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Silenceのなかに

あなたにとってsilence(静寂、沈黙)はどのような存在だろうか。

私にとってSilenceは大切なテーマのひとつだ。表現においても、日常生活においても。

音楽でsilenceを表現することはきわめてむずかしい。なぜなら音楽のかたちを取ろうとすればするほど音が必要で、音響的にsilenceから遠ざかるからだ。Silenceを「感じる」音楽とはどういうものなのか。

映像、動画でsilenceを表現することは音楽に比べたら易しく思えるかもしれない。だが、常に退屈と隣り合わせにある。映像のなかの無音・無言はときとして、silence以前の空虚になり得る。

文字や静止画は、とくに紙媒体においては、物理的に無音・無言だ。ただ、それだけでは私たちはsilenceを感じられない。能動的に読み取られて初めて言葉や音の印象が立ち上がる条件のなかで、どんな言葉を、どんな色を重ねたら、深いsilenceを表現できるのか。

一方で、ギャラリーで絵を見ながら、書店で写真集を眺めながら、仮に周囲で人が話をしていても、音楽が流れていても、silenceを感じるときがある。それはなぜなのか。

そう考えると私にとってのsilenceは、無音・無言と同義ではない。

現代の日常生活は、silenceからかなり遠いところにある。静寂を体験しようとすると、都市のノイズだけでなく、放送、インターネット上での刺激の上塗り合戦から意識的に距離を置かなければならない。

Silenceのなかで私たちは、自分自身とより豊かに対話できる。それは言葉による対話だけではない。感情、印象、身体感覚による対話も含まれる。

今年行った旅のなかで幾度か、断片的ではあったが、そのような対話ができた。

外側からの情報や刺激に包まれているとき私たちは、自分と他人の声や感覚を区別しづらい。他者の言葉、価値観、刺激から離れてsilenceのなかに入ってはじめて、少しずつ自分自身の生の声や感覚に触れられるようになる。私たちはそこでようやく、自らを助けることができるのではないだろうか。

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安達ロベルト チップをいただいたとき、自分の言葉が誰かのインスピレーションになったのだと強く実感します。