曇天の隙間から

創作大賞2025の結果について、個人的な心境をありのままに書いています。
もしかしたら、不快に思われる人もいらっしゃるかもしれません。
その上で、お進みください。

忠告はした。後は自己責任だ。












メールが届いたとき、ひどく落胆したのを覚えている。
ベストレビュアー賞が嬉しくなかったわけではない。中間選考を通過した拙作がメディア賞の受賞には至らず、そちらの残念な気持ちの方が強かっただけのことだ。


中間選考には、エッセイ部門の1作品が通過した。そのときも大喜びはしなかった。全身全霊を尽くして書き上げたエッセイの4分の1が中間選考を通過したことは、メディア賞を目指す僕にとっては及第点でしかなかった。

だって、まだなにも成し遂げていない。オリンピックでいうところの、出場が決まったタイミングに近いだろうか。受賞したわけではない。肝心なのはむしろここからだ。嬉しい気持ちは当然あったものの、どちらかというと安堵の方が強かった。

そして最終選考の結果、僕はベストレビュアー賞を受賞した。



ぜんぜん喜べなかった。




今年9月、世界陸上競技選手権大会、いわゆる“世界陸上”が東京で開催された。なんとなしにテレビで観ていた中で、陸上男子110メートル障害5位の村竹ラシッド選手のインタビューを思い出す。

「なにが足りなかったんだろう」ってむせび泣く姿を。

世界5位だって十分に立派である。けれど、彼にとっては、5位入賞の喜びよりも金メダルを取れなかった悔しさの方が強かったのだろう。


一流アスリートと同列に比べるなんておこがましいが、自分の心境もこれに近い。

一年間、創作大賞2025に向けて努力をしてきた。昨年の受賞作をぜんぶ読み、パーソナル編集者のサービスを始め、note読み企画を毎月おこない、4月には名古屋で勉強会もした。インプット・アウトプットの質も量も高めていったつもりだった。

でも、ダメだった。涙こそ出なかったが、胸の中はずっと曇天だ。最初からそうだったかのように。



受賞作品をいくつか拝読した。嫉妬するほどおもしろかった。

けれど、自分のエッセイが劣っているとは思わなかった。

これはもはや優劣の問題ではない気がする。コンテストというよりオーディションみたいなものなんじゃないだろうか。中間選考を通過している時点でクオリティーはそれなりに担保されていて、後は出版社やメディアとのご縁の話になってくるんじゃないだろうか。

つまり、創作大賞は自分自身との戦いなんだ。note社は公のオーディション会場を用意してくれて、noteクリエイターはそこで自分の作品を採用してもらえるよう全力を尽くす。それだけのことだった。
もちろん、スキやコメントの数を比べて落ち込むことはある(だから期間中はなるべく他者の作品を積極的に読まなかった)。けれど、それが審査に直結しているわけではない。それに、該当作品なしの賞が過去にもあったように、受賞者は相対評価で決まるわけではない。

その上で、応募総数およそ7万の膨大な作品の中から、たった一つでも中間選考を通過した。このことが、今になって嬉しく、そして誇らしく思える。

曇天の隙間から、陽光が少しだけ差し込んできた気がした。



受賞通知から数日が経った。ドス黒い感情が完全に消えたわけではないけれど、割と落ち着いて過ごせている。

自分でも不思議なのが、どのタイミングでも悔しさをまったく感じていない点だ。きっと、自分にできる最大限の努力をしたからこそ、結果を冷静に待つことができ、そして受け止められたのだろう。まあ、不安で眠れなかった時期もあったんだけど。

ああ、書いて少しすっきりした。やっぱり僕は書くことが好きだなあ。今なら素直にいえそうだ。




創作大賞2025で、ベストレビュアー賞を受賞しました。



(おしまい)

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