【記録に性別はあるか】出光真子 おんなのさくひん――ある映像作家の自伝 東京都写真美術館
出光真子さんに関してはこちらをおすすめしたい。
読んでから行くとまた少し作品を楽しめると思う。
まぁ恐ろしい展覧会だった。
これが自分が生まれた頃の世の中の常識だったのかと思うと文字通り反吐が出る。
しかしこの映像作品が残ったことで何事もなかったようにしれっとされなくてよかったな、と感じている。作品、という名の役割の一つかもしれない。
そしてこの映像作品の大規模な収蔵を進めた東京都写真美術館の方針も素晴らしい。展示を展開するのはとても大変だったと思うけれど、来場者も多くこれだけの人がこの作品を目にしているということが大事。
感想を無理に抱かなくてもよくて、でも「考える」きっかけにはなると思う。
映像作品が多いので、鑑賞には時間がかかる。2回目割引などもある様子なのでぜひ時間をしっかり確保して鑑賞に臨みたいところ。
釘付けになった作品
一人息子の巣立ちを受け入れられず心配しまくる母の映像作品。
実家暮らしの間撮りためたであろうビデオ(VHS)をみながら食事をする母。今だったら毎日テレビ電話を要求するタイプだろうか…おぉぉぉ…怖い。そしてサラリと内的ミソジニー発言を織り交ぜて毒を吐く。怖い。
この親は「子供部屋おじさん」になったら喜んで受け入れるのだろうか。
でも一歩間違えば自分もその淵にいるのかもしれない。


しかしなぜ彼女がここまで一人息子にのめり込んでしまったのか、をちょっと考えてみる。
…
自分としての結論はその時の社会的役割に囚われず好き勝手に生きる意識って意外と大事なんじゃないかということ。
心を自由にすることで執着も解消できるのだろうか。
でもそれさえも選択肢がなかった、思いつかなかった、逃げられなかった人たちも存在した事は確かで。
でも今、自分が好き勝手な事を言って行動していることは過去の世代と切り離してもよくて…うーんだんだん混乱してきた。
たまにその世代からチクリと言われたりすると、内的ミソジニーは厄介だよなと思う。
前世代に感謝しろ!と強要されても感謝がわかないように。
自分がつぎの世代へそういうことを言わなくても済むようにしたい。

