梟は闇に嘯く 15話
体を伏せて、
溜めて、
一気に後ろへ体を持っていく、
腕を伸ばして、
目線は前。
相変わらずバイクはうんともすんともならない。ときどき前輪がふわっと浮き上がる挙動をしかけることはあったけど、それでも実際にはほとんど上がらなかった。腕で無理やり持ち上げるとちょっとだけ浮くけど、そのやり方だとバニーホップにはならないらしい。
「ちがう、溜めてからもっと勢いよく後ろに体重をのせて」
隣で姫継が並走しながらアドバイスしてくる。
「勢いよくやってるよ」
「うーん、もっとやってみ」
言われた通り、勢いよく体を後ろに下げる。手がハンドルに食い込むばかりで、やはりうんともすんともならない。
「うーーん」
姫継が頭を捻った。
「ちゃうちゃう、もっとぐんっ!っていってみ、バニホはふっぐんっむんわっって感じやから」
新たなアドバイスは逆サイドで並走するトーキからだった。
「むんわってなんだ」
「ぐんっ!て体を引いたあとにむんわって感じで跳ぶねん。体を上にもっていく感じがむん、で後輪を脚で連れて来るんがわっ、て感じやな」
「独自言語すぎるって」
よくわからねいけど、とにかくアドバイス通り「ふっ」と伏せてみて「ぐんっ」と引いてみた。
バイクの前輪が浮き上がって、ウイリーをしているような状態でバイクが進み続けた。
「すげえー!」
姫継が叫んだ。
「できてるやん!」
トーキも興奮して叫んだ。
ぼくはそこからどうしていいか教えてもらってなかった。
「どうしようどうしよう」
「そのままでいいよ。すぐ落ちる」
しかし前輪は落ちない。ウイリー状態のまま走り続けて、最後はどんどん前輪がまくり上がってお尻から地面に落ちた。ハンドルを握ったままだったので、最後はお尻ブレーキをする格好で停止した。
バイクを地面に倒して振り返るとふたりは笑いすぎて動けなくなっていた。
「芸術やん」
トーキは涙を流しながら笑っている。
「ありがとう」
「最高のトリックだよ」
姫継は過呼吸一歩手前といった状態になっている。
「ありがとう」
ぼくは最高のトリックを習得した代わりにズボンのお尻を破った。
合流してから色々と準備をして、3人で駐車場に来ていた。最初のステッカーが貼られた例の駐車場だ。もう教員の車も無くなっていたので、好き放題にストリートをさせてもらっていた。本当はもっと公道とかでやるらしいけど、そこまでの度胸はぼくにはない。
月曜日の夜。野良犬が仰ぐ月が天高く上がっていた。
「しかし大胆だよな案外。正門にステッカーなんか貼ったら絶対つかまるぞ」
姫継はやはりジャンプのトリックが綺麗だ。跳ぶ瞬間は風切り音をまとって高く跳んで、着地する瞬間は膝を綺麗に折り畳んでわずかな音しか出さない。これこそが芸術品みたいだ。
「先に監視カメラのコードを切ってやったよ」
ぼくはさっきのお尻ブレーキで疲れたので座ってふたりが跳ぶのを眺めていた。お尻ブレーキはトーキが命名した。
「まじかよ」
「俺んときもムーニーに切ってもらったらよかったわ」
姫継の挙動が静かなのに対して、トーキのトリックはとにかく騒がしい。回転しながら着地すると駐車場の砂利を派手に撒いた。主張そのもののトリックだ。
「うっかり、みたいな感じでね。うっかりよろけちゃった、みたいな感じでぶつかって手元のカッターでコードを切ってやった」
「スプレー騒動よりもよっぽどたちが悪いな」
「ステッカーはまだ学校に残ってるかな」
トーキが手を振ってないないない、とした。
「あなたたちの担任いてはるでしょ。あの人がちょうどはがしてるん見たわ。夕方にな」
「あいつ自分ではがすのかよ」
「校長に剥がせって言われたのかもよ」
お父さんの校長にも今回のことは知れているだろう。さすがに正門前にステッカーを貼られた挙句、監視カメラまで壊されたとなればカンカンだろう。
先週、電車で駅を乗り継いで、古着屋さんに向かった。その古着屋ではステッカーの販売と製造もしていて、個人からの発注も受けてくれていた。ぼくはステッカーの写真からいくつか加工を加えてデータにして持ち込んだ。眼のところに塗ってほしいQRコードとインクも。お兄さんは戸惑いながらも最低数量の50枚を印刷してくれた。お兄さんは出来上がったステッカーを見ると、デザインが良いとずいぶん気に入った様子だった。
だからぼくは交渉してみた。
「20枚あげるってことで半額にしてもらえますか」
仕掛けは順調だった。あとは犯人が乗り気になるか。それだけのことだった。
「なにしてるの、あんたたち」
誰も気が付かないうちに、駐車場の入り口のところに道長が立っていた。やはり張り付いたみたいな笑顔をしている。姫継がバイクを降りて道長の正面に対峙する。さっきまでの和気あいあいとしたところからガラリと変って、姫継の表情には鬼気迫るものがあった。
「道長先生、俺と来瀬はできるかぎりのことはしました。たった1週間でステッカーから犯人に近しいところまでのことを調べたんです。フクロウの作者のところにも行って、地道に情報も集めて、足も運んで、そこのトーキだって協力したんです」
