GRAPEVINE入門(Suchmosファンのための)

僕はもう音楽ファンではなく、「元」音楽ファンと言うべきなのかもしれない。40代共働き二児の父で、仕事と家庭の両立に奔走する僕は、新しい音楽を追えなくなってしまった。

若く時間がたっぷりあった90年代〜2000年代にリアルタイムで愛聴していた音楽と、彼らに影響を与えた偉大な先人たちの名曲をディグり直すだけで、限られた時間は溶けていく。仕事でチームを率い、家事と育児をこなし、妻と語り、子供の習い事の送迎に走り、中学受験に伴走する。趣味の読書、ポッドキャスト、サッカー、ランニング、サウナ……。マジで世の中のお父さんお母さんはどうやって新しい音楽に出会っているんだろう。

そんな中、自分より年下のミュージシャンで唯一と言ってもいいかもしれない、愛聴しているバンドがSuchmosである。まぁ、カッコいいよね。

そのSuchmosが、活動再開後のツアーゲストにGRAPEVINEを指名した。このニュースを目にして最初の感想は「盆と正月が一緒に来た」。広島まで飛んでいきたいが、まぁちょっと今のライフステージとしては、1人で広島旅行してる場合じゃないですね。

そして次に思ったことが、SuchmosのファンならGRAPEVINEの良さがわかるんじゃないかな、ということだ。

もし君が、Suchmosを入り口に現代の洗練されたポップ・ミュージックの快楽に触れているリスナーだとしたら。そして、GRAPEVINEを「一世代前の、どこか懐かしい日本のロックバンド」だと定義しているのだとしたら。君の認識はちょっと「更新」される必要がある。この国で最も着実かつオルタナティヴに名曲を作り続けてきたロックバンドは、間違いなく、四半世紀をサヴァイヴしてきた、このバンドだと思うからだ。

時代のメインストリームを拒絶し、転がり続ける
1997年のデビュー。同期にはナンバーガール、くるり、スーパーカーといった、日本のロックシーンにオルタナティヴの波をもたらした強者たちがいた。

文学的な歌詞と瑞々しいメロディでヒットを飛ばしながらも、GRAPEVINEは一度として「時代の顔」になろうとはしなかった。気づけば同期の多くが姿を消し、後輩たちが彼らを神格化する中で、彼らは今もなお「最新作が常に傑作」という驚異的なサステナビリティで転がり続けている。ブームに消費されることを潔しとせず、ヒットチャートの論理から距離を置く。それでいて、音楽ファンや同業者からは絶大な信頼を勝ち得ている。流行の「型」に嵌まらぬまま25年以上サバイブし続けているという事実は、日本の音楽シーンにおけるひとつの奇跡といえるだろう。

Suchmosが提示したのは、日本語ロックをブラックミュージック以降の感覚で更新する試みだった。GRAPEVINEは、別の角度からロックを更新し続けてきた。アプローチは違うが、両者に共通するのは「変わらないけれど変わり続ける」という態度である。

洋楽の肉体化と、予測不能なグルーヴ
彼らの音楽の根底には、60年代以降のブルース、ソウル、ロック、ヒップホップ等のあらゆる音楽への深い敬愛がある。しかし、それは単なる「レトロな再現」や「様式美」ではない。「洋楽的な肉体性」を日本語で成立させてしまう高度なバランス感覚こそ、彼らの真骨頂である。

ソウルフルで繊細な「声」の魔力
田中和将のボーカルは、日本のロックボーカリストの中でも極めて異質だ。彼の歌唱の魅力は、単なる「上手さ」を超えたところにある。少年と大人、繊細さと図太さが同居したような、ソウルフルで独特な声質。ある時は気だるさや繊細さを漂わせ、またある時は喉を裂くような激情を露わにする。このダイナミズムこそが、バインの楽曲に深い陰影を与えている。言葉の意味を伝えるだけでなく、時にはグルーヴに溶け込み、時にはそれを支配する。繊細なファルセットから力強い地声への移行、そして独特のタメが生む艶やかさ。彼のボーカリゼーションは、バインの音楽が持つ「叙情性」と「黒さ」を象徴している。

