梟は闇に嘯く 第3話

「坊やが学校に行くならお代はいらない」と紫のババアが言うと、
「わかりました、おばさん」と来瀬は答えて店を出た。
このふたりのやりとりを喰らうとたまらなくなる。気持ち悪いったらありゃしない。

イラストレーターは宜丹というペンネームで活動しているらしい。SNSやnote、ホームページに自分の作品を載せていて、そのうちのひとつ、枯れ木にのるフクロウの絵が来瀬の画像検索に引っかかった。枯れ木に足をかけて振り向くフクロウが月明かりの下に青く光るイラストだった。たまたまなのか、なんなのか、宜丹は同じ町に事務所を構えていた。
俺と来瀬はパラゴンを出て、そのまま宜丹の事務所へ向かっていた。来瀬はピラフを食べるあいだに宜丹にダイレクトメールを送って訪問の約束まで取り付けていた。
「どう言ったわけ」
「絵が素敵なんで見学させてくださいって」
「おかげで迷惑してますとは言わないか」
さきほど歩いて来た駅へ続く通りに戻って、今度は駅改札まで続くアーケード通りへ入った。いわゆるシャッター商店街なるもので、開いている店も紫主体の婦人服店や値札のない金物屋ぐらいで味気がない。昼の明るい時間であるのに、アーチ状の屋根に蓋をされた通りは薄暗かった。俺がそのことに悲哀を感じすぎないで済んだのは、もう子供の頃にはこの商店街はこのとおりだったからだ。かつての活気を知らなければ悲しむこともない。
アーケード通りの中腹あたり、飲み屋らしき店が数軒入る三階建てのビルの前で地図アプリは案内を止めた。ホームページの記載によれば三階が宜丹の事務所兼作業場らしい。窮屈な階段は一段登るたびに靴の音がよく響いた。
「そいつが犯人だって?」
呟くのですら壁に天井に反響した。
「自分の絵のステッカーを貼るいたずらなんて、売名にしたって合理的じゃない。
 だけど合理的じゃないことをする人も少なくは無いから、最後は人を見て判断かな」
三階につくと短い廊下の先に扉があった。
『宜丹』
表札のところにはそれだけ書かれていた。来瀬がおそるおそるインターホンを押した。すぐに部屋の中から物が崩れる音がして扉まで近づいてきた。
扉を開けたのは痩せたスキンヘッドの男だった。
男はぎょろり、とまず俺の目を覗き込んだ。爬虫類みたいな目つきが突き刺さってくる。思わず目を逸らす。男は来瀬の方の目も覗き込んだ。来瀬に動じる様子はなかった。

