大井町トラックスを出て、仙台坂を抜け、旧東海道の風に触れる散歩
大井町トラックに出向いた記事が、一週間で4000アクセスを超えて、多くの方に読んでいただいています。嬉しいです。
ここから仙台坂を抜けて、旧東海道まで散策しました。
大井町トラックスを出て仙台坂へ向かうと、街の空気が少しずつ静まり、仙台坂の手前に「仙台味噌醸造所」の古い建物が見えてきます。新しい街並みから一転して、時間の層が切り替わるように感じます。坂を下り旧東海道へ出ると、道の表情はさらに変わり、青物横丁までの散歩が小さな旅のように思えてきます。

この一帯にはかつて仙台藩の下屋敷が置かれていた歴史があります。江戸に滞在する藩士の生活を支えた広い屋敷があり、周囲には武家地らしい静けさが残っていたといわれます。現在は住宅街となっていますが、坂の落ち着いた雰囲気や道沿いの石垣に、当時の面影がわずかに感じられます。仙台味噌醸造所の建物とともに、歩くほどに土地の記憶が重なって見えてきます。

当社所在地である品川区東大井(旧・荏原郡大井村)は、江戸時代に仙台藩の江戸下屋敷が置かれていました。伊達藩では備蓄のため寛永2年から味噌の醸造を行い、在勤する約三千名の藩士に供給していたといわれます。江戸の甘味噌が口に合わなかったためで、余剰分は後に一般にも販売され、「仙台味噌」と呼ばれるようになりました。安政年間の江戸切絵図にも「仙台味噌屋敷」と記されています。
建物の外観です。


仙台藩の下屋敷は現在の品川区東大井にあり、広い敷地を活かして味噌蔵などの生活・備蓄機能を担っていました。藩士の食を支える実務的な拠点で、日常の営みが集まる“裏方”の場所でした。
なお、仙台坂はもう一カ所、麻布地域にもあります。麻布の仙台坂は、かつてこの周辺に仙台藩の中屋敷が置かれていたことに由来します。江戸城に近い麻布一帯は大名屋敷が集まる地域で、仙台藩にとっても重要な拠点でした。坂の名は、藩士たちが日常的に往来した道筋として残されたものです。
江戸には仙台藩の屋敷が複数あり、その周囲の坂道が“仙台坂”として名を残した。麻布は中屋敷、大井町は下屋敷。離れた場所に同じ坂名があるのは、江戸に広がっていた仙台藩の生活圏の名残でもあるのです。
一方、仙台藩の上屋敷は、現在の港区三田・高輪周辺に置かれていました。江戸城に近いこの地域は大名屋敷が集まる要地で、仙台藩にとっても政治や儀礼の中心となる重要な拠点でした。広大な敷地には藩主の居所や公式行事の場が整えられ、参勤交代で江戸に入った藩士たちがまず向かう場所でもありました。現在は住宅地や学校が並ぶ静かな街並みですが、古地図や地名に当時の屋敷の広がりが今もわずかに残っています。
江戸時代、大名は江戸に複数の屋敷を持つことが義務づけられていました。一般的には
• 上屋敷(藩主の正式な居所・政治の中心)
• 中屋敷(藩主一族の住まい・予備機能)
• 下屋敷(広い土地を活かした庭園・倉庫・生活物資の備蓄)
の三種類です。
このうち中屋敷は、
• 藩主の家族や一族が暮らす場所
• 上屋敷の補完としての“予備の屋敷”
• 病気療養や隠居などにも使われる
といった役割を持つ、上屋敷と下屋敷の中間的な存在でした。
現在、仙台坂は自動車用道路がトンネルになっており、歩道はその上を歩くようになっています。

仙台坂の歩道。


こちらが麻布地区の仙台坂です。

京浜急行が見えるくらいの位置で、自動車用のトンネル道と歩行者用の歩道が同流します。

ちょうど付近の桜が満開でした。

国道一号線と京浜急行を渡ると、旧東海道に出ます。

海雲寺
品川の海雲寺は、慶長年間に創建された曹洞宗の寺院で、品川宿の外れに位置し、東海道を行き交う旅人にも親しまれてきました。もとは仙台藩伊達家の家臣・片倉家の菩提寺として整えられ、境内には片倉家ゆかりの墓所が残ります。江戸時代、この一帯は海に近い静かな高台で、寺は品川宿の喧騒から少し離れた“息継ぎの場”のような存在でした。現在も古い石碑や樹木が往時の面影を伝え、周囲の都市化の中でひっそりと歴史を抱え続けています。坂道の多い品川の地形とも相まって、訪れると時間がゆっくりと流れるように感じられます。


海雲寺の入り口には銅像がありました。



こちらの桜も満開でした。


他にも旧東海道には見どころが多くありそうでしたが、この日は大井町トラックスに出向くのが一番の目的だったので、ここまでとします。
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