梟は闇に嘯く 第12話

いっそのこと、とことんまで静寂の中にあれば風情もあるものを、何十年前かに作られた地元歌手の曲がオルゴール調でかかり続けているものだから、色タイルのアーケード通りは退廃的な寂しさに満ちていた。その色タイルを見つめながらうろうろして、覚悟が決まるのを待ち続けて、最後は覚悟を待ち疲れてようやくビルに足を踏み入れた。
金曜日の昼下がり、野良猫もそろそろ起きなきゃいけない時刻だった。
宜丹は俺を見るなり「なんの用だ」とつっけんどんに言った。
「ステッカーのことで来ました」
と、俺が答えると
「俺に聞かなきゃいけないことがあるか」
と、宜丹は返した。
「まあ色々進展があったので」
視線が泳いでしまって、俺は最後にはなぜか宜丹の胸元を凝視していた。
宜丹は前と同じく俺を応接用のソファに座らせて、自分は対面の一人掛けのソファに座った。
俺は火曜日からのことを話した。教えられたとおりの場所にステッカーがあったこと。QRコードのこと。1枚目のステッカーが無くなっていたこと。ハシノ印刷の悪評。そして昨夜の廃工場でのことだ。
「過激だね」
宜丹はたった一言つまらなさそうに呟いて煙草を吸った。
「で、それで俺のところに来てどうしたの」
「昨日の朝から来瀬と連絡が取れないんです。あいつが居るはずのガレージにも居なくて、家に聞きに行ってもどこかに出かけてるって」
来瀬が消えた。昨日の朝、気まずくはあったものの自分なりには切り替えてガレージを訪れた。しかしガレージのシャッターは下ろされたままで来瀬の姿はなかった。学校に行ってるのかもしれないと思ってクラスの奴に聞いてみても来ていない、心配になって今朝、家に向かうと体格のやけにゴツイ角刈りのお父さんが出てきて「ほっつき歩いとる」と言うだけで心配する素振りもなかった。こうなるとむしろ心配になるのは俺の方だ。なんせ廃墟のことは俺とトーキしか知らないからだ。
たまらない不安が胸やけみたいに体の内側を焦がした。
「家の人間が言うならそうなんだろ」
宜丹は投げやりに言った。
「いや、廃墟で追いかけられたっていうのもあったんで」
「ならなんでお前はここに居るんだ」
言われてみれば確かにそうだ。来瀬を心配するあまり自分のことを忘れていた。
「結局誰がやったかわかんねえな」
ソファに細い体を押し当てるみたいにもたれて、宜丹は煙草の煙を吐いた。
「なにか心当たりはありませんか。俺らはハシノ印刷の悪い噂はだいぶ関係してると思うんですけど」
宜丹は首を捻った。
「どこで調べたんだよ、それ。ハシノさんのとことはお付き合いさせてもらったし、社長の端野さん、コウちゃんて呼ばれてたんだけど、コウちゃんとは飲みに行くこともあった。悪い噂なんか聞いたことねえよ。会社の払いも良かったし、工場は臭かったけど社員は大切にされてたよ」
会社に対する評判がまるで違うじゃないか。ネットの書き込みはなんだったんだ。俺は宜丹に悪い噂が書き込まれたサイトを見せた。宜丹は苛立って何度も舌打ちしてからテーブルを叩いた。
「クズが、しょうもねえことやりやがって。伊藤の野郎の差し金だな」
「伊藤って」
「前も言っただろ。俺が前にいたとこの社長だよ。こんなことは知らなかったが、あいつならやるさ」
「どういう人だったんですか」
「細かいことは言ってもわかんねえよ。犬だ。汚い犬。あらゆる権力に巻かれに行って、そのためには昨日の寝床に糞かますのだって平気さ。会社にもほとんど居なくて、地域の偉いさんに会いに行ってばっかりだったよ。俺が入った頃の社長は良い人だったんだがね、うまく跡を取りやがった」
「広告会社でしたっけ」
「正しくは広告代理店だ。違いはネットでも見とけ。ハシノ印刷には何十年もビラやらチラシの仕事を発注してたんだ。地域の繋がりってやつかな。それが伊藤の奴、なにかとハシノ印刷の仕事に難癖つけて支払いをケチりやがった。配送で皺が寄ったやら、発色がまるでダメだとか、そんなクレーム一個もなかったのによ」
「ハシノ印刷は言い返したりしなかったんですか」
宜丹はタン交じりの咳をしながら手をひらひらさせた。
「言い返せねえんだよ。仕事のほとんどがうちからの発注だったから」
「それをいいことに無茶苦茶言うなんて」
そんなことが許されるのだろうか。にわかに憤りを覚えた。
「いいんだよ。これに関してはハシノ印刷も悪いんだ。仕事をどこかに依存すれば立場が弱くなるのは当然だ」
宜丹は親指で作業部屋の方を指差した。
「だから俺だって常にどこかに作品を売り込み続けてる。ちょっと安定したぐらいではだめだ。常に違う人間から求められる立場。そこまで登り詰めて初めて成功だ。端野さんは良い人だったけど、寡欲では足もとをすくわれる」
