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最近流行りのHSPと、エセHSPと、エセでもいいじゃないか、という話

私はHSS型HSEである。
と、最近流行っている自己紹介の仕方をさせていただこうと思う。

急に周りの人間がこのHighly Sensitive Personという概念を認知するようになっているが、なぜなのだろう。

ちなみに私がなぜこの概念を知っているかというのを簡単に説明すると、昨年末、CBT(臨床実習に進むための試験)が終わり、新しいことを色々と始めた結果、自分のキャパシティが限界を迎え、死んだような顔で「情報過多」とYouTubeで検索したときにHSPに出会った、、、と、こんな具合である。

検索の仕方のクセがすごいのはさておき、まずは最近この概念が流行りだした理由を考えてみる。

Ⅰ.割と新しい概念だから

そのままである。

Ⅱ.コロナの影響

引きこもりが増えれば対人関係においてセンシティブになる人間が増えるのは自明であろう。

Ⅲ. 自分をHSPに分類すると、居心地がいいから

前述の二つの理由よりもこれが一番の理由ではないかなと感じている。HSPと調べると、その人間性を否定するような記事や動画はどこにも見当たらないということである。

例えば、ADHDやASDなどは、「自分がそうだ」と認めるには、人間性ひいては社会性に難があるといったような少しマイナスな要素もあるため、当てはまっていたとしてもそれを認めたくない人が少なからずいるだろう。

それに対してHSPはどうだ。もう、優しさに包まれた情報しか見当たらない。むしろ寄り添ってくれる、見ていて気分が良くなるようなものばかりである。当てはまっていたら、「あ~、そうそう!これ完全に私だ!」と、ポジティブに受け入れることのできる概念であると、容易に想像がつく。さすればおのずとHSPの人口も増えるだろう。

こんな居心地の良い概念であるからなのか、「エセ」HSPが続出しているようにも思える。例にもれず、私も気持ちがよくなって自分を分類することにした。

吾輩はHSS型HSEである。名前は、あるけど言えない。



さっきからHSPとHSEという、二つの概念が出てきているが、これは誤字ではなく、HSPにもさらに何種類かの型があり、私はそのうちのHSS型HSEである、ということである。

HSPに存在する何種類かの型。これについて簡単に説明しようと思う。

四つすべてに共通する特徴として、深く物事を考え、共感しやすく、五感に鋭く、刺激に敏感などが挙げられる。そして相違点は以下の通り。

Ⅰ.HSP

内向型HSPのこと。いわゆるHSP。結構いる。
刺激に対してネガティブ。人間関係を好まない
1人の時間でエネルギーを回復する。

Ⅱ.HSS型HSP

(HSS……High Sensation Seeking)
刺激追求型HSP。あんまいない。
刺激に対してポジティブ。HSPと同じく、人間関係を好まない
が、好奇心旺盛で行動力がある。ゆえに色々なことに挑戦するので、疲れやすく、急に燃え尽きるようなこともある。

Ⅲ.HSE

(HSE……Highly Sensitive Extrovert)
外向型HSPのこと。レアキャラ。
刺激に対してネガティブ。HSPと異なり、人間関係を好む
積極的に物事を立ち上げるようなことはしない。だが、外に向けてエネルギーを使う。結果、おとなしく、人がいいという感じになる。

Ⅳ.HSS型HSE

刺激追求型HSE。まあまあいる。
刺激に対してポジティブ。HSEと同じく、人間関係を好む
人と関わることは好きだが、深く物事を考えることには考えるので、次の行動につなげるための1人の時間が必要。そのため疲労もする。



さて、皆さんはこの四つのどれかに当てはまると感じたものがあっただろうか。

その気になれば、全世界の人間がこの四つのどれかに分類できてしまいそうな気もしてくるが、それは違う。そんなことをしてしまったら、全世界の人がHighly Sensitiveになってしまう。統計的にもHSPは5人に1だそうで、それはない。

だが、私はそれでも本人がそう思うのならそれでいいのではないかと思うのである。それがたとえ「エセ」HSPだとしてもだ。

今まで世間一般的に認知されていた、ADHDやASDなど、特徴的な人格を持つ人間を分類する概念は、どれもポジティブなイメージを抱かせてくれるようなものではなかった。
(「ポジティブな概念もあるわ!」とか、「疾患と人格分類を一緒にすんな!」というご意見もあるかもしれないが、ご容赦ください。知識不足でごめんなさい。)

しかしこのHSPという概念は、それに該当する人に、優しく寄り添ってくれる素敵な概念であると、この記事を綴る中で再認識した。そしてそれは、本当は全然High Sensitiveじゃないのに自身をHigh Sensitiveだとする「エセ」HSPにとっても例外ではない。

「エセ」であっても、人間であれば共感はいつだってしたいしされたいものだ。HSPに限らず、人間をタイプ別に分類しようとしたら、誰にだってどの分類にもスペクトラム的に当てはまる部分があるはずで、それは「エセ」にとってもそうである。「エセ」かどうかを決定するのは、当てはまりの度合いであって、その度合いが低ければ「エセ」になってしまうのだが、低いなりに当てはまっているということは、共感できる部分があったということである。

そしてHSPという概念は、自分がそこに一つでも当てはまっていると感じたなら、共感に包まれにいくことができ、二つ三つと当てはまったのなら、共感で包み返してくれる。

従って、HSPという概念は、「エセ」にとっても素敵な概念なのだ。

私はこの概念を独り占めする気には到底なれない。や、独り占めとかないんだけど。

たとえ正しくなくとも、HSPであると自分で感じ、そのことでその人の心が少しでも救われるのであるなら、もうその人もHSPで結構である、と思うのである。減るもんじゃないし。

たとえ全世界の人が「私はHSPです」と自己紹介したとしても、
たとえそのほとんどが「エセ」だとしても、
認めあえる世界が、私は好きだ。


https://note.com/kiidautoi/n/n8177c0789b53
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ゴソノギ__国立医学生の日常

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