第53回「歌を歩く」は近鉄旧・孔舎衛坂駅跡などを訪ねて 太宰治の小説「パンドラの匣」の舞台となった孔舎衛 「いしきり参へ行こうよ」の旅
◆大阪府東大阪市日下町にある孔舎衙(くさか)小学校。難解な呼び名ではあるが、日本書紀の神武天皇東征伝説に出てくる「孔舎衛坂(くさえざか)」が由来だという。現在の町名では日下(くさか)の文字が用いられているが、由緒ある名称なのである。その孔舎衛坂(くさえざか)という古い地名を用いた鉄道の駅が東大阪市日下町にかつてあった。

参加メンバー
今は廃駅となっている孔舎衛坂(くさえざか)駅の跡を、ウォーキング会「歌を歩く」のメンバー4人は2026年2月26日に訪ねた。最寄駅は近鉄奈良線石切駅である。
駅は半無人で、駅員に用事がある際はインターフォンで呼び出して話をしなければならない。合理化の名のもとに利用客に不便を強いる最近の悪弊である。

それはさておき、駅東側の改札を出て左へ。駅舎を背に右手の住宅街を線路に沿うようにしばらく歩く。現在の奈良線から左に外れて進むと、フェンスの向こうに廃線跡が見えてきた。
その先には上下2本のホーム跡が残っている。駅舎はないが、これがかつての孔舎衛坂駅である。


ホームが途切れた少し先には入り口が閉鎖された旧生駒トンネルがある。中を覗くが真っ暗で何も見えない。少し先で奥へ進めないように遮蔽されているようであった。



近鉄奈良線の新生駒トンネルが1964(昭和39)年に開通したのに伴い、旧石切駅、孔舎衙坂駅が廃止された。これに代わって設置されたのが、現在の石切駅である。
旧生駒トンネルは1914(大正3)年に近畿日本鉄道(近鉄)の前身、大阪電気軌道(大軌)によって造られた。当時は日本初の標準軌複線トンネルで、日本で2番目の長さを誇っていたという。

旧石切駅が
旧石切駅は現在の石切駅よりも少し瓢箪山寄りに戻ったところ、石切参道商店街の入り口の看板の後ろに朽ちた階段の上にあったという。
その痕跡はわずかに石積みなどは見られるものの、ほとんど分からなくなっている。
🟥太宰治と関係が深い孔舎衙
孔舎衙坂駅の廃駅跡と旧生駒トンネルを見た後、日下遊園地の跡へと足を運んだ。東大阪市日下町の日下新池の畔に1915(大正4)年から1940(昭和15)年頃まであった。


遊園地跡の池の周りには桜の木があり、シーズンともなれば花見客で賑わうのであろう。今は何もない静かな散歩コースで、時折、森や野鳥を撮影するのかカメラを下げた人やカップルとすれ違う程度だった。

大正から昭和初期にかけては大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)開通したことに合わせて日下遊園地が開業し、飲食・遊戯施設のオープンが相次ぎ、夏ともなれば納涼場として賑わっていたようだ。
しかし1926(昭和15)年にあやめ池遊園地(2004=平成16年閉園)が開園すると徐々に衰退していった。


この遊園地跡に「孔舎街健康道場と太宰治」と書かれた看板が建っていた。
それによると、遊園地の閉園後にここには「健康道場」という名の結核療養所があったという。そこを舞台に書かれたのが太宰治の書簡体形式の長編小説「パンドラの匣」(1946年)だというのである。
さらに詳しく読むと、熱心な太宰治ファンの青年は1941(昭和16)年8月から年末にかけて孔舎街健康道場へ入院し、そこでの結核の療養生活に看護師との恋愛模様を織り交ぜながら克明に「健康道場にて」と題した日記に記していた。
太宰と文通していた青年は病苦のために1943(昭和18)年5月に22歳で自殺する。遺言によって京都・丸善で製本された日記全12冊が太宰に贈られた。

太宰はこの話を題材にして小説「パンドラの匣」を書き上げた。1945(昭和20)年10月から翌年1月にかけて「河北新報」に掲載されたのである。
意外な物語が孔舎衛坂に潜んでいたことになる。
🟥自分へのみやげは梅干しとおこわ
さて、この日のもうひとつの訪問地は、今回の「歌を歩く」のテーマ曲に選んだ舞台でもある石切参道商店街。選曲したのは去年開催された大阪・関西万博の大阪ヘルスケアパビリオン前にある特設ステージで、8月27日、石切参道商店街のメンバーによって披露された楽曲でもある、石切参道商店街のテーマソング「いしきり参へ行こうよ」。
「いしきり参へ行こうよ」
ここでは石切さんの愛称で知られる石切神社への参拝と昼食、そして自分へのみやげを買うのが目的であった。沢山の飲食店やみやげ物店、何故か占い店が建ち並んでいた。
でも、町のテーマソングを聴くことはできなかった。


石切さんはでんぼ(腫れ物・癌)の神様として知られている。境内に入ると、本殿前と鳥居付近の百度石の間を百回往復して病気平癒を願う人たちでいっぱいだった。その熱気に圧倒されてしまった。

そこを出てあれこれ迷った末に1軒のうどん・そば屋さんへ入った。そこで天ぷらそばと赤飯のセットを頼んだ。そばは汁が塩辛かったので喉が渇いてしまったが、赤飯はまずまずであった。

天ぷら蕎麦と赤飯
みやげは友人から事前に聞いていた梅干しとおこわを迷わずに買った。それと大福を2つ。
事前に教えてくれた友人は梅干しは塩の効いたのがいい、と言っていたが、「減煙を」と頼むと店の人は賞味期限が長いものを選んで袋に詰めてくれた。


商店街の入り口には石切大仏が座っていた。石切で創業した赤マムシ膏などマムシエキスを用いた漢方薬の阪本漢方製薬(本社・兵庫県尼崎市)の4代目当主、阪本昌胤が1980年に作ったものだという。「日本で3番目」という表記があったが、その理由は不明である。
🟥岩城会長とティータイム
さて第52回歌を歩くもクライマックに差し掛かった。いしきり参商店街を後にして、今度は東高野街道を瓢箪山まで歩くことにした。予定していた枚岡神社の参詣省き、CDショップミヤコ瓢箪山店の岩城秀治会長を訪ねることにした。


東高野街道(京道・紀伊道)は京都・九条の東寺から伏見を経て木津川を渡り、山城と河内の国境である洞が峠を越え、旧河内国に入り、生駒山脈の西麓を経て、大和川を渡り、石川沿いに南下して、紀見峠を越え、高野山へ至る街道だと、案内板に書かれていた。
狭い道を20〜30分ほど歩くとミヤコ瓢箪山店に着いた。出迎えてくれたかのように、会長は店の前に立っていた。

隣の喫茶店で話をしようと、場所を変えた。会長はコーヒーを注文してメンバーの3人は甘酒を、ボクはぜんざいを頼んだ。あまり疲れない1日であったが、甘いものは酒と違って頭にエネルギーをチャージしてくれる。
ここからは終着駅のJR大阪環状線の玉造駅へ向かった。大阪市内の玉造で「お疲れさん会」を開くためである。近鉄電車で鶴橋まで行って、そこからJR環状線の1駅分を歩いて玉造駅前の居酒屋へ直行した。

バイバイの前にワンショット

街道の道標。以前、東大阪・枚岡の枚岡神社から奈良・生駒まで歩いたことがある
次回の予定も決まり、無事終了した。
この日の総歩行距離10.7Km、歩数約1万7,900歩、消費エネルギー447Kcal。
(Music news jp 曽崎重之)
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