梟は闇に嘯く 第4話

アーケードまで無事に降りてきて、俺はやっと胸を撫でおろした。怪しい事務所の中で来瀬が鋭く質問を重ねる度に、生きた心地がまるでしなかった。ストリートでやばい奴には慣れてきたつもりだったけど、あんなまっすぐにおっかないおっさんは初めてだ。
「そろそろ帰ろうか、じゃあね」
来瀬はあっけなくそう言うと、よたよたと歩き出した。慌てて止める。
「新しいステッカーは見に行かないのか」
「どうせ同じものでしょ。明日にしよう。それにやりたいこともあるし」
「犯人捜しよりも急ぐのか」
「今回の騒動を動画にしなきゃ。フィクションの都市伝説よりリアルな事件のほうが受けがいいはず。これは伸びるよ」
来瀬は楽し気にはしゃいだ。やけに熱心に動く訳がようやくわかった。こいつは最初から動画のためにステッカー犯を追っていたんだ。
「馬鹿だよお前」
「お前って言わないで」
「馬鹿だね」
「犯人見つけて、動画も受けたらいちばん良いんだから、とにかくガレージに戻る」
「あとで行ってもいいか」
俺はもう少し犯人を追いたかったが、自分ひとりでは到底手に負えないこともわかっていた。それに、あのガレージは秘密基地みたいでまた行ってみたかった。
「まあいいけど」
「あと、歩いて帰るつもり?」
「そうだよ」
「タクシーとか乗れよ」
「なんで」
「傍目から見りゃマネキン泥棒でしかないんだよ」
来瀬はマネキンに肩を貸すようにして運んでいた。

マネキンをガレージの壁に立てかけてからパソコンの電源を入れた。冷蔵庫に座ってから動画の構成を練る。
まず、今回の事件は都市伝説だろうか。
都市伝説系のユーチューバーが実際に起こった事件を調べる動画はよくあるが、それは都市伝説とすでに認知されている案件を深掘りするものだ。
今回のステッカーはまだ都市伝説と呼べるものでもなく、現段階では怪異というよりもむしろ軽犯罪としての色が強い。

わかっていることはまずこうだ。
・学校の駐車場と自販機の側面にステッカーが貼られる。
・ステッカーのサイズからプリントには業務用の機械が必要。
・ステッカーのフクロウは描き手の許可なく使用される。
・キャラクターはすでに潰れた会社に納入されたもの。
わからないのは、
・未だに不明なのは犯人の目的と動機。
・フクロウの絵の入手先。
「よし」
動画はシリーズ物にして、徐々に注目度を高めながら再生数を稼いでやろう。そのためにまずわかっている段階だけで動画にまとめることにした。
動画用の原稿を書き始める。キーボードを叩く打鍵音が心地いい。洗っているみたいな気持ち良さがある。原稿を考えつつもキーボードを叩く手元はほとんど無意識に動く。この切り離された感覚がいいのかもしれない。
「よう」
どれくらいの時間書いていたのか、原稿はおおよそ完成していた。顔を上げると姫継が自転車を両手で2台支えて立っていた。
「ほんとに来たんだ。仲間のところには行かなくていいの」
動画にも映っていたストリートの仲間が居るはずだ。
「いいんだよ。あいつら俺が留年で脅されてるってので笑いやがった」
スプレー騒動に関わった生徒には重い処分が下されていた。何人かの生徒は停学で済んだが、実行犯は退学になって別の学校へ移ったという噂があった。そういう人たちからすると、今さら留年になるというのも笑い話なのかもしれない。
「持ってきてやったから、あとで乗ってみろよ」
姫継は自転車を壁に立てかけた。マネキンは壁と自転車に挟まれて斜めになった。
「うまく乗れないからいいよ」
「最初は誰でもそうだろ」
それから、原稿を完成させて、撮影しておいた動画と写真をクラウドにアップロードしたり、動画の場面ごとに必要なフリー素材を探すあいだ、姫継はガレージの中の物を興味津々で漁っていた。海外輸出で売り損ねた在庫が大量に溜まっているので、汚さでは宜丹の事務所といい勝負だった。突然、つんざくような音が響いた。
「近所迷惑になるから強く弾いちゃだめだよ」
見ないでも姫継が何を探し当てたのかがわかっていた。
「これなに」
姫継が聞いた。
「馬頭琴」
姫継は「なんでだよ」と困惑した。

やっと作業にも一区切りついて、大きく伸びをした。姫継はガレージの中を漁るのにも飽きたらしくガレージの前で自転車に乗って跳んだり跳ねたりしていた。姫継いわく自転車ではなく「バイク」と呼ぶらしい。
ガレージを出て、姫継の「トリック」を近くで眺めた。バニーホップというのをするという。
立ち漕ぎの姿勢でほとんど静止した状態から、トランポリンで跳ねたみたいに姫継とバイクは地面を蹴り上げた。空中で腰から体をくの字に折る。一瞬、空中で姫継は静止する。跳躍のピークのモーメントがそこにあった。時間が再度動き出して、姫継と自転車は逆再生みたいに地面に収束する。それは運動というよりも刹那の芸術表現だった。人間と自転車が織りなす動きは記録のない空間に留まる。
「もう動画公開した?」
惰性でバイクを進めながら姫継は聞いてきた。
「まだだよ。そんなすぐに動画ってできないからね」
「そんなもんか」
姫継はバイクを降りて、もう一台のバイクを指差した。
「乗ってみろよ」
壁に立てかけられていたそれは姫継の乗っていたものよりも車輪が大きくてハンドルも広かった。
「俺のはBMX、そっちはマウンテンバイクってやつ。安定してるから初心者にはそっちのほうがいいよ」
マウンテンバイクのサドルはフレームすれすれまで下げられて、先端が上を向くように角度がつけられていた。
「これじゃ座りづらいよ」
「跳ぶのに邪魔だから下げるもんなんだよ」
ペダルに右足をかけて、立ち漕ぎで漕ぎ始める。ギアが重くて、ペダルを踏むとダイレクトに進む感覚がある。姫継の姿勢を真似るように腕を伸ばしてハンドルの上で突っ張る。
「お、いい感じいい感じ」
ぼくと姫継はペダルを回しながらお互いが離れすぎないようにぐるぐると回った。漕ぐことに慣れてきたぼくはさっきの姫継の跳躍がしてみたくなった。乗ったばかりの自転車で急に跳べたら才能ありありで姫継も驚くに違いない。
姫継がさっきやってた動作を思い出す。こっそりと、姿勢を低くして、それから勢いよく伸びあがった。ふわっ、と浮き上がることはなく、ただ背筋がよく伸びただけだった。
「いきなりは難しいぞ」
渾身の背伸びは目撃されていたらしい。
「うるさいな」恥ずかしくて乱暴に返事した。
「練習しに行くか? もうちょっと広いとこのほうがやりやすいぞ」
「あ、ならステッカーも見に行こうか」
姫継は自転車に乗ったまま片手で指を鳴らした。
「一挙両得だな」
「四字熟語なんて知ってるんだね」
小馬鹿にしてやってからペダルを一生懸命踏みつける。
「うるせえぞ跳べない豚」
姫継ははしゃいで叫びながら追いかけて来た。

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