梟は闇に嘯く 第2話

『パラゴン』
蔦の覆う壁に店名は潜んでいた。重たい木の扉を押し開けると、カウンターと四人掛けのテーブルがあった。他に客は居なかった。店主のおばさんはこちらを一瞥するとカウンターを指差したので、そのまま扉近くの椅子に腰を下ろした。姫継も隣の席に座った。カウンターの上には古本みたいに黄ばんだラミネートのメニューが立て掛けられていた。
「なんでここだよ」
姫継は囁き声で非難してきた。
「ちょうどあったから」
ちょうど駐車場の裏なので便利だっただけのことだ。
「もうちょっと歩けばマックでもモスでもあっただろう」
「ジョイフルだったら行ったけど」
店主がおしぼりと水をそれぞれ手に握って持ってきて姫継は耳元から離れた。店主は紫のネイルが塗られた手でおしぼりと水を二人の前に静かに置いた。
「もうランチって頼めるんですか?」
店主は目を見てきてゆっくり答えた。
「坊やの食べたい物を言いなさい」
「坊やじゃないけど、ピラフください」
姫継はなぜか隣で頭を抱えていたが、店主が待っているのに気が付いて慌ててカレーを注文した。店主は静かにカウンターの向こうへ戻っていくと、キッチンに入ってピラフとカレーの準備を始めた。
「そんなに緊張しないでよ」
「してねえよ」
「注文するだけなんだからあんなあわあわしないでいいのに」
姫継は睨みつけてきたが怖がる気にもならなかった。
「ていうか、どうやって犯人探すつもりなんだよ。なんか手掛かりあったのか」
姫継は落ち着きがないタイプらしい。忙しなく体を揺らしながら話してくる。
「うーん、まだなにもないよね」
「どうすんだよ、留年なんだぞ、留年」
「ただの脅しだって」
「道長はマジだよ」
あまりに心配するので思わず笑ってしまう。携帯を触りながら答えた。
「不良が留年を怖がっちゃダメだよ」
「不良じゃねえよ」
「スプレーでいたずらなんて不良のやることだよ」
学校にたまに行くとその度に、席の近い友達が色々と事件を教えてくれた。ほとんど学生らしいくだらないもので、部外者同然の自分に同じ温度感で楽しめることは稀だ。しかしスプレー騒動は別だった。その日登校すると、正門に白いスプレーで落書きがされていた。英語の筆記体を描いているらしかったが崩しすぎていて判読は難しい。一限前の教室はいつも以上にざわついていた。てっきりみんな落書きを目撃してのことだと写っていたので、ざわつきに参加することなく出席の代わりに課されていた課題を机の上に重ねていた。そこへ例の友達が机にやって来た。彼は机に身を乗り出して興奮した面持ちで言った。
「姫継の奴、捕まったらしいぜ」
あまりにも唐突なので、よくわからないまま曖昧に「そりゃ可哀相だ」と返した。まさか警察に捕まったなんて思っていなかったのだ。姫継とストリート仲間は二日前の夜中に学校の正門にスプレーを吹き付けていた。昨日の朝になって正門前は騒然となり、警察へ通報が入る事態になった。解決は早かった。監視カメラはばっちり実行犯含めて全員の顔を捉えていた。
彼はぼくに顛末を教えると慌ただしく他の友達のところへ向かった。そこでぼくはようやく気が付いた。教室のざわめきは姫継の席をとりまくようにして起こっていた。好奇と悪意の混じった無数の視線が空席に投げかけられ、教室は総意としての嘲笑を不在の姫継に浴びせていた。一限のチャイムが鳴って先生が入って来ると教室のざわめきは止んだが、みんなどこか落ち着きがなく、授業中も黙って互いに目を合わせあったり、携帯にメッセージを打ち込んだりする様子があった。一限が終わって休憩時間になると、堰を切ったようにまたざわめきは再開された。噂がクラスを越えて持ち込まれるようで、誰々が退学になるんじゃないかとか、誰々の親が校長室に来てるだとか、確かめようのない噂ばかりが交わされた。
ぼくはあまりのおぞましさに教室を離れて、昼を前にして学校を後にした。それから姫継がガレージを訪れるまで、来瀬はほとんどまともに顔を合わせてこなかった。
「あれはトーキの馬鹿がやったんだよ」
姫継は扉の方を向いて苦々しく答えた。
実際、間近で接してみると姫継がイタズラに積極的に参加するようなタイプには思えない。だからこそ余計に不思議だった。
「なんで止めなかったの」
しばらく間があった。
「来瀬もBMXに乗ってみろ。そしたらわかるよ」
「BMXって自転車?」
姫継は携帯でBMXの写真を見せてくれた。普通の自転車よりもずいぶんと小さくて、サドルは斜め上を向いていて座りにくそう。姫継はそのまま動画を見せてくれた。動画の中ではBMXに乗った人がペダルを漕いで加速すると、段差の上から勢いよく跳んだ。跳びながら空中で横に綺麗に一回転すると、しなやかに前後輪同時に着地した。しゃがみこむような姿勢で惰性のまま進むと、仲間とハイタッチして回る。オレンジ色の外灯の下には仲間のものらしきBMXがいっぱい立て掛けられていた。
