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日本独自の暦「皇紀」と 皇居前広場の松・玉砂利・二重橋の関係

こんにちは。

日本独自の「暦」・「皇紀」をご存じですか?
「西暦」は、キリストが誕生した年を基準にしていますが、「皇紀」は、初代・神武天皇が即位した年を起源としています。そのため、皇紀元年は、西暦より660年前。
現在は「建国記念の日」とされる2月11日は、神武天皇が即位した日で、戦前は「紀元節」と呼ばれていました。

1940(昭和15)年は、皇紀2600年にあたる節目で「紀元2600年式典」がおこなわれました。皇居前広場(皇居外苑)の玉砂利は、この時期に、お祝いとして国民から献納されたものから始まったといわれています。それは、1.2㎝程度の大きさに揃えられた玉砂利だったそうで、今も、白い砂利が広く敷き詰められ整備されています。

皇居前広場の「黒松」は、1888(明治21)年の明治宮殿造営後から植えられ始めました(明治宮殿は戦争で焼失)。そして、「紀元2600年式典」の記念事業の際に、現在のような形になったと言われています。
松は繁栄と長寿のシンボル。しかも、幹が亀甲模様で縁起がいいとされています。当時の「どんどん勢いづいていくぞ」という、国の繁栄を願う空気感を映していたのかもしれません。

「正門鉄橋(二重橋)」は、「紀元2600年式典」時、天皇陛下の御臨席ルートで奉祝の中心にありました。天皇陛下と国民の空間を隔てる象徴的な境界・「正門鉄橋」は、松が植えられ始めた1888(明治21)年に、それまでの「木橋」から架け替えられたものです。

この「正門鉄橋」と、その手前にある「正門石橋」の2つの橋をさして、現在では多くの人が「二重橋」と呼んでいます。ですが、本来の二重橋は、奥の「正門鉄橋」のことをさしています。それは、木橋時代、橋げたを2段構えにして支えていた構造からきた呼び名だったからです(タイトル写真は明治の頃の二重橋)。
2つの橋が並んでいるので「見た目」で誤解され続けていますが、2つの意味があるから「二重橋」…と呼ぶのも、アリかもしれませんね。

それでは、またの日に。

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