「社長がだめだったってことですか」
「先代だな。コウちゃんの親父さん。あの人がお人よしすぎた。受注単価も言われるがまま下げちまったし、うちからの仕事を優先して他の仕事を受ける余裕もなくしちまった。なんとか変えようとしたのがコウちゃんだったんだよ」
「そういうことだったんですか」
その結果としての過剰な誹謗中傷。残ったのは入れ物ばかりの廃墟。どれほどの悲しみがあったのか、途方もなく、推し量ることすら難しかった。しかし、そうだ。印刷会社が倒産までしてしまったら広告代理店だって困るんじゃないのか。
「さあな、俺は辞めてからのことは知らねえけどさ、印刷会社なんか近くにもあるだろうし、他に頼むだけだろ」
「はあ」
「それよりお前、まだ俺にビビってるだろ」
薄い瞼の下から覗く眼が鋭く俺のことを捉えてきていた。下手な返事をすれば殺されるのではないか、思わず唾を飲んだ。
「そんなことは」
「声が小せえよ」
「ありません」
ほとんどかすれた声しか出なかった。話を聞いているあいだは覚えることで必死だったが、改めて宜丹と向き合うと乱された。とても平常心ではいられなかった。
「俺ってそんなに怖いか?」
実際、怖い。
「怖くないです」
「お前がなんでそんなに怖がるか教えてやるよ」
お説教のようなものが始まるのだろうか。身構える俺に対して宜丹は煙草を揉み消してからゆっくりと息を吐いた。
「お前の怖がり、というより怯えは人見知りとかビビりってわけじゃねえ。あの相棒にはもっと偉そうに振舞って大層な口を利いてるんだろ」
俺は来瀬にどのように話しているか思い出した。別に敵意を持ったり見下したりしているわけじゃない。だけど高圧的な言葉を使っている自覚はあった。それはもうほとんど癖みたいなものだ。コミュニケーションをする中での俺の装いがそれなだけで、服装の好みには違いがあるってことと同じだ。
「同じじゃねえよ。だったら俺相手にだって、そんな妙にかしこまって話す必要はねえんだ。いつもと同じように話してみろよ」
いや、それは、年上ですから。
「声までちいちゃくなっちゃってよ。なんでそうなるかちんぷんかんぷんだろ」
だからここには来たくなかった。ここに来るとあんまり良いことにならない気がしていた。
「お前は人と向き合うことができてないんだよ。向き合わなきゃいけないタイミングで、全部なあなあにして終わらせてきただろ。腹くくって決断しなきゃいけないって時も、ただ時間が過ぎて成りゆきが追い付くのを待っただろう。そういうことを繰り返すうちに、誰もお前にちゃんと向き合わなくなった。でもそっちのほうが快適だっただろ。向き合うことで生まれる協調よりも、視線の交わらない自由に快適さを覚えたんだ。だからお前に対してマジになる奴が現れると、萎縮する。怯えて声が小さくなるか、器用に逃げ回るか、不機嫌そうにしてみせるか、そんなとこだろ」
宜丹はシニカルな笑みを浮かべていた。
「可哀相にな。なにがあったかは知らねえが、とにかくそこまでひねくれちまった。目を見ればわかる。相棒のことならほっとけよ。お前はフラれたんだよ」
「フラれた?」
唐突なワードに思わず聞き返す。
「そうだよ。お前みたいなひねくれ野郎は相手する方が大変なんだ。機嫌損ねないように気を遣うし、ダサいし。嫌になってフラれたんだよ」
お腹のあたりをぐるぐると、得体の知れない重い物がとぐろを巻くのを感じた。

「そんなんじゃないっすよ」

「じゃあなんだよ。居なくなったんだろ」

「あいつはフるにしたって黙って消えることはしないよ。馬鹿だけど、たぶん愛情はあるんです。俺はひねくれ野郎ですよ。まったく言う通りで、自分でも嫌になるぐらいですよ」

重たい何かは熱を帯び始めて、体全体を熱くした。それを外へ逃がそうと、口を開いた。
「フラれててもいいけど、とにかく俺は今あいつが心配なんです。もうダサくてもいいからあいつを探すんです。だから、嫌でもこんな臭いとこにまで来たんだよ」
脚。鳩尾。
流れる視界が止まると天井が見えた。
爆発するみたいな痛みが腹に響いた。腹を抑えて呻く。
俺が捲し立てると間髪入れずに宜丹の前蹴りが飛んできたんだ。それでソファごとひっくり返って。
「言葉遣いが悪いぞクソガキ」
何か言い返してやろうとするが、細い呼吸を繰り返すので精一杯。全身から冷や汗が噴き出ていた。
「名前なんだっけ、忘れちゃってたよ」
「ひめつぐ」悶えながら答える。
「お姫ちゃん、そろそろ起きろよ。相棒を探そうや」

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