを抱きながらも早速ノートを開き、ペンを手に取った。
ペンを走らせながら、普段の忙しない日常から解放された感覚を嚙みしめていた。ここに来たお陰で自分自身と向き合うことができた。書き始めた言葉は、まちの心の奥底にあった思いを少しずつ引き出してくれるようだった。
夕方になり、少しふらっとしようと外に出ると、歩道橋の上から小田原城が見えた。近づいて見ると、その迫力に歴史あるこの城はまちにとって新たなインスピレーションの源となった。
「ほんと、ここに来てよかった。」
まちは心の中でそうつぶやき、再び宿近くの小田原の町へと戻っていった。
行きの電車の中から、この旅が、まちにとって特別なものになる予感がしていた。創作の息吹が感じられるこの場所で、まちはこれからの人生を考えるきっかけを得ることができた。明日のことはまだ誰にもわからない。しかし、確かなのは、ここで過ごす時間がまちにとって大切なものになるということだ。
氏名(name) 金城ゆう
ゆうはスマホのアラームが鳴る前に目を覚ました。最近、コーヒー豆を挽いてすぐにハンドドリップでコーヒーを淹れるこのにハマっている。コーヒーを飲みながら昨夜届いていたLINEとSNSを確認し、ついでにニュースもチェックする。今日は特別な日だ。沖縄から小田原への旅。新しい一歩を踏み出すための三日間が始まる。
果物やヨーグルトが普段の朝食。しかし今日は飛行機の中で食べることを楽しみにしているので、コーヒーとチョコクッキーだけにした。昨日のうちにまとめておいた荷物をもう一度確認し、シャツと短パンに着替えて家を出る。荷物はできるだけ少なめにすることが彼の旅のルールだ。
小田原へは初めて行く。沖縄に生まれ、沖縄で育ち、時々東京に行くことはあったが、ここ数年はコロナの影響もあり、旅行には行けていなかった。数年前、石垣島で出会った神奈川出身の女性との再会を期待しながら、那覇空港へ向かうバスに乗った。彼女とは一度だけ短期間の付き合いがあったが、その後、連絡が途絶えてしまった。しかし、昨年彼女から小田原に住んでいるとの連絡が突然届いた。この旅は彼女にもう一度会いたいという本音と、今、考えていることへの答えを得るためのものだった。
那覇空港では、ポークたまごおにぎりとさんぴん茶を買って飛行機に乗る。二時間ほどのフライトはあっという間に感じた。羽田空港からは京急線で品川まで行き、そこから新幹線で小田原へ向かう。初めての新幹線に少し緊張しながらも、みどりの窓口のお姉さんの助けを借りて無事に乗ることができた。
巷はゴールデンウィークの真っ只中。小田原では北條五代祭りと例大祭が行われており、町全体が活気に満ちていた。ゆうは初めての小田原の地に立ち、目の前に広がる賑やかな風景に心が躍った。
「人々の熱気と笑顔が溢れる中、どこか懐かしいような気持ちが胸に広がっていた。
賑やかな方へ歩き出すと、作家応援の宿『シュガーホステル』に到着した。「ここがあかねちゃんの宿か」と再会の緊張と楽しみがこみ上げ、ゆっくりと戸を開ける。中に入ると温かい木の香りが漂い、落ち着いた雰囲気が広がっていた。
「こんにちは、宿泊の方ですか?」
「はい。」あかねちゃんではなかった。
「ここは宿のコミュニティスペースで、日替わりで小田原の作家が在中しています。今日は私の日で、自分の作品を展示・販売しているんです。そして今日は、もうお気づきかと思いますが、小田原一のお祭りの日です。チェックインまではまだ時間があるかと思いますので、どうぞお楽しみください。」
作家が在中していることに驚きながら、ゆうは店内を見渡した。展示物が多く、壁には夕焼け空と海の色が塗られており、窓枠のような装飾に小説や雑誌が切り取られて貼られていた。アクセサリーも展示されている。
「これ、販売しているのですか?」
「そうです。私の好きなものを置いてみました。」
先ほどとは違う声がして振り向くと、そこには懐かしい顔があった。
「お久しぶりです、ゆうさん。お元気そうですね。」
「久しぶり。あかねちゃん。すごいね。本当にやっているんだね。」
