梟は闇に嘯く 第5話
火曜日の朝、学校に向かうのは一週間ぶりだった。
マネキンを貰う代わりに学校に来ると宜丹と約束してしまった。別に約束なんて反故にしてしまってもよかったのだけど(確かめようもないことだし)、嘘をついたことになるのも嫌なのでちゃんと来たというわけだ。
ぼくはたぶん、他の不登校の人とはモチベーションが違う。イジメを受けたり勉強に置いていかれてるってわけじゃないから、学校を嫌に思う気持ちは、まあそんなにない。学校に通う時間よりも優先したいことがあるだけ。中学生の頃からこんな過ごし方を選んだ。決して何かから逃げたというわけじゃない。
それでも、高校に入らないってことはできなかった。
「自分で好きなことをやるのはそれでいい。そのかわり、親の満足も満たせ」
父親の言葉にぼくは素直に従った。息子として、不登校を堂々と表明したことで親が抱いた不安には寄り添いたかった 。登校日数が少なくても進級できる私立高校が近くにあるのも運が良かった。
一限前の騒がしい教室の中で、ぼくは課されていた課題を机に積み上げていた。出席しないぶんの課題を先生から出してもらっていて、登校したときに提出するのが決まりになっている。
「おう」
姫継も珍しく学校に来たらしい。席にまで挨拶しに来てくれた。
同時に、周りの同級生の様子が変わった。さっきまで楽しそうに話していたのに、急に黙ってしまった。明らかに姫継を警戒している。
「おはよう」
「やっぱり律儀に来たな」
姫継はそんな周りの様子を無視して話した。
「約束は約束だから」
「それより、なにが出てきたんだよ」
ああ、そういえばそれもあった。来瀬は昨夜のことを思い出した。
ぼくと姫継はガレージを出発して、バイクで風を切りながら坂を下った。わざとジグザグに進んで、ゆっくり走る軽自動車を追い抜いて、自販機に行き着いた。場所は一個目のステッカーの場所から近い、高架沿いに建つ大きな倉庫の傍にあった。有名なメーカーの自販機と、2つのマイナー自販機が並んでいる。マイナー自販機の基準は飲んだことのない、振ったらゼリー状になるとかいうジュースがある自販機のことになるけど、とにかくステッカーはマイナー自販機の側面に貼られていた。
携帯のライト機能でステッカーを照らす。
「同じだね」
「同じだ」
「ちょっと照らして」
カメラに切り替えてステッカーの写真を撮った。朝と同様に道路からステッカーを動画に収めた。
「動画のネタが増えたな」
ステッカーは同じものに思われた。朝と同じフクロウのキャラクターが印刷されていて、大きさ、ステッカーの質、どれもパッと見たところでは同じだった。
「おい」
屈むぼくの肩に姫継は手を置いた。
「見ろよこれ」
スマホのライトで照らされるフクロウの真っ黒な両眼に、わずかな煌めきがあった。朝陽のリビングを舞う埃みたいな、かすかな煌めきが瞬いている。ぼくと姫継は顔を間近までもっていって観察した。ステッカーの上にインクか何かが塗られているために光っているらしい。しかし光の中でそれが何か判然とすることはなく、光の当たり方で煌めきは表情を変えるので観察も難しかった。
「なんなんだ」
思いがけず唸った。ステッカーの上から両眼だけに施された処理があるのだとすれば、それは故意にせよ偶然にせよ、明確なヒントになりえるはずだった。でもこれでは何ともわからない。
「夜になったら眼が光るっていうのはフクロウらしいな」
「あれはなんで光ってるか知ってる?」
「知らねえよ」
「フクロウとか猫みたいな眼が光る動物は眼の中にタペタムっていう反射板を持ってるんだ。それで光を集めて暗い場所でもよく見えるようにしてるんだよ。だから光るってわけ」
「さすが雑学系ユーチューバー」
「家が猫飼ってるからだよ」
はたと気づいた。
「姫継ってネイルする?」
ライトの光が大きくブレて、頭を小突かれた。
「するわけねえだろ。馬鹿か」
「馬鹿じゃないよ」
「姉ちゃんはしてるけどな」
「じゃあUVライト持ってるかな」
UVライトを借りて来るように姫継を説得した。姫継は本当に嫌そうだったが、一度家に帰って、UVライトを持って戻って来た。お礼に買っておいたコーラを渡して、UVライトをフクロウの眼に当てた。さっきの煌めきが紫に光って、QRコードが照らし出された。
「うっひょう」
姫継は奇声を上げて小おどりした。夜の住宅街なのに、天才だ、と跳び回ってはしゃいだ。ぼくはそれを放っておいて、静かにQRコードを見つめていた。
「おい、とんでもない発見だぞ。犯人が残してるんだ。はやくスキャンしろ」
姫継が興奮して揺さぶってきた。
「これじゃできない」
できない理由はわかっていた。試しに携帯のカメラを向けたが、やはり読み込むことはなかった。
「QRコードには規格があるんだ。これはUVライトで浮かび上がらせてるから色が薄いし下地が黒だから読み込めない。色を反転させる処理をしないと」
「それは、できるものなのか?」
「パソコンならね」
「よし、戻るぞ」
「いやだよ。明日の朝にやっとくから、もう明日にしよう」
もう活動限界が来ていた。眠さで目がほとんど開かなかった。
俺は興奮がなかなか治まらなくてほとんど眠らないまま朝を迎えていた。来瀬にラインを送っても返事が来ないので、QRコードの先にあるものは学校に来るまでわからずじまいだった。
「なあ、教えろよ」
俺は来瀬の肩を揺さぶって回答を促した。来瀬はつまらなさそうに「宜丹」と答えた。
「はあ」
「宜丹のホームページだった」
「ええ」
「宜丹のホームページだった」
QRコードを読み込んだ先は宜丹のホームページだったらしい。実際に見せられても、やはり昨日見たホームページと同じものだった。
では宜丹が犯人なのか?いや、あいつはくだらないイタズラをするような奴じゃない。じゃあなぜ? カモフラージュ?
