呑川最果て探索(後編):都市は川を呑み込む
動画アップしました。
謎の存在。洗足流れ。
こちら、最果て研究所。
前編の続きです。
一説によれば、完璧なものよりも、少しだけ欠点のあるもののほうが、魅力的だという。
いわゆる、ギャップ萌えである。
そして、この呑川にも、どうやらそういう性質があるらしい。
国道一号線を過ぎる。
東海道新幹線の高架まで、呑川は自然河川に近づける試みが行われている。
川の蛇行、植栽や漁床、大きな石の設置、など。
親水への配慮だとのことだ。
なぜこの区間だけ親水を意識したのかは解きがたい謎である。

事前の情報で道々橋(どどばしと読む)のあたりで洗足池から流れてくる「洗足流れ」が合流しているということを知っていた。
はっきりとした場所は分からない。
まあ、行けば何となく見つかるだろうと思っていた。
流れが合流しているというのだから、どこかに穴とか水路が開いていてそこから水が出ているはずである。
そんなふんわりした感じて歩いてきたのであるが、堤防はしっかり整備されているのに、意外といっぱい穴が開いていた。
ぎゃっぷ萌え、である。



多分、この中のどれかが「洗足流れ」なのだろう。
独断と偏見で「これが洗足流れだ!」と決めつけて、散策を続けます。
見どころ満載、中原街道:(でも、あんまり観光気分でいると、通行人に不審な目で見られるので注意。)
大田区の南雪谷を歩いていく。
呑川は先ほどまでとは変わってつるりとした川底になる。
高低差が割とあるのかもしれず、流れが出てくる。
そのまま東急池上線の高架をくぐると中原街道が見える。
そこを越えれば、見どころいっぱいの一区画である。
呑川を探索する者にとって、この道端は「観光都市ローマ」なのだ。
まず一番目立つのは「呑川:清流の復活」と書かれた石碑である。

平成七年建立。約三十年前のものだ。
歩いていた時は果たしてこれが何を意味するのかよくわからなかった。
実は東京都によって清流復活事業というのが行われた記念碑らしい。
目黒川、渋谷川などほかの川にもシリーズがあるとのこと。
いつか他も見つけましょう。
そのとなり、ひっそりともうひとつ石碑がある。
じつはこちらのほうが貴重。
大田区指定有形文化財「石橋供養塔」である。

1774年(江戸時代の中頃)に雪谷村の村民によって建立された石碑であり、中原街道にかかる石橋の安泰を祈願している。
何が珍しいかと言えば、石橋の安泰「のみ」を祈願している点である。
普通はほかの願い、例えば健康長寿、子孫繁栄、商売繁盛なんかを併せて祈願する。
でも、この供養塔は、そんなことはしない。
石橋の安全のみを願っている。
なんとも謙虚。禁欲的である。
当時ここにかかっていた石橋は、すでにない。
しかし、今でも中原街道には呑川をまたぐ橋が架けられ、多くの車や人が往来している。
往年の雪谷村村民の願いは今も生き続けているのかもしれない。
謙虚、大事。
と、気まぐれにわが身を顧みるのもよい。
さて、最後の観光名所は、橋の下にある。
中原幹線取水口である。

1982年に下流の水害防止を目的に完成し、中原街道地下に設けられた放水路を通って多摩川の丸子橋付近に水を放水する仕組みになっているとのこと。
都会の地下にはまだまだ知らない工夫がいっぱいであるらしい。
呑川の消失、一回目:川はそこにあったはずなのに、、、
大田区の石川町(ちなみに石川とは呑川のことである)をすぎ、目黒区の緑ヶ丘にはいっても、ずんずん呑川沿いを歩いていく。
どんどん川は細く浅くなり、いつのまにやら桜並木もなくなって、いよいよ簡素な都会の川である。
そして、その瞬間は唐突にやってくる。
呑川を見ながら鼻歌交じりに歩いていくと、業務用の虫よけカーテンみたいなものがかかっており、川が消える。
ここが工大橋。
名前の通り、東京工業大学のわきにある橋。
一度目の「呑川消失地点」である。

こちらも事前の情報で知ってはいたが、河口からさかのぼってくると感慨深いものがある。
友達だと思っていたあいつに彼女ができた気分、、、。
と、誰も呑川の消失なんて気にしていないこの場所で、ひとりちょっとした寂しさを噛み締める。
浪漫は地底にあり。呑川本流緑道を行く。
ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』は名作である。
水晶の洞窟や巨大きのこ、火山の噴火に合わせて脱出するクライマックス。
手に汗握りながら子供のころに何度も読んだ。
あの有名遊園地のアトラクション「センターオブジアース」の元ネタであると言えば、知っている方もおられよう。
ちなみに、こちらは乗ったことがない。
これから乗る予定もない。
何が言いたいかといえば、浪漫は地下にあるのだ。
呑川は工大橋で暗渠になってしまったので、見ることはできない。
代わりにその上に作られた呑川本流緑道を歩いていく。
きれいに整備されていて活気にあふれている。
都立大駅前で緑道は大きくカーブし、そのまま歩くと目黒区八雲のあたりで駒沢支流緑道をぶつかる。
こちらも暗渠である。
駒沢という川がオリンピック公園のあたりから流れてきているらしい。

ほとんど川感? を感じることはできないが、ところどころに何とか橋、のような地名がある。
稲荷橋自転車置き場とか、八雲橋自転車置き場とか、呑川橋自転車置き場とか。
自転車置き場ばっかり。
地形的に見ても、この緑道が周囲から一段低くなっている。
多分、川の跡である。
やがて世田谷区に入る。
このあたりは世田谷百景に指定されている。
曰く、世田谷百景89番、桜並木と呑川の緑道。
誰が指定したのかは知らないし、そもそも世田谷に百か所も名所があるとは驚きであるが、確かにきれいに整備されている。
散りかけの桜の中で、ちょっぴりうさんくさい(失礼)おじさんとこぎれいな女の人が、あーだこーだ言いながら撮影をしていた。
モデルさんかしら? それ以外だったら、なんでしょう?