久しぶりの再会に、ドギマギしながらも当時と変わらない彼女の姿に安心した。
「ようこそ、ゆうさん。今日は小田原の特別な祭りの日で、ぜひ楽しんでくださいね。」
あかねちゃんには沢山聞きたいことがあったが、今日はこの祭りの日ということもあって、浴衣姿で忙しそうにしていた。この旅は二泊三日と時間がある。またでいいか。と、ゆうは町に繰り出すことにした。
ゆうは町を散策し、古い町並みと祭りの熱気が交わる光景を楽しんだ。屋台で地元の名物ちくわとビールを味わい、小田原城まで歩いた。ベンチに腰を下ろし、観光客や家族連れ、外国人が多く集まる様子を眺めながら、自分の将来について思いを巡らせた。
沖縄では高校教師として十年以上が経っていた。趣味も多く、仕事終わりにサッカーやバスケをすることもしばしば。また、1年前にできた年上の彼女の影響もあり、コーヒーにハマっている。彼女とは、結婚も視野に入れてお付き合いを始めたが、最近では喫茶店を始めたいとまで思い始めている。仕事自体は好きだが、自分の好きなことを仕事にしているあかねちゃんには、どこか憧れがあった。小田原の焼ちくらと缶ビールを飲んでいたら、チェックインの時間となった。
宿に戻り、チェックインを済ませた彼は自分の部屋に入った。部屋はシンプルでありながらも温かみがあり、特に少し高さのあるロフトには心惹かれるものがあった。すぐに上り、壁に寄りかかり窓の外を見つめた。
「前のマンションがよく見える。」洗濯物を取り込む人、ベランダでたばこを吸っている人、日常の中を感じることができるこの部屋は、不思議と落ち着くことができた。今、ここにいる自分。こんな時間、久しぶりだなと思った。ここでなら、自分の答えも見つかるかもしれない、と思った。
ロフトから降り、書斎のテーブルの上に本があるのを見つけた。
書斎の椅子に腰を下ろし、ゆっくりと深呼吸をした。
短編小説であったのですぐに読むことができた。
「すごいな、あかねちゃん。 やりたかったことを本当に叶えてる」
普段の忙しない日常から解放され、自分自身と向き合う時間がここにはあった。彼は自然と、机の中にあったペンとノートを取り出した。白紙を見つめ、少しずつ心の中の思いを紙に綴り始めた。
あかねちゃんへ
はじめて会った時からやりたいことがハッキリしていたね。夜な夜な語り合った夢の話を今でも時々思い出します。僕は今、やりたいことと、進まなければならない道の狭間にいて、どちらに進めばよいのか、悩んでいるところです。でも、今日、この宿に来て、小田原という町に触れ、あかねちゃんが夢をこんな素敵な形にしていることに、感動しました。僕は、
初めて来た小田原という町で、祭りという活気に包まれ、酔いが早く回ってしまったのか、その日はそのまま眠ってしまった。
翌朝、ゆうは早起きして小田原城を訪れた。朝日が昇る城を眺めながら、新たな一歩を踏み出せるような気がしていた。
昼頃になると、宿の作家さんが薦めてくれた近所の老舗の店で昼食を楽しむことにした。店内は温かみのある雰囲気で、地元の人々が集まる、憩いの場という感じがした。ゆうは地元の食材を使った料理を注文した。
「小田原の魚って美味しい。」
新鮮な刺身をいただき、至福な時を過ごした。再び宿に戻り、シャワールームに行こうとすると、あかねちゃんに会った。
「ゆうさん、小田原楽しめてますか」
「あかねちゃん、久しぶりに会えて嬉しいよ。小田原、良いところだね。あかねちゃんが好きになる意味が少しわかった気がする。それと、自分の夢に向かっている姿は本当に素敵だと思う。」
「私もまた会えてうれしいです。来ていただいて、ありがとうございます。今夜は、松原神社の宮入りです。ぜひ見ていってください。」
「宮入り?」
「日中、商店を周っていたお神輿たちが、順番に松原神社へと入っていくんです。なんだか私はいつも感動してしまいます。」
「そうなんだ。よかったら、今から一緒に見に行かない?」
「そうですね。行きましょう」
あの頃のように二人並んで歩くことができるなんて少し照れ臭かった。でもせっかく来たのだし少しは話がしたかった。宮入りは、地域の人達が、重たそうなお神輿を担ぎ、次々に松原神社へと入っていった。
