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『三大陸周遊記』から学ぶイブン・バットゥータの旅の流儀(後編):それでも彼は世界の果てを目指した

前編の続きです。

第三部:どうやって危機を乗り越えたのか?

ここからはイブン・バットゥータが迎えた数多の危機と、それをどうやって乗り越えたのかを学んでいこう。

ここまでのお話を聞いていると、14世紀の旅はずいぶんと気楽で享楽的なものに思えるかもしれない。
しかし、それはイスラム文明の中を通過する場合に限られるのだ。

異教徒が、盗賊や海賊が、そして自然が、彼に牙をむいた。
ケーススタディとして見ていきたい。

1.異教徒の中を旅するには?

さて、イスラム教徒の間を旅する間、イブン・バットゥータは知識人として尊敬され厚遇された。

しかし、異教徒(イスラム教徒ではない人々)の間を旅すると、途端に旅路は困難になる。

イブン・バットゥータ受難の地。異教徒編。


例えば、キプチャクハン国の第三王妃に付き従ってコンスタンティノープルに入城した時。

その地でイブン・バットゥータたちは「サラセン人だ! サラセン人だ!(イスラム教徒のこと)」と、罵声を浴びせられ行く手をふさがれてしまう。
この時は、王妃のおつきのものが「皇帝の娘のお連れの方ですよ……」と、とりなしてくれて事なきを得た。

もうひとつ。
イブン・バットゥータがペルシャ湾を通過した時のお話。

今日のオマーンのスールという港に着いた。
しかし、同行してきた水夫たちはイスラム教徒ではなかったので、イブン・バットゥータは一緒にいるのがつくづく嫌になった。(鳥の喉を割かずにそのまま煮て食べていたのが、気に入らなかった。)

そこで、異教徒の水夫を案内人に雇って、カルハートの町まで歩いていくことにした。
案内人はとある入り江にたどり着くと、「おれはさあ、あんたたちの衣類を持っているから、まずは先生方が渡ってごらんなさいよ」と言った。
イブン・バットゥータは「まずはお前が渡りな」と返した。

すると、案内人は渡るのをやめて引き返してきた。
イブン・バットゥータたちをおぼれさせておいて、衣類だけ取って逃げるつもりだったのだ。
それから、彼は案内人を警戒し、槍をふるって脅してやった。

しかし、案内人もさるもの。
イブン・バットゥータたちを岩だらけの海岸に連れて行って、迷わせてしまう魂胆らしい。
そんなこんなやっているうちに、夜になってしまい、渇きにさいなまれながらも盗賊を警戒して砂漠の林の中で眠ることになる。

その間も、イブン・バットゥータだけは眠らずに、物騒な案内人の前で虚勢を張り続けた。

そして、翌朝、ようやくカルハートの町にたどり着いた。
イブン・バットゥータは、綿のように疲れ果て、履物が足をせめて爪の下から血が流れだした、と回想している。


2.いざとなれば、戦う! それでもだめなら……。

さて、以上の事例は、何とか平和的に(?)済んだ事例であったけれど、そうもいかない場合もたくさんあった。
特に、異教徒の、それも盗賊や海賊に襲われた場合である。

そういった場合には、イブン・バットゥータは剣をとって戦った。
知識人で法律家だからひ弱なイメージがあるかもしれないが、実際割と乱暴な解決策も取る。
インドに入る際にはアフガーン族と戦ったし、スペインに赴く際にはキリスト教徒との聖戦に加わった。

イブン・バットゥータの受難。戦闘編。

しかし、それでもダメな場合もある。
インド国王の命を受けて中国に向かう途上、アリーガルに滞在していた時のお話である。
イブン・バットゥータは仲間とはぐれ、40人ほどの異教徒に包囲されてしまった。鎖帷子を着ていなかったので早々に降伏する。

彼の身柄は三人の男たち、老人とその息子と黒人、に預けられる。
彼らさんにんはイブン・バットゥータを殺せと命令を受けていたのだ。
しかし、ちょうどよく黒人が瘧(おこり)を起こして、命令の実行が止まる。
その間に、イブン・バットゥータは老人の好意を得ようと努め、何とか逃げ出すことに成功するのである。

それから、八日間。
イブン・バットゥータは半死半生の態で異教徒の村々を彷徨い歩く。
素掘りの井戸で水を飲もうと悪戦苦闘していると、水瓶と杖と袋を持った男がやってきて、「アル・カルブ・ル・ファーリフ(喜びの心の意のアラビア語)」と名乗る。

その男が彼を導き、命の危機から救ってくれたのだ。

後から、イブン・バットゥータは思い出す。
そういえば、エジプトの聖者が言っていたぞ。
インドでとある聖者が自分を助けてくれるって。
きっとあの人がその聖者だったのだ。
なんて、ラッキーなんだろう。

さあ、また旅を続けようぜ!

