梟は闇に嘯く 9話
夜の町は統制された幾何学で成り立っている。
整えられたビル入口の隙間なく敷き詰められた大理石や、地下街に伸びる階段を覆うアーチ屋根なんかを横目にバイクは惰性で進む。ペダリングを止めているあいだはホイールのハブから蝉の鳴くみたいな音がジーと鳴って、それだけだった。夜の中で、俺は孤独の中にいることを知った。歪みのない直線も、破綻のない曲線も、俺のものではなかった。俺は俺のものでない曲線で、バイクをプッシュして空中にふわり浮き上がって、俺のものでない直線に沿って着地した。タイヤのゴムがコンクリートに打ち付けられる音とチェーンが暴れる音。今日は仲間もいろいろ忙しくやっているらしい。トーキはスプレー事件のあとにあっさり学校をやめて、今はバイトを掛け持ちしている。他の奴も大学に進学するとかで夜に出てくることが少なくなっていた。俺は仲間が路上に付けた傷跡を追うようにしてスポットからスポットを移動した。通り過ぎるパトカーは注意しに追いかけて来ることもなくなった。誰の目にも映らない中で俺はただ飛んでいた。
年の離れた姉が就職してから三年が経っていた。良い大学を出て、良い企業に就職した姉を、親は手放しで褒めた。そりゃそうだ。期待を裏切らずに毎日塾通いをして、全部現役で志望通りに駒を進めてきた。反抗期みたいなものもない。模範的な娘であり姉だった。
姉は成功事例だった。俺が中学受験させられたのは姉が中学受験をしたからだ。俺が進学校に進んだのは姉がその学校の試験で一番を取ったからだ。両親は俺に姉のやってきたことをなぞらせた。
あれは三年前の夜。雪が降っていた。
俺は塾の手前の角で立ち尽くしていた。塾に入れば授業が始まる。鞄にはテキストが詰まってる。高校受験のためには大事になってくる時期。足を止めたのは強烈な吐き気だった。何度か嘔吐いて涙が出てきた。風邪なんじゃないかと思って、それなら許されると思って帰ることにした。そうして塾に背中を向けた途端、吐き気が嘘のように消えた。
まっすぐ帰ることはできなかった。道をギザギザに曲がって進んで、家に着くまでの時間を永遠に先延ばそうとしていた。舗装路は永遠には続かない。舗装路両端の直線は消失点に辿り着くことなく入れ替わり連続していく。浅く積もった雪はそれすらも優雅に隠してみせた。
聞きなれない音がしたのは公民館の前を通りかかったときだった。裏の駐車場にまわってみると、自転車に乗った数人の集団が雪の積もったスロープに集まっていた。同年代と思しき彼らは雪で滑るのを利用して自転車の後輪をスロープでスライドさせて遊んでいた。やってることは危なっかしいのに、経験値が高いのだろうあまり心配にはならなかった。
俺はなぜか隠れるようにして、しばらくその様子を眺めていた。
「混ざりたいん」
不意に背後から声がした。
じゃんけんで負けてジュースの買い出しに行かされていたトーキだった。
トーキはそのまま仲間の中に俺を連れて行った。最初はみんな怪訝な顔をしたが、俺を遊びに混ぜてくれた。俺がどんくさいのを過度に笑う奴はトーキ以外ひとりもいなかった。
両親が俺を諦めた夜、俺は仲間を得ていた。
「パンパースかムーニーのどっちかあだ名にするから選んで」
トーキによってムーニーと名付けられたのもその夜だった。
公民館裏のスロープは傾斜が緩くて長い。トリックの練習に適していた。マニュアルを絡めたトリックにもよかったし、フェイキーからのトリックにも使えた。それなのに、俺は練習をすることもなくジュースを飲みながら呆けていた。天上の星空に勝手な星座を作っていた。
そろそろ帰るタイミングも考えなければいけない。
じーっと蝉の鳴くような音が近づいてくる。トーキの仕事が早くに終わったか、それか別の誰かが来たのかと思って音が近づくのを待っていた。
「あれっ姫継じゃーん」
来瀬はわざとらしく驚いた。
「どうやってここがわかった?」
わざとらしく口を開けやがって。俺は笑ってしまった。
「推理だよ推理」
「推理だけでこの場所がわかるのか」
「ユーチューバーだからね、案外わかるんだよね」
来瀬は「ユーチューバーってのは」なんてぶつぶつ言いながら俺のバイクを移動させて自分のバイクをスロープに立てかけた。バイクになにか仕込んでやがったな。あまりにもわかりやすい奴。
「それよりさ、明日廃墟に行く前に色々調べておきたいんだ。ちょっと手伝ってよ」
「動画のためか」
「いや、ハシノ印刷について会社の評判とかを見ておこうと思ってね」
「なるほど。転職サイトなんか見てみると会社の実態がわかるかもしれないな」
「やっぱり姫継って馬鹿そうだけど馬鹿じゃないね」
来瀬は本当に感心した様子だった。ゆっくり起き上がって脇腹を小突いてやる。来瀬が呻く。
「じゃあ、そういうことで。本当に眠くて仕方がないから帰るよ」
来て3分もしないで来瀬は慌ただしく帰ってしまう。
肩越しに来瀬の帰るのを見送る。だいぶ乗り姿が様になってきていた。
「馬鹿だなアイツ」
呟いて、少し笑った。向こうの空に馬鹿の星座を作った。
