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21世紀の生存戦略(ディール、スキゾ、パラノ)


  1. 世界の現状:西洋的理想主義の終焉と「実利」の支配

• 1.1. 現代の国際社会において、西洋的理想主義な「普遍的正義」や「理性的理想」は機能不全に陥っている。イラク戦争、アフガニスタンからの米軍の撤退、ウクライナ戦争におけるロシア支持国の存在。これらの事実から、現在では「西洋発祥の普遍的理性」は、非西側諸国への抑圧として受け取られ、拒絶されている事実がある。

• 1.2.しかし、意外なことに、対立構造が先鋭化するなかであっても、アメリカのトランプ大統領をはじめとして、「敵の完全な撃滅」を放棄し、経済面で「有利な条件での妥協」を目指している。
特に大国間では相互に相手国を蒸発させられるほどの核兵器を保有していること、また、グローバル経済の相互依存により、相手国を壊滅させることがめぐりめぐって自国の不利益につながる可能性があるのだ。

• 1.3. 現代を統治する新たな法は、理想主義的な道徳的理念ではなく「損得勘定」と「動物的恐怖」である。まさにホッブス的闘争状態である。他国との共通の価値、共通の言語が、「損得勘定」と「動物的恐怖」しかないのである。

2.統治の構造:「ディール」と二重管理

• 2.1. トランプ的政治方針の統治は、純粋な実用主義に基づく「ディール(取引)」である。1.1に示したように、「世界の警察」の理想が挫折に至り、長期的かつ理念的なコストを切り捨て、短期的な国益を目的とするようになったためである。

• 2.2. この統治は、固定された理念を持たず、現在の価値最大化のみを追及する「スキゾ(分裂症)的」な手法である。「スキゾ」とは特定の「正義」や「物語」を信じずに、「価値」や「意味」を極小化し、結果として実際上の利益を選択する生存様式である。理想主義的な国際法の枠組みから距離をとり、過去の理念的な敵対関係に囚われず、状況に応じて同盟や対立を組み替えることもできる。

• 2.3. このスキゾ的統治は、国内に二重のメッセージを発信する。立場やリテラシーの有無から、全ての人間が「損得勘定」で納得できるわけではないため、支持を受けるにはダブルスタンダード的な統治が必要となるのである。

• 2.31. 合理的で経済的なリテラシーがある層(便宜的に「エリート」と呼ぶ)に対しては、剥き出しの「実利」によって支持を得る。資本や権力を持つ層は、最新のグローバル市場のゲームルール(スキゾ的環境)にすでに適応しており、支持を受けやすいのである。

• 2.32. 伝統的で経済的なリテラシーを重んじない層(便宜的に「大衆」と呼ぶ)に対しては、「アメリカ第一主義」や「オールドエコノミー(製造業)の復興」といった、パラノ的なナラティブを供給する。実利のゲームから疎外された層に、過去の栄光への回帰というパラノ的物語を与える必要があるのである。

• 2.33. この統治構造は、パラノ的な昔ながらのナラティブで表面をラッピングした、「パラノのふりをしたスキゾ優位の統治」に他ならない。トランプ氏の真の目的は実利の獲得(スキゾ)であり、パラノ的物語は支持率を維持するための目くらましに過ぎない、という仮説が立てられる。

3.精神の力学:リビドーの処理とシステムの限界

• 3.1. 人間には、抑圧された破壊的エネルギー(リビドー)の蕩尽(爆発的消費)が不可欠である。バタイユの普遍経済学が示す通り、蓄積された過剰なエネルギーは、一見無意味で、破壊的な形で放出されなければならない。

• 3.2. 高度資本主義とディール化された世界は、このエネルギーを「市場の変動」や「限定的衝突のショー」として日常的に小出しに消費させ、大戦を防ぐ。大規模な総力戦が禁じられているため、金融市場の投機ゲームや局地戦のスペクタクルが安全な「ガス抜き装置」として機能している。

• 3.3. しかし、このシステムは、パラノ的な物語にもスキゾ的な市場にも乗れなかった「何も持たない人間」を必然的に生み出す。市場(スキゾ)の論理は資本を持たない者を排除し、かつ彼らは統治の麻酔である物語にもうまく適応できない。

