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【凪に至るまで】 奈義現代美術館 岡山県奈義町、津山の街めぐり


GW明けを狙って岡山県と鳥取へ行った。
しばらくその話が続く予定。

3日目に岡山から津山線と路線バスを乗り継ぎ、奈義現代美術館へ。旅前は雨予報だったが晴れてくれた。さすが晴れの国。

奈義現代美術館 概要


この美術館は、通称Nagi MOCA(ナギ・モカ)と呼ばれ、わが国を代表する世界的な建築家 磯崎新によって設計され、平成6年4月25日に開館しました。

国際的に活躍されている荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子の4人の芸術家に一般の美術館では収集不能とされる巨大作品をあらかじめ制作依頼し、その作品、又その全体の空間を作家と建築家が話合い、美術館として建築化したもので作品を本尊にたとえれば建築家はそれに覆い屋を架けるという発想から建てられた、いわば、作品と建物とが半永久的に一体化した、美術館です。

当美術館は、太陽、月、大地と名付けられた、外部からも明らかに認知出来るような形の3つの展示室から構成され、この土地の自然条件に基づいた固有の軸線を持っています。「太陽」の軸は南北軸、「月」の平坦な壁は中秋の名月の午後10時の方向を指し「大地」の中心軸は、秀峰那岐山の山頂に向かっています。

池に面した喫茶室から太陽、月、大地の展示室と同時に、借景になっている秀峰那岐山を望むことが出来ます。日毎、季節ごとにその表情の変化を据えることが出来るのは当美術館の見所の一つです。それぞれの部屋で静かに個人個人が全身の感覚で自分なりに何かを感じていただくようになっております。

建築家と芸術家が共同制作した、この奈義町現代美術館は、未来の美術館の方向を示すものとして一つの提案を差し出した、公共の施設として世界で初めて実現した美術館です。

奈義現代美術館公式サイトより

※平成6年 →1994年。

開けた所にどんと現れる奈義現代美術館。


9時30分のオープンと同時に入館。
まだ人がいない館内でゆっくりじっくり建物を味わった。

エントランス。光が良い。


大地 ≪うつろひ-a moment of movement≫

宮脇愛子

闇から光へ光から闇へ
水面に反射している。

これは群馬近代にあるものと近しいのかな。あの建築も磯崎新だものね。
奥にドローイングが飾ってある。
これを見ると、このドローイングの線と工業製品でできた立体物の線に乖離がない。手でシュッと書いた線が硬いワイヤーのようなものでも同じようにシュッと表現できることを改めて考えると不思議に思う。

線なんだけどもなぁ。



太陽 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫

荒川修作+マドリン・ギンズ

幾度となくメディアに写真がでていたので知っていたつもりになっていた。

入り口



だかしかし、とんでもなかった。

もうこれは写真に撮ったって何の意味もないので写真は載せるけど、その場に立たないとわからない感覚、体感の問題が作品にある。

真っ直ぐ立てない
なんだここ
笑うしか無い
あははは!

全身全霊で体感しないといけないという。

目だけの問題ではなかった。
ああ、これだから荒川修作+マドリン・ギンズ
は。

時々こうしてカメラのレンズが勝てない作品と遭遇した時、その場に立っていることの喜びを震えるほど感じる。

自分が大人であるとか子どもであるとかそういうことをスコーンと飛ばしてくれる。もう好奇心をむき出しにしてよいのだと思う作品。
鉄棒にもシーソーにも腰掛けた。

月 ≪HISASHI-補遺するもの≫

岡崎和郎

太陽の部屋は「見たこと」だけはあったのだ。しかしこの月の部屋こそ私が1番長く滞在していた部屋だった。

耳で体感する部屋。

1人なのを良いことに、反響を色んな方法で楽しんでしまった。
音でこれだけ遊べるのか。
石のベンチ(岡山産御影石)で休息をたっぷりとり、庇を見つめる。
何物にも変え難い時間という作品だったように思う。

音は伝え切ることができない
休息、の意味



人の気配がし始める


ふと気がつくと時計は10時を回り次々と人が訪れ、この場所が今人気の場所だということを実感する。


休憩所
大きなテーブル


企画展


ひっつきむし、と呼んでいた。



ひっつき虫ってこんなに色んな名前で呼ばれているのか!
身近にみていた植物たちが織りなす不思議な世界。
この植物自体も外来種と言われながらも近年生息数を減らしているという。