おいさー こりゃーさー
わたしゃ小田原よー 荒波育ちだぞ よいとーなー
ふとあかねちゃんを見ると、涙を流しているようだった。
「大丈夫?」
「違うんです。この宿を始めるのに結構色んなことがあって。そして、この地域の人たちの熱量というか情熱が、なんかぐっときちゃいました。」
「何か、分かる気がする。でも、あかねちゃんの頑張っている姿に、何だか勇気を貰ったよ。実は今、喫茶店を始めようとしていて。今、その決心がついた気がする。」
「凄い。ゆうさんも新たな一歩を踏み出せるきっかけが作れたなんて。嬉しいです。」
「ありがとう。」
あかねちゃんの頑張る姿とお神輿を担ぐ人たちに刺激を受けたゆうは、さらに自分の夢に向かって努力する決意を新たにした。そして、昨日のノートの続きを書くことにした。
僕は、喫茶店を始めようと思う。教師の仕事は好きだけど、この先が見えなくなっていたんだ。経済的なこととか経営のこととか不安はあるけれど、やりたいんだ。この場所に来て、心からやりたいと思うことができた。お店ができた時にはあかねちゃんにもぜひ来てほしい。次は沖縄で会いましょう。お元気で。
金城ゆう
喫茶店を始めるという大きな決断をした彼にとって、この旅が新たなインスピレーションと勇気を与えてくれることを願いつつ、ゆうは夜の静寂に包まれながら再会を喜びつつ、眠りについた。
最終日、ゆうは再び小田原城を訪れ、本殿を見ながら新たな決意を胸に刻んだ。宿で過ごした時間が、彼にとって特別なものであったことを感じながら、彼は一歩一歩進んでいくことを誓った。この宿での経験が、ゆうにとって大切なものとなり、彼の人生に新たな章を刻むこととなった。
「ここで過ごす時間が、僕にとって特別なものになった。」
彼は心の中でそうつぶやき、これから始まる新しい挑戦に向けて、一歩一歩進んでいくことを誓った。そして、この旅が彼にとって新たなスタートのきっかけとなることを確信しながら、ゆうは小田原の地を後にした。
氏名(name) 田中さなえ
朝5時起き。子どもが小学生にあがる頃からアラームを使わなくても自然と目が覚めるようになっていた。冷凍しておいた白米、ウインナーとブロッコリーを茹で、即席味噌汁で朝食を準備した。心配性なため、昨夜から大きな旅行バックとハンドバックをしっかり準備していた。昔から子供たちや旦那が忘れ物をしがちであったため、自分が何でも多めに持つようになっていたのだ。
昨年の春、さなえは離婚した。子どもは二人。一人は社会人で、もう一人は大学生。主婦業をやりながら家計の足しになればと飲食店でのパートをしていたが、その働いている時間がいつの間にかとても大切な時間となり、一人で過ごす時間をつくることが増えていった。毎日が淡々と過ぎるこの生活と夫婦の未来を考えた時、明るい楽しい未来が見えなくなった。お互いがやりたいことを自由に突き詰められたほうがいいのではないかと夫に相談した。すると、夫も同じことを考えていたと。両者の意見が一致したところで、別れを選んだ。元夫とは仲が悪いわけではなかったが、目指す方向がいつも違っていた。
若い頃には寿退社がステータスとされていた。新卒で入社した会社の女同期との会話はいつも会社の男性の話題だった。元夫とは取引先の飲み会で出会い、たまたま隣に座った際に意気投合した。思えば、あの時が一番会話が弾んだかもしれない。ほろ酔いの中での本音の会話。その時はメールアドレスを交換し、次に会った時には二人きりで会うようになった。彼は寡黙で、常にさなえに合わせてくれた。「どこに行きたい?」と聞いてくれる彼に、さなえは心地よさを感じていた。
何回かデートを重ね、やがてあかね空の広がる鎌倉の海辺で彼から告白された。付き合い始めてからはトントン拍子に話が進み、一年後に結婚。さらに一年後に子供が生まれ、そのまた四年後に二人目が生まれた。専業主婦になることが夢だったさなえは、夢のような生活を手に入れたと思っていた。がそんなことは数年で終わった。子育てと家事だけの生活をしていると時々息が詰まることがあった。
