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ほんとうの旅はきっとこれから

旅の終わりに感傷的になったのは何年振りだったろう。

フィンランドとエストニアで3週間を過ごした。台風6号が東京を通過した日に帰国した。

かつてバックパッカーもどきだったころ、旅の興奮を手放したくなくて、いつまでも非現実のなかにいたくて、帰りの便ではいつも感傷的になった。

そんな私が、近年の旅では、エモーショナルになることがなくなっていた。

それはもはや旅が現実逃避のためのものではなくなったからか、異文化が珍しくないインターネット時代になったからか、歳をとって鈍感になったからだと理解していた。

今年前半、タイ、台湾でそれぞれ丸1ヶ月過ごした。さすがに長期滞在だからこのときばかりは帰国時に少しは感傷的になるだろうと思った。でもならなかった。だから今回のフィンランド、エストニアも同じだろうと思っていた。

台風による5時間の遅延でヘルシンキ発が22:30になった。6月のヘルシンキでは日没直後の時間帯だ。

フィンランド滞在でほとんど夕焼けを見なかったがこの日はちがっていた。暖色の空や雲がやや彩度と明度を落としたころ、離陸した。

次第に小さくなる街の景色を見ていたら、突如感傷的になった。

マジックアワーの空や寝不足が人を幾分感情的にすることを差し引いても、こんな心の動きを体験している自分に自分自身が驚いた。ブラッド・ピット主演の映画を観始めていなかったら、ちょっとやばかったかもしれない。

後ろ髪を引かれるような運命的な出会いがあったわけではない。かつてのように旅の余韻に浸りたかったわけでもない。なんなら「旅」をつづけたかったわけでもない。

ただ「生活」をつづけたかった。



ここまで書いてつづきが書けないでいた。タイミングを逃しているうちに帰国して半月。もう夏至を過ぎた。フィンランドで世話になった家族は白夜を祝っただろうか。その間もずっと、あの感傷がなんだったのか気になっていた。

先日、本屋であてもなく次に読みたい本を探しているとき唐突に、ひとつの考えが頭をよぎった。

異国でも日々のルーティンができて、そのなかで制作ができて、そんな生活をもっとつづけたかったという感傷だと思っていたが、そうじゃなかったのかもしれない。

もしかして私は、かつて10代でアメリカに住んだころ、20代でバックパックを背負って一人旅していたころと同じくらいの驚き、心の動きを今年の旅に求めていたのではないか。人生が変わるほどのドラマを期待していたのではないか。

今年の旅は、あのころのような興奮をもって応えてくれなかった。もしかしてそのことへの失望から来る感傷だったのか。

その答え合わせをするように、旅先でつくった音楽、録音した音、描いた絵、撮った写真、考えた思考の断片を、時間をかけて見返した。

すると、潜在意識が知らないうちにちゃんとドラマの材料を集めてくれていた。

ただし、まだドラマのかたちにはなっていない。そもそも何のドラマなのかも今の私にはわからない。潜在意識のほうが時間軸の先を進んでいるようだ。

ちゃんと設計図を書いて、ちゃんと脚本を書いて、作品にして、ドラマにして、とそれら素材が私に語りかける。人生を変えるようなものにできるかどうかは私次第。

ほんとうの旅はきっとこれから。やっぱり「生活」だけじゃなくて「旅」もつづけたい。

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安達ロベルト チップをいただいたとき、自分の言葉が誰かのインスピレーションになったのだと強く実感します。