ぼくと姫継は応接用のソファに肩を寄せ合って座った。男は二人を事務所に通すと「座っとけ」と別の部屋へ行ってしまった。事務所には三つ事務机があって、書類やら事務用品が雑然と置かれていた。しかし人が使っているような形跡はない。机はあるが宜丹の他に従業員が来ている様子はなかった。
「あれ見ろよ」
もう姫継の声がどんどん小さくなってしまって、衣擦れみたいになっていた。姫継が顎で指す方には三体のマネキンが雪崩を起こしたみたいに倒れていた。
「いいな、一個くれないかな」
オークションサイトに服を出品するときには、マネキンに着せた写真も欲しいと前から思っていた。
「もう帰ろうぜ」
「なんで」
「こわい」
どかどかとまた何かが崩れる音をさせながら男は事務所に戻って来た。男は向かいの一人掛けのソファに腰を下ろすと、名刺をテーブルに差し出した。
名刺には『職業 宜丹』とだけ書かれていた。  
「宜丹です」と宜丹は名乗った。
「来瀬と言います」とぼくも名乗った。
「姫継です」姫継は声が小さかった。
「なんて?」
宜丹は姫継を睨みつけて聞いた。
「すいません、姫継です」
「そうか」
宜丹は背中を反るようにしてソファに体を預けると、体のどこからか煙草を取り出して吸い始めた。
「で、見学したいって、どうして」
宜丹の雰囲気を見て、用意してきた理由を使うことにした。
「木とフクロウの絵をたまたま拝見したんです。それが素敵だなって」
「美術部かなんか?」
「いえ、不登校です」
宜丹は煙草を深く吸いこんで、長く吐いた。
「良い絵だろ」
「はい」
嘘ではない。絵自体には魅力があった。
「一ヶ月前に、お得意さんからオフィスの壁紙に使うための絵をくれって注文があったんだ。だから描いてやった」
「それは良いですね」
「ボツだよ。オフィスに枯れ木は縁起が悪いんだと」
勿体ない話だ。
「ボツになったやつしかネットにはあげねえ」
「フクロウは前から描くんですか」
宜丹は煙草を灰皿に押し当ててから両手を合わせて目を瞑った。姫継と短く目を合わせて、宜丹の返答を待った。
「あれは、しょうもねえサラリーマンだった頃だ。広告屋さんやってたんだ。ビラを作るってなって、なんか絵が欲しいってなった。客先がフリー素材を嫌ったんだ」
「それがフクロウだったんですか」
「慌てるなよ。フクロウもあったし、動物はいくつか描いた。印刷所にも持って行った。でも、無くなっちまった」
「無くなった?」
「印刷所が潰れちまったんだよ。で、俺の仕事も流れた。徒労だよ徒労」
自分で事業をするぼくにも似た経験はある。時間をかけた作業ほどご破算になれば呆気ない。
「そのあとに独立したんですか?」
「本当はクビになったんだよ」
宜丹はつまらなさそうに手刀で首を切るジェスチャーをした。やり慣れていそうだ。
「どうしてって聞いていいですか」
「社長ぶん殴ったら当然クビだわな」
「むかついたんですか」
「伊藤ってクズだ。人殴りたくなったら住所教えてやるよ」
この時点で、宜丹がステッカー犯ではないと確信できた。仕事があるから宣伝目的にステッカーを貼る必要もないし、ステッカーでイタズラをする人間ではない。犯人はもう少し先に居るらしい。
話を進めるために、真っすぐいくことにした。
「実は、ちょっと見てもらいたいものがあって」
姫継は焦って腕に手をかけてきたが、気にしないで宜丹に写真を見せた。
「近所にステッカーが貼られてたんです。実はここから宜丹さんに辿りついて来たんです」
宜丹は前のめりになって携帯を覗き込んだ。
「誰がやったんだ」
先ほどとは明らかに違って声は明確に怒気を孕んでいた。反応からしてやっぱり犯人ではないらしい。
「調べてる最中です」
宜丹は覗き込む姿勢を崩さないまま言った。
「わかったら連れてこい」
「はい、なので色々と教えてもらいたいんです」
じろりと鋭い眼光が向けられる。あまり恐怖を感じはしなかった。
「このバージョンのフクロウはネットでは公開してないですよね」
「昔のことだから、俺の記憶も怪しいけどな、たぶん印刷所に持ち込んだやつ。ハシノ印刷だ」
「潰れたのはそこですか」
「そうだ」
「ありがとうございます。もし当時の絵が見つかったら教えて欲しいんですけど」
「連絡する」
ハシノ印刷。なんだか覚えのある社名だ。町の中にあったような覚えがある。そこをあてにして調査を進めていくしかないだろう。
帰るきっかけが欲しくて、ぼくは目的もなく部屋を見回していた。宜丹はぼそりと呟いていた。
「どこにでも貼りやがって」
聞き逃さなかったのは意外にも姫継の方だった。
「どこにでもって?」
姫継の声はつっかえるようにして出てきた。
「知り合いにも言われてたんだよ、お前いたずらすんなってな」
「こことは違う場所だったんですか」
「塀だろこれ。俺が元々聞いてたのは自販機に貼られたやつだよ」
まだ知らない犯人に大胆さを覚えた。駐車場の塀なら土地の管理人だけで済むけど、自販機となると自販機の管理会社が絡んでくる。通報でもされるとより話が大きくなるだろう。それとも後先考えていないだけだろうか。
「じゃあ、その自販機の場所も教えてください」
話をしてくれたことに礼を言って立ち上がると、倒れたマネキンがまた目に入ってきた。
「あれは使ってたんですか?」
宜丹は振り返ると首を横に振った。
「絵画教室をやろうと思って、ポージングの教材として買ったけどよ、みんな初回で消えちまった」
みんなが初回で消えるのは宜丹の口調が原因かもしれない。それは胸の内にしまって宜丹にお願いをした。
「マネキンひとつ貰えませんか」
宜丹はまたじろりと眼を覗き込んできた。目を逸らしたくなったが、逸らすと貰えない気がして堪えた。
「条件アリ」
「なんですか」
宜丹は重々しい口調で言った。
「明日は絶対、学校に行け」
なんだ、そんなことでいいのか。
内心ホッとしながらも重々しく答えた。
「頑張って、行ってきます」

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