地域によって呼ばれ方が違う
あなたの地域は
何と呼んでいただろうか?
ひっつきむし、はわりとスタンダードなのかな。


館長さんと出会う



企画展見学後、館内をブラブラしていたら
「あ、朝イチで来た方?」と気さくに話しかけてくれた方が。なんと奈義現代美術館・館長、岸本和明さんだった。

美術館の感動を直接伝えつつ会話がはずみ、館長さんしか知り得ないようなお話をたくさんお聞きすることができた。

その中でもとても印象深かったお話をいくつか書き残す。

奈義現代美術館は1994年開館


東京都現代美術館が1995年開館なのでそれよりも先の公立現代美術館である。
広島現代美術館の次になるのかな。

地元からの風当たりも強くなかなか大変だった1990年代の現代美術館運営。
建築家・磯崎新から「10年我慢すれば(取り巻く環境)は良くなるよ、だから10年頑張って」と言われていたという。
うーん…東京でだって現代美術の風当たりはまだ強かった頃だ。

10年後2004年頃、金沢21世紀美術館ができ、その後2008年に十和田現代ができた頃から少しずつ状況がかわり…来館者もその頃から右肩上がりに。

今じゃ、やっとね、誰にも文句を言われなくなったんですよ〜」と飄々とおっしゃるけど逆風に耐えたその道のり30年。

この前日に訪れていた鳥取県美の話も一緒に盛り上がり、ブリロボックスの議論も楽しく。
「あれだけの地域から名作持って来たら展覧会後に返しに行くの大変だろうなぁ」など美術館側の視点の話も。笑ってしまった。
本当に気さくに話をしてくださる方で楽しくて仕方なかった。とても良い時間だ。

更に驚く出来事


あまりにフランクに話してくださる館長さんへ、ついこんな話までしてしまった。
「実は私はB'zファンでもあるのでこのあと津山の街(稲葉さんの出身地)を巡ろうかと…」
「あっ!そうなの?ここ(奈義現代)B'zの稲葉くんも来てるんだよ

えーーーーーーーーー!
なんと!!

稲葉さんと現代美術…稲葉さんと磯崎新…(違)、稲葉さんと荒川修作、宮脇愛子…うーん。。。頭がパンクしそう。

そういえば稲葉さんの従兄弟は建築家でしたね。
その方との津山建築探訪の一環で訪れた、と。
なるほど。

写真の時代に


写真映えスポットとして有名になりつつあるけど、それもまた良いと思ってる。それキッカケで本物を見に来たら絶対に驚くから。
大きさとか響きの様なものはなかなかスマホでは伝わらない。

軽い気持ちで気軽に訪れて大きな驚きを広げて欲しい美術館だ。


館長・岸本和明さんの人となりが伝わるweb記事を見つけたのでリンクを貼る。


さて、そもそもなぜ奈義へ行ったか。



noteで交流してくださる方の中で、自分に行動原動力を奮い立たせてくれるnoteに出会う時がある。先日の埼玉近代しかり。実際に会うことしかり。

近いところから、遠いところまで。

私にはそれが十分に「自分の目で見る」種になっている。
それらの出会いを胸にこれからもできる限り地道に訪ねて行きたい。

奈義現代美術館に関しては、認知は昔見た雑誌だったが、トリガーになったのはこの方のnoteでした。改めて感謝を。



館長さんのこぼれ話



これがまた面白く。

・1995年3月20日

東京都現代美術館の開館に合わせて、地元の方々と視察に来たそうだ。まさにその時、地下鉄○○○事件が発生。営団地下鉄(現東京メトロ)が使えずタクシーで木場までぶっ飛ばした話。ちょっと時間がズレていたら巻き込まれたかもしれない、と青ざめたそうだ。
その日の事は私もよく覚えている。中学から帰宅後ルパン三世の再放送を見ようとTVをつけたら臨時ニュースだらけで。姉が営団地下鉄で通学していたのでソワソワしたが、遭遇はせずに済んだ様子だった。

・岡山のRabbit holeの話。


私も1日目に訪れた、岡山市内の公益財団法人石川文化振興財団による現代美術館、Rabbit hole。
新しい取り組みは難しい。でもやる価値はあるよね、とご自身の視点を話してくれた。

・岡山の名建築エピソード


・津山も名建築たくさんあるよ!の話。おお、あのライブ会場も建築遺産か。

昨年のソロツアーでも会場になっていたはず。
津山文化センター。


建築家、川島甲士が設計。
すごい迫力。
なかなか都内だと見ない建築だ。
数年前のファンクラブの会報でここの屋上で撮った写真が載っていた。
どうやら建築ガイドツアーにちゃんと申し込めば館内をかなり詳しくガイドしてもらえるらしい。


・磯崎新と親交のある方なので、その辺のこぼれ話も面白い。1日目に寄っていた倉敷市立美術館(丹下健三建築・国の登録有形文化財)も「あれは、丹下さんの事務所にいる頃の磯崎さんが図面引いた建物なんですよ、懐かしがってたよ」などなど。へぇー!そうなのか。

