【北海道 焼尻島】北海道の秘島で見つけた、SNSに疲れた私を救うたった一つのこと
永遠に満たされない「効率中毒」の私たちへ
ねぇ、あなたもそうじゃないですか?
いつも何かに追われている感覚。スマホを閉じても、頭の中で次の予定や、やらなきゃいけないことのリストが回り続けているような状態。
仕事のタスクも、自己投資も、人間関係の維持も、SNSでの発信も、ぜんぶ「効率よく、最適解でこなしたい」って思っていませんか。私もそうでした。何をするにも「コスパ(費用対効果)は?」「タイパ(時間対効果)は?」と計算機を叩くのが癖になっていて、無駄なものに価値はないとさえ信じていたんです。
でも、その結果どうなったか。
頑張れば頑張るほど、心が削られて、自分の存在が小さく、四角い箱の中に閉じ込められていくような息苦しさだけが残りました。私は、この箱から抜け出すために、あえて真逆の選択をしました。
目指したのは、北海道の留萌地方沖に浮かぶ小さな離島、焼尻島(やぎしりとう)です。
そこは、利尻島や礼文島のような「ザ・観光」の島ではなく、「暮らし」を感じる、より小さな島です。人口はわずか150人から200人弱(記事執筆時点で198人というデータもありました)。コンビニも高校もなく、「何もないのが素敵」な一方で、「何も買えない」という現実もある場所。
私は、この日本に残された「最も非効率的で、静かな場所」に、疲弊した自分を放り込んでみることにしたんです。
完璧主義の私を打ち砕く、非効率な旅路
札幌から焼尻島へたどり着くまでには、まず車や高速バスで約3時間かけて羽幌バスターミナルへ。そして港へ向かい、高速船に乗り換えてさらに35分。遠回りな上に、船は天候次第で欠航することも多く、特に冬季は月の半分以上が欠航し、正に隔離された状態になることもあるそうです。
旅の始まりから、私の「完璧な計画」は崩れ去ります。
船のチケット売り場で、私は島名の読み方を完全に間違えました。「あの、やきじり島まで…」と言ったら、「やぎしり島ですね」と即座に訂正された始末。旅はいつも、知識や合理性なんて簡単に吹き飛ばします(笑)。ちなみに、焼尻の語源はアイヌ語の「エハンケ・シリ」(近い島)に由来するそうです。
島に着いて最初にしたことは、猫のお尻を追いかけることでした。焼尻島は猫の多い島です。
私は電動自転車を借りて、島内一周を試みました。外周は約12km。自転車をひいて登った急な坂道もありましたが、周囲に誰もいない、青くきらめく海を見ながら「ひとりぼっちであると知ることで、生きていると実感できる時がある」と感じました。この強烈な実感こそ、都会で失っていたものかもしれません。
80代の旅人が教えてくれた「宇宙のような自分」
この旅で最も大きな「心の震え」を覚えたのは、宿での出来事です。
たまたま泊まった宿で同室になったのは、定年直後のおじさんと、70代後半の元経営者のおじさん、そして32歳無職のおじさん(私)。
女将さんの計らいで、私は旅館のWi-Fi設定に難儀するおじさんのもとへ手助けに行ったのですが、その後、3人で夜通し語り合うことになりました。彼らの話は、スマホもSNSもない時代の、出会いや暮らし、別れの話。
昔の私なら、自分に直接関係ない話は「コスパが悪い」と切り上げていたかもしれません。でも、この島にいる間、私は意識的に合理性を捨ててみたんです。
すると、彼らの話の全てが興味深く、その時代の空気感、人々の感情の機微が、私の中にどんどん入ってくるのを感じました。
その瞬間、ある体感が身体に現れました。
「自分というちっぽけな点のような存在は、同時に宇宙のように果てしない」。
ああ、そうか。私は今まで、効率や成果を追い求めるあまり、この「点」の中に全ての価値を押し込もうとしていたんだ。だからこそ、少しでも無駄な時間や行動があると、焦りや不安に駆られていたんですね。
タイパという概念ごと捨て去ったとき、私は、世界と自分がシームレスにつながる感覚を覚えました。この広大な島の上で、私が求めていたのは、情報を「取りに行く」ことではなく、「広大な無の世界にアクセスし、何かが来るのを待つ」ことだったのかもしれません。
余談ですが、焼尻島は、顔の黒いサフォーク種という羊の牧畜でも有名です。その肉は北海道最高級品とされますが、年間100頭ほどしか食用にならないほど貴重な肉で、多くは東京の高級店向けに卸されるそうです。訪れた時には羊は見られませんでしたが、その希少性と非効率性こそが、この島の価値を守っているのかもしれない、と感じました。
最後に:疲れたあなたに必要なのは「静かな冒険」
私たちは、現代社会に生きる限り、完全に「効率」を捨てることはできません。でも、焼尻島が教えてくれたのは、意識的に非効率を選ぶことの重要性です。
遠回りをした坂道(天気が悪く自転車で転んでしまうような道もある)、そして、何も考えずにぼーっと海を眺める時間。これら全てが、私の中に「人生の余白」を作ってくれました。この余白こそが、私を窒息させていた「SNS疲れ」や「完璧主義」から救い出すたった一つのことだったのです。
あなたがもし今、都会の喧騒や仕事のプレッシャーで心が疲れているなら、いますぐ遠くの島に行く必要はありません。
まずは、スマホの通知をオフにして5分間「何も考えない時間」を作ってみる。あるいは、通勤中にわざと一本遅い電車を選び、近くの公園でベンチに座って空を眺めてみる。
そんな小さな「非効率」を選ぶことで、あなたの心の中にも、この島のような豊かな「余白」が生まれるはずです。
その余白こそが、あなたを縛る鎖を解き、再び前を向いて歩き出すエネルギーになるでしょう。さあ、今日からあなた自身の「静かな冒険」を始めてみませんか。
