鶴巻さん 2


「圭太郎君は本当に人の話をよく聞いて、だから勝負強いのよ」


少し栄えた街には多くのビルが立ち並んでいる。携帯ショップや区役所、会計事務所、銀行、小洒落た飲食店。この街に住んでいる人は楽しそうだと圭太郎は思った。そんな大通りを避けて何もない高架下から帰ろうとする鶴巻さんを圭太郎は見つけた。定年間近の鶴巻さんは決して美人ではないが、背負った責任はしっかりと果たす顔をいている。150センチに満たない低い身長に、昔ながらのオカッパヘアー。黒縁メガネをして今日も少しだけ横に体を揺らしながら歩いている。松尾芭蕉の俳句、静けさや岩にしみ入る蝉の声、の岩のような存在だと圭太郎は勝手に思っていた。圭太郎は小走りで鶴巻さんまで追いついた。

「あら、偶然。帰り道こっちなの」

「まぁ、そんな感じです」

「あぁ、そう。私、大通りよりこっちの道が好きなの」

「じゃあ、僕もそうかも」

目尻が垂れて黒縁メガネの奥で鶴巻さんは笑っている。

「圭太郎君は本当に、人の話をよく聞いて。だから勝負強いのよ」

「そうですかね」

普段は自分が喋りすぎていると思っていた圭太郎は、人の話を聞いていると褒められたので照れ臭くて苦笑いした。

「いやっ、本当よ。本当。圭太郎君は本当に勝負強いっていうか。本番に強いっていうか。ここぞってところでやってくれるわ」

めずらしく興奮して話す鶴巻さんが圭太郎はおかしかった。

「ほら、実習テストがあったじゃない。みんな緊張して言葉が飛んだり、筆記テストもテンパっているのに圭太郎君だけスラスラ答えて、時間を余らせて合格してたじゃない」

圭太郎は言われてみれば他の人に比べてあまり本番でもテストでも緊張することはなかった。

「きっとご両親の育て方が良かったんだわ」

圭太郎はあまりにも的外れな気がして笑ってしまった。

「そうですかね」

「いや、絶対そうよ。だから圭太郎君、自信持っていいのよ」

あまりにも高すぎるプライドを持っていた圭太郎は自分の理想と現実があまりにもかけ離れていて周りから自信がないように思われていた。圭太郎は鶴巻さんのことを苦手かもしれないと思った。自分のことを肯定してくれるものは本しかなかった圭太郎にとって、初めて自分を肯定してくれる存在だった。いや、正確には他の人も圭太郎を認める言葉を吐いていたのかもしれないが、圭太郎の耳に入ってこなかった。なぜなら、圭太郎は周りの人を尊敬せず、むしろ見下していたからだ。それもあろうことが圭太郎が一番認めたくない存在の両親も鶴巻さんは肯定した。鶴巻さんは圭太郎の知る限り唯一、夏目漱石が好きな人でありを彼女の言葉を否定することは絶対にできなかった。


鶴巻さんと駅で別れた圭太郎は自宅の最寄駅近くのイオンでノンアルコールビールを一本買った。帰宅後のキッチンに向かうと圭太郎の母親が冷蔵庫の前でテレビを見ていた。圭太郎の母親に買ってきたノンアルコールビールを一本渡して話しかけた。

「これ、ノンアルだけど買ってきた」

「ありがと、助かるよ」

骨折してからお酒を控えて圭太郎の母親はほっぺたを緩ませていた。まだ右手首には固定のギブスしている。ノンアルコールビールに夢中になって冷蔵庫で冷やそうとしている圭太郎の母親に圭太郎は話しかけた。

「今日さ、鶴巻さんと一緒に帰ったんだ。そしたら圭太郎君は勝負強いって言われたよ」

「ふーん、あっそ」

圭太郎の母親は心底、興味がなさそうだった。

「それでさ、きっとご両親の育て方が良かったんじゃないかって言ってて」

横目でチラリ母親の顔を盗み見た圭太郎は驚いた。圭太郎の母親は大爆笑していたのだ。口を大きく開き、目尻にたくさんシワを集めていた。圭太郎は今まで自分の母親が圭太郎との会話でここまで笑った姿を見たことがなかった。目に涙を浮かべるほど笑った圭太郎の母親は一息ついて話し始めた。

「それさ、鶴巻さん。オバサンだからじゃない」

圭太郎は自分の発言を後悔した。なんで自分の母親は人に対してこんな発言をするのか全く理解できなかった。


次の日の休憩時間に圭太郎は急いで鶴巻さんのところに駆け寄った。

「鶴巻さん。ウチの両親は良い親なんかじゃありません」

鶴巻さんは黒縁メガネの奥で優しく目が垂れていた。

「どうしたの、急に」

「昨日、鶴巻さんが僕は本番に強いのは両親の育て方が良かったからだ。って言われたよって母親に伝えたんです。そしたらウチの母親、大爆笑した後、それは鶴巻さんがオバサンだから、なんて言ったんですよ」

鶴巻さんも声を出して笑っていた。普段あまり笑わないからか、鶴巻さんの笑った声が文字になりそうなほど大きい声だった。

「圭太郎君はほんと、素直。お母さん嬉しかったんだと思うよ。私がオバサンってのは照れ隠しよ」

「どういうことですか」

「そら、そうよ~。私だって娘から同じこと言われたら圭太郎君のお母さんと同じようなこと言ってしまうもん」

圭太郎は固まった。もしかしたら圭太郎は世界の表面しか見えてなかったのかもしれない。自動販売機へ飲み物を買いに行った鶴巻さんはニコニコしながら体を横に揺らしながら歩いて行った。

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