と、見知らぬ男女の関係性に思いをはせつつ歩いていく。
ふと見ると足元にやなぎばしという石碑がある。
立ち止まってみる。
なんとなくだけど、水の音が聞こえる気がする。
それ以外の音も聞こえる気がする。

通行人の邪魔にならないようにしながら、地面に耳を近づける。
ぶぉーん、どんだん、と不思議な音が聞こえる。
水音かしら、それとも東京の地下で独自の進化を遂げた古代生物かしら?
あんまり夢中になると、不審な目で見られる。
皆様もぜひ呑川本流緑道の地面に這いつくばって、耳を近づけてみてほしい。(周囲には注意を払うこと)
ミュータントタートルズとかテレスドンとか、そういったふんわりした者たちの存在を感じられるかもしれない。
見えなくなっただけで、川は都市の不思議を飲み込みながら、流れ続けているのだから。
呑川の復活! そして、二度目の消失へ、、、:謎の鳥と犬。
そのままさらに歩きましょう。
すると、日本体育大学が見えてくる。
そうしたら、ちょっと周囲を見回してみましょう。
すると、どこからかちょろちょろと水音が聞こえ来るでしょう。
呑川復活!
である。
ここから呑川は親水公園として整備されており、長く暗渠になっていた流れを再び見ることができる。
雰囲気もすっかり変わって、緑が多い小川になる。
桜並木も相まって雰囲気が良い。
散歩コースにお勧めである。

しかし、油断することなかれ。
この呑川親水公園、意外と短い。
端から端まで十数分で着いてしまう。
そして、国道246との合流地点。
唐突に再び呑川は消失する。
そして、これ以降、呑川の姿を見ることはできないのだ。
そう、ある意味でここが呑川の最果てである。
ちなみに、この最果て地点には、犬と鶏の謎のブロンズ像がある。
かつて、こんな物語が一羽と一匹の間で繰り広げられたそうである。

或る昼下がり、呑川の川辺にて。
下流から犬。上流から鶏。歩いてくる。
犬:「お、鶏じゃん。食ったろ」
鶏:「お、犬ころだ。馬鹿にしたろ」
犬:「今日のランチにおなりあそばせ」
鶏:「無理に決まってるべさ。俺、鳥だぜ」
犬:「いや、あんた家畜でしょ。飛べないじゃん。ランチに決定」
鶏:「いーや、飛べるね。鶏は意外と飛ぶね」
犬:「いやいや、飛べないよ」
鶏:「飛べます」
犬:「飛べないって」
鶏:「飛べます」(ちょっと後ずさる)
犬:「飛べないって、、、って、あんたそうやって逃げようとしてるね」
鶏:「ちがうよ。違う」
犬:「もういいや、食べちゃお。いただき、、、」
バッサバサ(鶏の羽ばたく音)
ちょっと高いところに止まる鶏。見下す鶏。見上げる犬。
鶏:「ケーケケ。バーカ。ちょっとは飛べるんだよ。ここまで来てみな」
犬:「わー、確かに意外と飛ぶねえ」
鶏:「そうだろ、バーカ。四足野郎」
犬:「……でも、それだけでしょ?」
鶏:「は?」
犬:「いや、それ以上長く飛べないでしょ」
鶏:「……」
犬:「いいよ、降りてきたところを食べるから」
一羽と一匹の硬直状態が続く。
そうして、月日は流れ、、、
一羽と一匹は銅像になりましたとさ。
おしまい
まあ、すべてわたしの妄想である。
本当は信時茂さんという方の「mourning(モーニング)」というタイトルの作品らしいです。
意味は、哀悼の意とのこと。
どういう意図で作られたのでしょう?
わたしなどに到底分かるわけもなく、、、馬鹿な妄想をして、何かが「残っている」空気を感じたのでした。
まだ見ぬ最果てを求めて、、、
さて、一応の最果てを見つけた訳ですが。
事前の調査でここが「真の」最果てではないということは分かっていました。
ここで流れは途切れる。だが、それが終わりとは限らない。
都市の下で、まだどこかへ続いているのかもしれない。
というわけである。
呑川の会さんのホームページによれば、呑川の源流は田園都市線の桜新町駅付近を再源流とする「深沢」とのこと。
何となくその付近を目指して歩き続ける。
246を超えて、住宅街を進んでいく。
最初は桜並木が整備されて緑道の続きらしき雰囲気があったが、やがてそれも消えてしまった。
ただの住宅街の中をとぼとぼ歩いてく。
目印がないとなんとも不安である。
それでも、桜新町駅に着けばなにがしかあるだろう。
と、思っていた自分を呪いたい。
桜新町駅前は人でごった返していた。
赤血球と白血球と血小板の流れを可視化した血管の中を歩いているような、そんな人波である。
さすがにこの中を名もなき沢を探して回るのは無謀かもしれない。
というか、わたしは人混みが大の苦手である。
もういやだ。
というわけで撤退しました。

まとめます。
呑川の明確な最果ては、よくわからない。
それが今回の結論である。
都市は川を呑み込む。
しかし、完全には消せない。
薄皮一枚の下で、水は今も流れている。
見えなくなっただけで、なくなったわけではない。
そのことがわかっただけでも、今回の探索は上出来だと思う。
さて、次はどこへ行こうか。
