漂泊④ 2025/8/26
初めて朝にmacを開いている。午前8時51分。留萌の道の駅にいる。
24日、芦別の道の駅で目覚めて、横にあった郷土資料館で芦別の情報を収集する。やはりここも石炭に翻弄された街だった。炭鉱から観光へ。星の降る里というキャッチコピーでやっているが、どこまでうまくいくのやら。小さなプラネタリウムがあったがあまり面白くなかった。
少し山あいにカナディアンワールドがあり向かった。観光事業の苦い失敗跡だ。廃墟と聞いていた。なるほど草は繁茂しコンクリートはそこかしこひび割れている。しかし休日なのもあってそこそこの人間が見物に現れていた。赤毛のアンをモチーフにしたカナダのカントリーをイメージした設計。1990年に開業して翌年来場者数がピークになったが数年後に大赤字。赤字のアント揶揄されて10年と持たずに黒字化を諦めた。今は振興会が無料で中の施設を利用してお店をやっていた。なにせだだっ広いスペースだから人口密度の少なさによるもの寂しさはあるが、人数自体は思ったよりいた。建物もかわいらしい。
この施設の復興を自分が任されればどのような方向性に持っていくがしばらく考えたが妙案はなかった。空知の山奥、広いが段差と傾斜が多く年配の人間には難しい。建物も点在しているからあまりテーマパークに来たという実感も湧かない。きっと数年で経営が傾いたということはリピーターがいなかったということだろう。北海道は探さずとも綺麗で雄大で広い自然のフィールドが転がっている。あえてそこへまた行く理由がない。しかし、その割に広いスペースの維持管理にはコストがかかるだろう。頓挫した理由を構造化して並べてみて、多角的に分析をする必要がある。思いつきではこの施設はこれ以上どこへも行かないと思う。
その後、全国の市の中で最も人口が少なく市政存続の危機と言われている歌志内へ向かう。街を眺めて郷土資料館ゆめつむぎへ。無料だが来場者カードがある。目の前にかつての鉄道の駅板がある。ここも石炭に踊らされていた。しかし、夕張にはない文学があった。炭鉱文学というものがあったらしい。三浦綾子も数年ここに教師として赴任していたらしいし、幾らかの文筆家もいたらしい。炭鉱の厳しい生活がそのままに文学だったのだろう。
近くの道の駅は綺麗に素敵に整備されていた。良いお香が置いていたが高くて諦める。温泉が併設されていたが体は清潔だったので諦める。少し早いと思ったが旭川へ向けて走り出した。
途中神居古潭へ寄った。名前にカムイとついているから期待していったがなんでもない河辺だった。そこは川の難所らしく、ゴールデンカムイにも登場していた。しばらく廃線跡をあてもなく歩いたがキリがないのでぼちぼち引き返した。そろそろ次の芝居を考えないといけないなと思いながら。
旭川に着いた時には15時半ほどだった。まずは北鎮記念館へ足を運ぶ。ゴールデンカムイが全面に押し出されている。管理しているのも自衛隊の人間と思えた。我が祖父は海軍少佐だったというが、その受付の人間の表情や制服を見るだけで俺はなんだか嫌な気持ちになった。そもそもあまり好きな世界ではないのだろう。
展示自体はとても見応えがあった。最上徳内からの開拓の歴史から現代まで様々な資料が展示されていた。特に坂の上の雲が好きだった自分としては日露戦争にはかなりの関心がある。司馬遼太郎は乃木希典を無能だと描いていたと母親が言っていたが、俺は乃木希典が結構好きである。203高地の戦いの経過の説明には胸を熱くした。旭川駐屯第七師団が最終的にその勝利に貢献したことが、ここにその説明が厚い理由がある。白襷決死隊という舞台が散っていたことも初めて知った。ゴールデンカムイが置いてあったから一巻を読み切った。
駅前のキングベアーでスープカレーを食し、比布の町営浴場へ向かった。大人210円。老人福祉施設と繋がっていて、ひと昔前の旅館の大浴場のような風合いだった。入るとカランが狭く7個くらい連なっていて、先客が4人いた。おじいさんのペアと、20代前半と思しき若者ペアだった。彼らがどういう流れで今ここで風呂に入っているのか想像も出来なかったが、彼らにとって俺もそうだっただろう。丁寧に体を洗って施設を出た頃には真っ暗だった。当麻の道の駅に辿り着いてすぐに眠った。
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札幌発の劇団Road of座のブログです。主に代表で役者の大橋が更新しています。サポートよろしくお願いします!