しかし、仲間たちはこんなことがあった後だから、すっかり腰が引ける。
「国王もあなたをお許しになるに違いない。都に戻ろうではありませんか。すでにお留守の間に国王にあて、旅の中止願を出しましたので、その返事のくるまで待つことにいたしましょう」

しかし、イブン・バットゥータはこう答える。
「待つことはなりませぬ。」

国王の意向など気にかけない移動中毒、そして楽観主義である。

かくして、イブン・バットゥータの旅は続いた。

3.一番の脅威は……自然。対策は強運のみ。

そんなコミュニケーション能力と豪胆さを兼ね備えた旅のプロであるイブン・バットゥータであるが、結局一番の敵は自然であった。

現代ほど、旅の装備も情報も充実していない時代。
どうやって、自然の脅威から逃れたのだろうか?

イブン・バットゥータの受難。自然編。

まずは砂漠。
『三大陸周遊記』には何度も命からがら砂漠を越える話が出てくる。
サハラ砂漠、ルブアルハリ砂漠、大インド砂漠、タクラマカン砂漠……。
イブン・バットゥータの行く手には名だたる砂漠が横たわる。

世界最大級のサハラ砂漠を越えたときのエピソードである。
サハラ砂漠の北辺にあるターサラフラーという町についたイブン・バットゥータ一行。
ここからは完全に水のない無人の砂漠。
道も足跡もなく、風のままに流れる砂があるだけである。

ここで登場するのが「タクシーフ」という砂漠の案内人。
タクシーフは隊商の到着を知らせる手紙をもって先行し、手紙をもらった次の町の人は水をもって四日行程のところまで迎えに来てくれる。
もしタクシーフが途中で遭難して手紙が届かない場合には……。
隊商は全滅する。
恐ろしい賭けである。

しかも、イブン・バットゥータ一行が雇ったタクシーフは、ひとりは隻眼。もうひとりも目を病んでいた。
不安しかないとはこのこと。
それでもイブン・バットゥータは出発した。
そうして、砂漠を旅すること七日。
遥か彼方に出迎えの人々の焚火が見え、一行は狂喜したのであった。

自然を乗り越えるには、熟達者に頼るのが一番である。
そうもいかない場合もあるが。

次に雪山。
今日のトルコ、アナドル高原でのこと。

折しも厳冬の頃であったので、道は大雪で消えていた。
しかも、案内人はトルコ人で言葉がわからず、銀貨数枚を与えるとどこかに消えてしまった。

日も暮れて、いよいよ遭難、そして凍死の未来が見えてくる。
しかも、夜道をどちらに進んだらいいのかもわからない。
その時、イブン・バットゥータはこう思った。

「わたくしの馬は特別の逸物だから、自分ひとりこの危機を脱したなら、同行の人々を救う方法も見つかるかもしれぬ。……神のご加護を念じて、進むのだ!」

すると、人家が見つかり、なんと知人にも会うことができ、危機を脱した。

そして、海難である。
実際、これが一番イブン・バットゥータを苦しめた。
彼は操船できるわけではないので、船に乗っているしかなく、もうどうにもならない場合が多い。

その点、イブン・バットゥータは悪運というか豪運の持ち主である。
なんとなく気に入らず乗り組みを見合わせた船が難破したり、荒天で流され続けた先に町があったりする。
彼自身は「神の恩寵に助けられている」と述懐している。

先ほど、インドからシナに渡る際に、女奴隷と一緒の船室が欲しいと、わがままを言った話の続きをしよう。

都合がいい船がないということで、イブン・バットゥータは特別に小型船をあてがわれた。
大型船はすでに出港してしまい、奴隷や荷物は小型船に乗せ終わった。
イブン・バットゥータだけがただひとり、陸に残っていた。

すると、ちょうどその時、天候が悪化した。
大型船は転覆。
ほとんどの乗組員やインド国王の贈り物は海の藻屑となった。
小型船はどこかに行ってしまった。

こうして全財産を失って身一つになったイブン・バットゥータ。
例によってイスラム教徒から施しを得つつ、ヒナウルという地に小型船が流された情報をもとに、その地を目指す。