秋の涼しい風が心地よい朝、さなえは新宿からロマンスカーに乗り込んだ。子供たちが独立してから初めての一人旅だ。窓の外に広がる美しい風景を眺めながら、これからの自分の人生について思いを巡らせた。
『シュガーホステル』に到着すると、あかねさんが笑顔で迎えてくれた。初めて会うあかねさんの温かい笑顔が、さなえの心を和ませた。
「あなたがあかねさんですね。初めまして。」
「はい。あかねです。本日はお越しいただきありがとうございます。普段は在中しているのが、小田原の作家さんなのですが、今日は皆さんお休みですので、私が店番です。」
先日、友人からインスタグラムで「ライスバーガーとレモネード」というお店をやっている女性が宿を出すという話を聞いた。その宿は「作家応援の宿」というあまり聞いたことがないコンセプトだった。小田原は若い頃に箱根旅行のついでに立ち寄っただけであまり知らない場所だったが、古い町並みや城へ向かうお堀端通りの懐かしさに心地よい空間を感じていた。
チェックインを済ませ、案内された部屋に入ると、さなえはその静けさと落ち着いた空気に心から安らぎを感じた。ついでに館内も探索していると、「変な部屋」という名前の部屋が気になった。その部屋には大きなスクリーンと快適なソファ、たくさんの本やCDが並べられており、映画鑑賞や音楽鑑賞、読書などが楽しめる特別な空間だった。
「一人で映画鑑賞なんて、いつぶりだろう。」
そう思いながら、さなえはソファに腰を下ろし、映画を見始めた。旅行の中で一人で映画を見るという違和感の中、普段の忙しない日常から解放され、自分自身と向き合う時間がここにはあった。さなえはゆっくりとした時間を楽しみながら、映画と自分の人生を照らし合わせた。
夕方になると、さなえは隣の老舗の店で夕食を楽しむことにした。店内は温かみのある雰囲気で、地元の人々が集まる憩いの場となっていた。さなえは地元の食材を使った料理を楽しみながら、静かに自分の時間を過ごした。
「美味しいご飯にお酒。幸せ…」
さなえは、かつて文豪や作家、映画監督たちが愛したこの地の魅力を少しずつ理解し始めていた。
「この店もきっと愛されたお店だったのね。」
夕食を終え宿に戻ると、夜の静けさが彼女を迎え入れた。部屋の窓から見える月明かりが、彼女の心をさらに落ち着かせてくれた。
暫くして、喉が渇きダイニングルームに寄るとあかねさんがいた。
「こんばんは、さなえさん、ですよね。」
「こんばんは。インスタグラムを見て来たんです。色んなことされていて、凄いですね。」
「インスタグラム見ていただけて嬉しいです。ありがとうございます。両親や家族との夢を実現するためにこの宿を作ったので、夢が現実となった今、私は凄く幸せなんです。小田原には移住してきて、まだまだ知らないことばかりですが、この素敵な町との出会いがあったので、これからも頑張れる気がしています。さなえさん、もしよろしければ、一杯一緒にいかがですか?」
「喜んで 」
それから、色んな話をした。離婚した話も、今の夢の話も。
あかねさんの頑張る姿に刺激を受けたさなえは、さらに自分の夢に向かって努力する決意を新たにした。離婚後の新しい生活に対する不安や期待が入り混じる中、この宿で過ごす時間が彼女にとって重要な転機となることを感じていた。
次の日の朝、さなえは早起きして海へと向かった。どこまでも続いているような水平線を眺めながら、彼女は新たな一歩を踏み出す決意を固めた。
「ここで過ごす時間が、私にとって特別なものになったわ。」
彼女は心の中でそうつぶやき、これから始まる新しい生活に向けて、
「少しずつ楽しい人生にしていこう」と思った。そして、彼女にとって旅行とは自分を見つめ直す時間としてこれからも時折続けていこうと決めた。次来るときには、もうお母さんらしらを無くし、一人の女としてでかけたいと思った。旅のルールなんかも作っちゃったりして。この旅が、さなえにとって大切なものとなり、これからの人生を後押ししてくれたような気がした。
そして、彼女は自分自身の手で切り開いていく自信得ると共に、未来がちょっぴり楽しみなものとなった。