倉敷市立美術館(元倉敷市役所)
館内
何となく、ありし日の世田谷区役所味がある。

・稲葉さんに纏わる地元のあれこれ。


館長さん自身は津山のお隣の勝央町出身。稲葉さんの2歳年上。稲葉さんのお兄さん世代とは地元のつながりがあって交流するそうだ。
そこで聞く30年以上前の地元の話。

…稲葉さんも苦労したんだな…。
津山を出身地と本人が公に多く語り始めのも、活動が円熟しきった頃からだものな。複雑だったのだろう。「逆境にくじけるな」とも歌いたくなる。
とはいえ、1990年代の地方自治体のお役人たちが当時50代ぐらいの世代だとしたら生まれは1940年代の人々なわけで。なかなか新しい音楽を受け入れのには抵抗があったのだろう。うるさい音楽=不良とイメージが悪かった時代。
今の60、70代はビートルズを聞いてきている人たちなわけで。
あの頃の前衛も今やオールド・マスター。
そりゃぁ時代は変わる。

・館長さんが通った画材屋さんの話。

「稲葉さんのお兄さんが経営する和菓子屋さんの近くに画材屋さんがあるんです」と。「因みに和菓子屋の2階はアートサロンになっててね、展示できるんだよね、グループ展をやったことがあるよ」とか。津山の街の実体験としての思い出話がとても良かった。

では実際に行ってみる


そんな話を聞いたら行かねばなるまい。
駅前でチャリを借りて行ってきた。

がざい 石はら


あった!

油絵の具からアクリル絵の具まで幅広く取り揃えていた。

学生さんが紙について一生懸命店主さんと話していたので、そっとのぞいてお店を後にしました。

和菓子屋「くらや」


わかりやすい看板
一階には喫茶。季節柄、かき氷が始まっていた。


和菓子屋「くらや」ではどら焼きとワッフルを購入。
30年前、松本さんがパーソナリティを務めていたB'z beat zoneという番組で
「くらやのワッフルはね、美味しいんだよ」
と、しみじみ言っていたのをずっと覚えていたのだ。
その頃は「くらや」さんが稲葉さんに関連するお店とは知らず、へぇ〜と思って聞いていた。
30年前の木曜深夜23時に放送されていた内容をいつまでも覚えている自分の執念すごいなと感じた瞬間であった。

近くの川べりに座って食べた。ワッフル、美味しい。



さらにオマケ。某化粧品店と津山の街。



津山へ行くと決めてから、もう心を決めてある場所を訪れようということで、とある化粧品店へ。

ファンならご存じかと思いますが。こちら。

商店街の端に。


1990年から今もずーっと好きだし、昔っからファンの間ではメッカなのも知ってた。
でもファンが故、なぜかいけなかった。なんか追っかけのような事だけはしたくなかったのだ。

しかし「いつか」はこない、と思う昨今「今でしょ」がいかに大事か。ということで、どうもお店側も今は観光地化している様子だし、今なら行ける!といってきた。

街並みを含め、感慨深いものがある。
この街から横浜へ出て行ったのか。

そういえば初めてのミリオンセラーはカネボウ化粧品タイアップCMソングだったはず。ご実家、資生堂の専門店だ。笑。

1997年資生堂のピエヌがデビューする時にタイアップCMソングでしたね。懐かしい、ピエヌ。マニキュアを姉と協力して集めた。真っ黒な口紅とか衝撃でしたね。

その後KOSEのタイアップとかもやってたからまぁその辺は関係ないんでしょう。

私は基礎化粧品だけはずっと資生堂ユーザーなので現役で使ってる化粧品を一つ記念に購入しました。
土曜日だったせいかひっきりなしにファンが来ていた。私もその1人。

お店の前の神社。稲葉さんが奉納した柱がある。
古い街道筋。
古い看板
東京とは違うつばめの巣。お椀型ではない。
帰宅後に次男に写真を見せたら
「これはコシアカツバメの巣だよー!」だそうだ。


温かい気持ちを胸に


知らない土地でわからないことや知りたいことがあった時、津山の方々はとても親切に教えてくれた。
バスの運転手さん、美術館の館長さんやスタッフの方。レンタサイクルを借りた時、坂道情報を凄く詳しく教えてくれた係員の方。


良い旅になりました。本当にありがたいことだ。

B'zとして来たのは2017年だったか。その時の映像は映画館で観たきりだ。
円盤として販売してほしい。切実に。
昨年のソロツアーでもやっと来れたのね。
しかし、衣装よ…「恵まれた容姿に不思議な衣装」はずっと貫かれるのだろうな。昔、銀座でツアー衣装展あった時そこに並んでいるともうアートやな…ってなったし意外とこの線行く人は居ないんだろう。
車窓からの空の色が眩しかった。

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