来瀬は深いため息をついた。
「わからないよね」
一限のチャイムが鳴って数学の授業が始まっても、俺は気もそぞろでステッカーの意味ばかりをあれやこれやと思案しては消した。
昼休みの時間になって、ぼくは課題を提出するために職員室へ向かった。先生たちはあまり不登校を責めるようなことは言わない。淡々と課題を課して、淡々と課題を受け取ってくれる。母はそのことをイマドキだと批判していたけれど、煩わしさがなくてありがたいことだった。
職員室には道長もいた。本当は道長に用はないのだけれど、留年の脅しを確認しておいたほうがいい気もした。
「道長先生、ステッカーのことなんですけど」
道長はテストの丸つけをしているらしく、ペンをさらさら滑らせていた。
「うんうん」
道長は生徒と話す時は必ず目を細めて口角を上げた。美人な顔立ちなのだけど、色の白いこともあってお面のような不気味さがあった。
「姫継くんを留年にするって本当ですか」
さらさらと軽快に丸がつけられていく。
「前科あるからねえ。校長がとにかく怒っちゃってさ。手伝わなきゃ来瀬くんも留年よ」
「ただの学生にあんな大きいステッカーは作れませんよ」
誰の答案なのか、ほとんど正解で羨ましい。
「それに、QRコードが眼のところから見つかりました」
「あら、そうなの」
特に驚いた様子はない。
「手の込んだ仕掛けです。生徒のいたずらでできることじゃないです」
「うーん」
道長は張り付いた笑顔のままこちらを振り返った。
「私は犯人を連れて来てって言ってるのよ、来瀬くん」
「無理ですよ」
「無理なら留年ね。大丈夫よ。留年コンビで同じクラスにしてあげる」
姫継があれだけ嘆くわけだ。これは本当に留年させるつもりらしい。
道長の説得を諦めて職員室を後にしようとした。ぼそりと、道長が呟くのが聞こえた。
「そういえば、どっちでも殺人があったわね」
「え」
聞き直すと道長は取り繕うように首を振った。
「ただの昔の噂よ。それこそあんたたちみたいに暇な奴が流したんでしょ」
俺は待ち構えるようにして職員室の前に立っていた。教員は姫継に気付くと露骨に嫌そうな顔をして前を通り過ぎた。スプレーのことがあってから、ここの教師は俺と仲間を厄介者としてしか扱わなかった。名前も知らない体育教師から「お前はいつ学校を出て行くんだ」と面と向かって言われたこともある。どの教師も勘違いしている。別に俺は不良ってわけじゃない。家に帰ってゲームをするのが趣味ってやつとか、ジムでひたすら重りを持ち上げるのが好きってやつとか、そういうのと変わらない趣味として夜の町に走りに行くだけだ。スプレーはその範疇を少しはみ出したってだけのことだ。根本は変わらない。
でも、吹き付けるぐらいしかできない奴の悲鳴もあるんだ。教師はそこまで汲むことはなくて、ただ異物として俺たちの存在を排除しにくるだけだ。俺たちの不登校を望んでるのは紛れもない教師だった。
職員室の扉が開いて出てきた来瀬は、待ち構える俺に目を丸くして驚いた。
「どうだったよ道長は?」
「脅しじゃないみたいだね」
来瀬は深刻そうに言った。道長のイカレっぷりがようやく伝わったらしい。
「だけど収穫もあった」
来瀬はちょっと笑ってから、鋭く息を吐いて前を向いた。
「もう帰らない? そろそろ学校やめたくなってきた」
俺はちょっと嬉しくなって、にやけながら答えた。
「俺も俺も」
