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おもちゃ屋は孤独のにおいがする

子どもの頃、旅行という旅行を経験したことがない。北海道旭川市で生まれ育った僕にとって、せいぜい父の実家がある松前町まで帰省するのが、唯一の遠出だった。北海道の真ん中から左下まで、片道500kmほど。だいたい東京から大阪くらいの距離があるのに、観光地ではなくただの田舎。だから、旅気分なんて味わえたためしがない。
たまに遊園地に連れていってもらったこともあったけれど、それも年に一度あるかないか。しかも身長が足りず、乗れるアトラクションが少なかったので、ジェットコースターに乗ってはしゃぐ兄と姉を眺めるばかりだった。

そんな僕にとって、おもちゃ屋はお手軽なテーマパークだった。決して頻繁に連れていってもらえたわけではないが、母の運転する車の窓からハローマックのあのお城みたいな建物が見えてくるたび、テンションが上がったものだ。

城の扉を開けると、そこにはキラキラとワクワクが広がっていた。大好きなウルトラマンのビデオやフィギュア。毎週見ている戦隊ヒーローのロボットや変身グッズ。山のように積まれたミニ四駆やガンプラの箱。ゲームの棚ではスーファミやゲームボーイのソフトが立ち並び、さまざまなイラストやロゴがひしめいている。そこはまさに、夢の国だった。

大人になっても、おもちゃ屋に来るのは楽しい。ハローマックがカラオケ店に変わってしまったときは、仲の良かった友達がなにも言わずに転校してしまったくらいのショックを受けたが、僕にはまだトイザらスがある。あのキリンのドヤ顔も気にならないくらいには、おもちゃ屋は楽しい。

甥っ子への誕生日プレゼントや友人への出産祝いなどで訪れるたび、まず自分の趣味のコーナーに吸い込まれる。昔よりもハイテクなおもちゃには、驚かされるばかりだ。孫へのプレゼント選びに夢中なおじいちゃんおばあちゃんの嬉しそうな表情を見るのも、なんだか和む。それに、紙とプラスチックとが混じったようなあの独特なにおいがなんとも好きだ。そのため、時々なにも買う気がないのに立ち寄ってしまう。冷やかしもいいところだ。それくらい、おもちゃ屋という場所は心地がいい。


なのにおもちゃ屋に来ると、なんだかとても寂しくなる。あの空気を吸い込むと、まるで幼い頃にタイムスリップしたような、そんな気分になるのだ。店内や周りの人間がより大きく感じ、目に入る映像はビデオテープで再生されたみたいに色あせる。耳をすませば、若き日の母や在りし日の祖父の声が聞こえる気がする。

おもちゃ屋は、僕をあの頃に連れていく。目の前にある日常だけを全力で生きていた、あの頃に。

後ろめたさもトラウマもないのに、どうしてこんなに不安になるんだろう。かつて幼かった僕が見た映像、聴いた音、嗅いだにおいが、今もなお僕を縛りつけている気がしてならない。

そして、断片的なフラッシュバックが起きる。
母の手を握りながら、ピカチュウの描かれた箱の前に立つ。母が「これがいいの?」と聞いてくる。僕が「うん」と頷く。おもちゃを買ってもらえる嬉しさが、小さな体の中で線香花火のようにぱちぱちと弾ける。
別のシーンでは、祖父がプレゼントの箱を渡してくる。僕が顔をほころばせる。祖父が目を細める。
そんな情景を思い出すたびに、どうにも名前のつけられないなにかが、僕の琴線を鷲掴みにしてくるのだ。


この孤独感の正体はなんだろう。少なくとも、忘れてはいけない、忘れたくないものであることはたしかだ。僕を閉じ込めるけれど、同時に解放してくれているような気分。そんな過去の引力を利用しながら、僕はまた次の季節に向かって歩き出している。

普段は奥の方に仕舞い込んでいるはずの記憶が、おもちゃ屋のにおいを合図にパッと顔を出す。もう戻れないという現実を突きつけながらも、それでも僕を振り向かせようとする。ということは、それが僕にとって大切なモノなんだろう。
この孤独は、純粋だったあの頃を繋ぎとめておくための、必要な孤独なのかもしれない。


おもちゃ屋に行けば、僕はいつでも少年時代に戻れる。
キラキラも、ワクワクも、まだそこにあるから。


(おしまい)


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