稀代のストーリーテラー、或いは散文
田中和将の歌詞には、安易な「共感」や「応援」など微塵も存在しない。(いや、「あえて応援してみますけど」みたいなのはあるか。)古語、鋭い皮肉、古今東西の映画文学音楽からの引用やオマージュを織り交ぜた抽象的な歌詞。一方で、曲によっては極めて具体的な、生活感のある描写や時代風刺も飛び出す。そのどちらにおいても、退屈なJ-POPのクリシェ的なフレーズは皆無だ。

そして彼が描く世界に漂う「乾いた孤独」と「冷徹な自律」は、かつて「ロッキンオン・ジャパン」の2万字インタビューでも語られていた、波瀾万丈の生い立ちが反映されているのかもしれない。その原風景は決して「お涙頂戴」の物語ではない。そこにあるのは、どこか冷めた目をした少年が、周囲との差異を静かに受け入れ、自らの内面世界を研ぎ澄ませていくプロセスだ。この生い立ちが、彼に「安易な帰属意識」や「ベタな連帯感」を拒絶させるのではないだろうか。

彼が「頑張れ」と言わないのは、冷たいからではない。そんな言葉では埋められない欠落や、個人の力ではどうにもならない社会の理不尽さを、幼い頃から肌身で知っているからだ。孤独を抱えたまま、それでもどうにか生きていく。その「諦念を抱えた上でのタフさ」、そしていくつかのストレートな楽曲で描かれる「その上で実現した人生や、家族との日常」に、僕を含め、大人になった古くからのファンは惹きつけられているように感じる。

“幼少期の私の家庭事情は複雑で、かなりの社会的弱者と言ってよい環境で育った。物心がつき、少しは人並みに暮らせるようになった少年期に音楽に出逢ったが、前述のような「勇気を与えたい」という作為を少しでも感じさせるもの、ましてやそれを口に出してまで主張するものには全く心が動かなかった。音楽は、いや音楽に限らず全ての作品やパフォーマンスは、受け取る側が自らの解釈で咀嚼して初めて「勇気」や「元気」に変換されるものだと考えている。その意味では私も音楽に救われた人間の一人であるが、「勇気を与えたい」「聴いた(観た)人を元気にさせたい」という、烏滸がましく傲慢な動機でものを作ることを今も自分に禁じている。”

“私は自分の作るものが芸術だとも娯楽だとも、人の役に立つとも思っていない。あるとすれば、私以外の手が入って、バンドの何かが作用して、聴き手の何かが作用して、やっと有意義なものが産まれるかもしれないという期待である。私と似たような者の居場所が生まれるかもしれないと。”

群れず集まる
田中 和将
文學界2020年7月号

「旋律を紡ぐドラマー」の稀有な才能
バインの音楽的骨格を語る上で、ドラムス・亀井亨の存在を無視することはできない。彼はドラマーでありながら、日本のロック界屈指のメロディメイカーである。バンドの代表曲の多くが彼の作曲によるものだ。一聴して耳に残る端正な歌メロから、洋楽的な陰影を帯びた洗練されたコード感まで、その引き出しは驚くほど広い。

成熟と変節
ベテランと呼ばれるキャリアに至ってもなお、彼らは自らの「型」に安住することを知らない。過去の作品では、外部プロデューサーの招聘やセルフプロデュース、サポートメンバーの高野勲によるプロデュースで自らの癖を破壊するなど、常に変化を求めている。「完成されたベテラン」としての余裕を見せるのではなく、新しい音に対して常に好奇心を持ち続ける。この自己更新が、彼らを現在進行形のバンドたらしめている要因だ。

極私的GRAPEVINE入門
「わかりやすさ」が正義とされる現代において、GRAPEVINEの音楽は一見すると不親切に映るかもしれない。しかし、情報の洪水の中で、彼らの鳴らす「行間のある音楽」は、聴き手に思考する贅沢を与えてくれる。最新作が常に傑作であるという、この稀有なバンドが放つ「心地よい違和感」。それに一度耳を奪われたなら、もはや他の安直な音楽では満足できなくなるはずだ。

膨大なキャリアのどこから手をつければいいか迷っている君のために、Spotifyでプレイリストを作成した。初期の瑞々しい衝動から、近年の実験的なプロダクション、そして18番の美しいバラード、メロディとグルーヴが高次元で融合した人気曲まで。これを聴けば、僕の言っていることが理解できるはずだ。ツアー会場で、そしてこのプレイリストで、徹底的に”Blow Your Mind”されたらいいんじゃないかな。

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