そして、ヒナウル王をそそのかして(?)マルディーヴ諸島に攻め入り、その島の女王の義母を妻にもらって……という先述の旅路につながっていく。

改めて言おう。
最後は運である。

第四部:最果て到達記録

最後にイブン・バットゥータの最果て到達記録を見ていこう。

イブン・バットゥータの最果て到達記録。

1.最東端:大都(北京)

1345年。
元朝が支配する大都に至る。
政変のため入城できずに撤退。

2.最西端:イスパニア(スペイン)

最西端は地理的に見ればマラケシュあたりかもしれないが、文明基準で見るとスペイン。
1351年。
聖戦に加わるために、グラナダを訪れる。
道に馬が死んでおり、魚籠が落ちているという奇妙な状況に遭遇。
実はそれは敵襲にあって死んだイスラム教徒のものだった。
あと一歩早ければ、その遺体はイブン・バットゥータ自身のものだった。
強運に助けられて一命をとりとめる。

3.最南端:マールリー(サハラ以南:今日のマリ)

こちらも地理的に見れば、ザンジバルのサワーヒルあたりかもしれないが、文明基準できればマールリー。
人類史上もっとも初期のサハラ以南アフリカのまとまった記録として注目されているらしい。
1352年。
マールリーの王、マンサー・スライマーンのもとを訪問。
イブン・バットゥータは王がなんにもくれないのが、気に入らなかったようだ。
けちであさはか、と記す。

4.最北端:ブルガール~ズルマ(闇黒)の国

1333年。
南ロシアでのこと。
10日進めば昼が非常に長いブルガールの町。
そこから40日進めば、ズルマ(闇黒)の国。

そこは人が住んでいるのか、魔性のものが住んでいるのか定かではない。
それに、犬ぞりで行かねばならないのだが、犬に見捨てられたら人は破滅する。

というわけで、途中に大きな困難があるばかりで、益するところがほとんどないので断念した、とイブン・バットゥータは言う。


第五部:イブン・バットゥータの旅の流儀

話をまとめよう。
わたしがイブン・バットゥータの『周遊記』を読んで学ぶことができた、彼の旅の流儀は以下の三つである。

1.行けるところまで行け。

イブン・バットゥータは最初から三大陸の端から端まで見て回ることを目指していたわけではなかった。
最初は巡礼から巡礼へ。
次は、旅から旅へ。
次の町から次の町へ。

そうやって、移動を続けていく中で、旅に魅入られ、旅自体が目的化した。その果てに、三大陸周遊の偉業があった。


2.文明を頼れ。

 イブン・バットゥータの旅は間違いなくイスラム文明に支えられていた。

頼れるところは頼れ。
これはイブン・バットゥータの旅の鉄則である。

詳しくは語られないけれど、もしかしたら彼の旅の同行者もまた、イブン・バットゥータを頼っていたのかもしれない。


3.危機は勢いで突破する。

人に頼れない場面もたくさんある。
そうした場合、基本は運を天に任せるしかない。
イブン・バットゥータはかなりの楽観主義である。

行けば何とかなる。
歩けば何とかなる。
それで何とか危機を乗り越える。
(乗り越えられず落命した、名もなき旅人がたくさんいたのだろうが。)

そうしたら、神に感謝する。
それでいいのである。



イブン・バットゥータの旅の終わり

すべての旅はいずれ終わる。
どういった形であれ。

中国から再びユーラシア大陸を横断するイブン・バットゥータ。
曽遊の地でかつての恩人知人を訪ねる。

ようやく、西アジアくらいまで来てみる。
すると、その地は流行病(黒死病)で荒れ果てている。
ダマスカスには身重の妻を残してきたが、その子はすでに死んでいた。
さらに、イブン・バットゥータの父はすでに他界したという。

エジプトまで行くと、そこで知己を得た長老たちもほとんど死に絶えている。
ああ、懐かしの故郷……。


ようやく、イブン・バットゥータは故郷に帰ることを決意する。
しかし、母親はすでに疫病でなくなっていた。

ここにきて『周遊記』を最後まで読んできた読者は知る。
冒頭、故郷を旅立つ場面でイブン・バットゥータが言った言葉の意味。

「心を鬼にして暇乞いをした。この悲しみは、しかし、両親にとっても、わたくしにとっても終生癒えぬ病のもととなった。」

イブン・バットゥータにとって、旅は出会いと別れの連続である。
もちろん、現代の旅人にとってもそうだが、14世紀の人はその密度が濃い。別れたら二度と出会えぬ人や土地。

だからと言って、イブン・バットゥータが旅に出たことを後悔したとは、わたしは思わない。
これだけ、世界中で別れを経験できたのは、彼が世界中で出会いを重ねたからである。

最果て研究所 かまた 記




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