「これ誰?」
「俺だよ」
「すごいね、大会とか出てるの?」
「馬鹿、出られるわけねえだろ。俺らは路上で楽しんでるだけだよ」
ストリートの集団に姫継が属しているとは聞いたことがあったが、具体的にどんなことをしているかは知らなかった。映像の中の来瀬は格好良くて、周りに仲間が居るというところもよかった。集団はもっと陰気で、謎の成分の煙でも燻らせているなんてところを想像していたから、それからすると映像から見えたのはむしろ健全すぎる姿だった。
「来瀬こそ毎日なにしてんだ。あんなガレージで」
そういえばクラスの人に自分の事業のことを話したことはなかった。誰かが聞いてくることはなかったし、言うとなると気恥ずかしさもあった。
「今はユーチューバーやってる」
正確にはまだ目指してる段階なんだけど。来瀬は少し見栄を張ることにした。
「すごいじゃん、どんな動画作ってんの」
「雑学っていうか都市伝説っていうか」
「みせてよ」
恥ずかしさから若干の抵抗もあったが、投稿したなかで再生回数の一番多かった暗号解説の動画を再生して見せた。動画を作るときにはフリー画像と自作のイラストを繋ぎ合わせて映像を作り、そこに機械音声の読み上げをのせる。いわゆる典型的な解説動画になるわけだが、できるだけ内容の充実度にこだわった。粗製濫造されているウィキペディアそのままのような動画ではなく、興味深い部分について背景も含めて深掘りして内容を作り込んだ。しかし手間の割に再生回数はなかなか伸びない。解説動画なんてもう飽和していて、入り込む余地なんてなかったのかもしれない。
意外にも姫継は真剣な様子で動画を観ている。隣で自分の動画を観られるのはなんだか落ち着かず、早くピラフとカレーが来てほしかったが、その前に八分の動画は終わってしまった。
「むずかしいけどおもしろい。暗号っていろいろあるんだな」
楽しんでくれたことは素直に嬉しかった。
「どういうふうに面白かった?」
「暗号なんか気にしたこともなかったけど、色々な隠し方があるんだな」
「うんうん」
「伝えたいことがあるから隠すっていうのは、言われてみれば確かに」
「そうだよね」
「暗号を使った騒動まで起きてるっていうのは漫画みたいでいいな」
「姫継ってもっと馬鹿だと思ってたけど、ちゃんと理解できてるね」
姫継の素早いパンチが脇腹に飛んできて体がくの字に曲がった。
「俺はな、中学受験もしてるし、中学のときは毎日塾に行かされてたんだよ。読解力とかってのは学校の奴よりもあるつもりだよ」
中学受験までしたのになんで自転車に乗ってるの? 聞きたくなったけれど、第二の拳が来ないとも限らないので黙った。悶えながらも携帯を奪取したところで、店主がピラフとカレーを運んできてくれた。
「ありがとうおばさん」
「いえいえ坊や」
姫継はまた隣で頭を抱えた。そんなことよりも、大事なことを聞いておかなきゃいけなかった。
「裏の駐車場って前から駐車場だったんですか」
おばさんはカウンターに戻る背中で答えた。
「そうよ。会社の社員さん用の駐車場だったわ」
「その会社はもう使ってないんですか」
「三年前に潰れちゃったのよ。前はそこの人が来てくれてたから朝と夕は忙しかったのよ」
「最近は車がとまってますよ」
「先生さんでしょ、朝は早すぎるし夜は遅すぎるから来てくれないわ」
店主は寂しそうに言った。なるほど、便利そうな場所に広大な土地が余っていたことについての納得がいった。
「三年前から今までは空き地だったんですか」
「そうね。今と変わらないわよ」
それも変な話だ。学校が駐車場とするまで誰かが土地を買っていたなら、それこそ有料の駐車場にでもして運営していればよかったのに、なにか都合があったのだろうか。
ぼくと姫継はガツガツと喰ってピラフとカレーをあっという間に平らげた。店主は皿を下げるとアイスコーヒーをふたつ、余ってるからと言って出してくれた。
「で、どうするよ」
姫継はガムシロップを2つ注いでアイスコーヒーを飲んでいた。来瀬は3つ注いでいた。
「まだまだ情報が少なすぎるから、ここは一個一個辿っていくしかないと思う」
「生徒に聞き込みでもするか。近くに住んでる奴もいるだろ」
「徒労だよ。それより製作者に話を聞いてみよう。実はさっき、ステッカーの写真で画像検索をかけてみたんだ。ぴったり当てはまるものはなかったんだけど、探してると似たのが出てきた」
グーグルを使って画像検索をかけると、色のついたカラフルなフクロウのイラストが載ったウェブページにたどり着いた。姫継は小刻みに頷いた。
「イラストレーターの人が描いてるらしい。とりあえず、この人に話を聞きに行こう」
「いつ?」
来瀬はアイスコーヒーを勢いよく飲み干した。
「今から」

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