• 3.31. 彼らが物語に乗れない理由は、トランプ的政治の本質がスキゾ的(ディール)であるため、その物語がハリボテに過ぎず、大衆が真に求めている「自己犠牲を伴う真のパラノ的カタルシス」を提供できないからである。実利目的の日常的なショーでは、かつての宗教や全体主義のような深い精神的没入(パラノの熱狂)を生み出せず、結果として中途半端な虚無感が大衆に取り残されるのである。

• 3.4. このようにして宙に浮いた彼らは、損得勘定を喪失し、純粋な破壊衝動としての「ヤケクソなノイズ」となり、ディール的秩序の最大の脅威となる。守るべき実利も、没入できる物語も持たない彼らにはこれまで述べてきたダブルスタンダード的な「管理」が一切通用せず、抑止不能な反逆として社会に牙を剥く潜在的なリスク因子なのである。

4.個人の生存戦略(前半):スキゾ的な武装と逃走

• 4.1. 完全なスキゾ(冷徹な計算機としての生き方)であったり、完全なパラノ(与えられた物語への盲信)であったりするならば、人生に迷いはない。システムに完全に適応して実利を得るか、あるいはシステムが用意した麻酔(物語)に完全に浸りきっている状態であり、自己矛盾や実存的な葛藤を抱えずに済むからである。

• 4.2. しかし、スキゾにもパラノにも完全に身をゆだねられず、生存戦略に迷いがある人は、経済合理性を優先して「とりあえずスキゾ(市場への参加)」という戦略をとるかもしれない。というのも、旧来のパラノ的なナラティブの欺瞞(搾取の構造)に薄々気づきつつも、完全な冷徹さも持ち合わせていない層にとって、とりあえず資本を確保することが、最も安全で潰しの効く防壁となるからである。

• 4.3. 4.2の戦略は、現代における一つの理想的な防衛策であり、安易な物語を一旦保留にし、究極のスキゾ的な空間である「市場」に主体的に参加する「スキゾ的な武装」で経済的・知的な自律を確保することである。世界を動かすメジャーなルールが「損得勘定」である以上、その数字(価格)の波をハックし自らの資本を増殖させることが、他者に運命を握られない最も現実的かつ合理的な手段となるため。

5.スキゾの限界:「つるつるの地面」と虚無

• 5.1. しかし、スキゾ的な流動性を追求すると、人間からあらゆる執着と摩擦が消失する。全てを「交換可能なディールの対象」として処理する態度は、特定の対象に対する「絶対的で非合理な愛着」をも解体してしまうのである。

• 5.2. 摩擦を失った世界は「つるつるの地面」となり、意味は定着せず、人は無意味な加速の中で「燃え尽き」に至る。あらゆる価値が相対化されると、自分が何のために生きているのかわからなくなる。終わりのない最適化ゲームの疲労だけが蓄積するのである。

• 5.3. 純粋なスキゾ的な態度の先には、生の実感や穏やかな祝祭(エウダイモニア)は存在し得ない。幸福とは計算機的な効率化の果てにあるものではなく、非効率や無駄を含む「固有の体験」の中にのみ宿るのである。

6.個人の生存戦略(後半):「意図的なパラノ」による摩擦の回復

• 6.1. 燃え尽きを回避し、エウダイモニアを死守するためには、つるつるの地面にあえて「摩擦(ざらざら)」を導入しなければならない。滑りを阻害する「抵抗力」が必要なのである。

• 6.2. その摩擦とは、スキゾ的な武装を完了した後に自ら選び取る「自分自身のパラノ(計算不可能な固有のこだわりなど)」である。自由を獲得した個人のみが選び取れる「交換不可能な絶対価値」こそが、残された信頼に足る最終防衛ラインとして機能する。

• 6.3. 外側の世界ではスキゾとしてディールを乗りこなし、内側の世界ではパラノとして非合理な愛着に踏みとどまる。スキゾのみでは虚無に陥り、パラノのみでは搾取される。双方の欠陥を補い合うにはこのハイブリッド構造が必要である

• 6.4. これは偶然に身をゆだねない成熟の一形態であるが、この地点に到達するためには、相応の知的・経済的リソースと、市場を生き抜く運が必要不可欠である。「意図的にパラノを選ぶ」という高度な自由は、第4章における市場での過酷なサバイバル(資本と知性の獲得)を偶然にも生き残った強者にのみ許された特権的状態なのである。

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