「あら、そうなの」
「だから、留年なんて横暴は納得できません。少なくとも犯人は俺でもないし生徒でもない。もし留年させるっていうなら俺は絶対に戦います」
姫継は道長の目を見据えてはっきりと告げた。
「わかった」
道長は指を立てて明るい口調で始めた。
「あなたのお仲間が犯人なのね。スプレー騒動が悔しかったから手の込んだ復讐を仕組んだってわけだ。頭が良いのか悪いのかわからないわね。とにかく、やるのはあなたたちみたいなクズしか居ないのよ。はやく犯人を連れてきなさい」
道長はじりじりと道長ににじり寄り、道長の顔に寸前まで迫った。針でツンと突いてしまえば、爆発してしまいそうだ。
「姫継くん、いいよ、もう」
ぼくは姫継と道長の間に割って入って姫継を押し離した。
「あなたはさすがね。学校に来ないでビジネスしているだけあるわ」
ぼくは背後からの嫌味を無視して話し始めた。
「先生、実は今日、犯人にここに来てもらうようにメッセージを送ったんです。だから安心してください。犯人は来ますよ」
「犯人がわからないのにメッセージを送ったの?」
ぼくは振り返った。今度はぼくが道長と対峙した。
「暗号は情報を隠すと同時に伝えるための手段です。それは隠されたメッセージを伝える意図もありますが、同時にもうひとつ伝えられます。暗号を手段として抱いているということです。暗号を使う人には暗号が通じます。暗号は手段であり言語ということです」
「それで?」
「ぼくは単純な手段に打って出ました。ステッカーにQRコードを使うという手法に出た犯人に同じ手法を返したんです。犯人だけが眼に注目する。犯人だけがシーザー暗号を読み解ける。単純な2つの共通言語があったわけです」
「うんうん」
「だからぼくはステッカーを貼りました。犯人への招待状です。豪華で、わかりやすく」
「あなたがステッカーを貼ったのね」
ぼくは舌を出した。
「まあ、そういうことです」
ぼくが答えると、道長は深く息を吐いてうつむいた。そして向き直ると、顔からはあの笑顔がなくなっていた。代わりに一気に老け込んだ、疲れた顔をしていた。
「よく調べられたわね、確かにステッカーを貼ったのは私よ」
道長はぽつぽつと語り始めた。
「資料を見たならわかるでしょうけど、ハシノ印刷の社長のコウちゃん。コウちゃんは私の同級生なのよ。幼馴染って言ってもいいのかもね。コウちゃんの会社が酷い目にあってるって知ったのは3年前だった。伊藤のやつに無茶苦茶されてるって。私は本当に許せなかったわ。私も協力してどうにかしようとした。でも、できなかった」
道長は藪が揺れるみたいに笑みを浮かべた。
「なんで伊藤はハシノ印刷を潰したがったと思う?」
ぼくにわからなかったのはそこだった。埋まらないピース。仮説は様々浮かぶが、どれも核心を突いていない。苛烈なまでの嫌がらせには理屈が伴っていなかった。
「伊藤の会社がいま印刷物の発注をかけてる会社が、私の兄の会社なの」
全身の毛が逆立つ。寒気は足元から立ち昇った。
「父と伊藤は仲良くやってるの。父は伊藤の会社から兄の持ってる印刷会社に注文してもらいたかった。でも、さすがに父も地元の評判を気にしてね。だって元教え子の会社を潰したってなったらマズいでしょう」
道長の父親がコウちゃんこと端野さんの先生。なんという因果だろうか。
「伊藤は早々に手を打った。どういう悪評が流れたかは知ってるかな。殺人の噂まで流れた。とにかく、私の友達は私の身内に殺されたの」
3人は言葉を失っていた。目の前の道長が、どのような想いを持ってステッカーを貼ったのか。どのような顔をしてステッカーを、あの廃工場を睨んだのか。
「私が告発を決意するまでに2年かかったわ。それは身内を刺すことになるからね。
だけど、簡単なことじゃなかった。新聞社にも週刊誌にも送ってみたけど反応はない。持ち込みに行ったやったこともあるわ。
『中小企業が圧力かけられて潰れるなんて日本中で起こってるよ』
って嘲笑った記者がいたわ」
「そんな」
「お陰で目が覚めたけどね。要はスクープにしては小さすぎるのよ。だから伝え方を考える必要があった。そんなときにたまたま目にしたのがあなたの動画だったのよ」
えっ、思いがけず声が出ていた。
「cicada3301のね。面白かったわ。あれってよくよく考えれば全然中身がない話でしょ」
「まあ、暗号解読のちょっとした騒動ですね」
「そういうエンタメ性があれば話は広がると思ったの。だからフクロウのステッカーを使わせてもらったわ。ステッカーはコウちゃんに印刷してもらって、偽サイトは私が作ったの。これで都市伝説みたいに広げれば告発の内容を静かに広めることができる」
ぼくには未だにわからないことがあった。そこまでの想いをして計画を立てて、そして道長は実行した。だったらなぜ、
「なぜ、ぼくたちに探させたんですか」
「知ってもらいたかったからよ、それと」
道長の口がわなわなと震えた。手で顔を覆う。
指の隙間から光る雫が地面に落ちた。
「コウちゃんが居なくなって」
