梟は闇に嘯く 第7話

「なんでしょう」
インターホンのスピーカーから落ち着いた女性の声が流れた。
「すいません、実はそこの砂利の駐車場のことで聞きたいことがありまして」
「はあ」
「噂で聞いたんですけど。なんだか事件があったんじゃないかってね」
「事件?」
「まあ、噂なんですけどね。殺人があったんじゃないかって」
インターホンからは長い沈黙が流れた。ぼくはそのスピーカーの穴をただ見つめた。
「なにを言ってるの?」
さっきよりも速い口調からは当惑と不快感が聞き取れた。
「調べなきゃいけないんです。すいません」
「あなたはどこの誰なの?」
たしかに名乗るのを忘れていた。確かにそれでは信頼がない。
「来瀬って言います。そこの学校に通ってます」
「変なことはやめてください。学校に電話しておきますから」
ぷつっと音がして、インターホンからはノイズも聞こえなくなった。
駐車場まで意気込んでやって来て聞き込みを始めたが、どこの家でもまともに話を聞いてはもらえなかった。話を説明すると怒り出してしまったり、まったく無視されたりで情報を聞き出すこともできず、ただ家から家へ歩き続けてばかりだった。ドラマなんかで聞き込みは辛くて地味な仕事だと刑事がぼやくのを見たことがあるが、ここまで精神的に辛いものだとは想像していなかった。
聞き込みを続けるうちに、気付くと駐車場の場所までぐるっと一周戻って来ていた。すると、昨日入った蔦のパラゴンが目に入った。パラゴンはこのあたりで前から店をやっているみたいだから、何か知っているかもしれない。顔を知っている人と話せるだけでも安心感がある。ぼくは吸い込まれるようにしてパラゴンの扉を押していた。

「坊や、学校にはちゃんと行ったんだね」
なにを言わずとも学生服でわかってくれたらしい。まさか早退したとは思ってないだろうけど。
「昨日はありがとう、おばさん」
席には座らず、立ったまま尋ねた。
「調べたいことがあるんですけど、裏の駐車場で殺人ってありましたか?」
おばさんは目を丸くした。さすがに言葉が足りなかったか。
「そういう噂があるって話ですよ。殺人の噂があるって聞いたんで調べたいんです」
おばさんは眉をひそめたまま見つめてきた。意味するところを慎重に読み取ろうとしているのかもしれない。
「さっきからここらへんをうろうろしてたわね」
「聞いて回ってたんです」
「同じように?」
「はい」
おばさんはよろけるような動作をしてから「座って」とテーブル席を指さした。座って話をするのは時間が惜しかったが頑なに指さすので、しぶしぶ窓際のテーブル席に座った。艶のある木のテーブルには重厚感があって、メニュー立ての傍には大理石の灰皿があった。おばさんは水の入ったコップを持って来て来瀬の対面に座った。
差し出された水はすぐに飲み干してしまった。知らない間に喉が渇き切っていた。
「坊や、そういう聞き方をどれくらいの人にした?」
「インターフォン越しですけど、たぶん30人ぐらいです」
素直に答えた。おばさんはわずかに微笑んでから、とても穏やかな口調で話し始めた。
「気になることがあって聞いて回ったのね。昨日も来てたから、駐車場に関わることなんでしょう。あなたにとってはとても大事なことなんだと思うわ。
だけどね、好奇心が人の平穏を奪ってしまうこともあるのよ。家に居たら突然学生の男の子が『殺人がありましたか?』って聞いてくるなんておっかない話よ。事件があったのかってビックリするし、なにより自分の住んでる所が物騒な所だって言われているようで、きっと気分も悪いと思うわ。そのことはわかってた?」
おばさんの目を見たまま首を振った。すっかり、本当に大事なことを忘れていた。ただの噂に踊らされてるのはぼくじゃないか。道長がぼそっと言っただけのことで必死になって、馬鹿みたいだ。
いや、もっと馬鹿なのは動画のことで頭が一杯になってたってことだ。まだ投稿してもない動画のことをいろいろ妄想して、そのために必要だからと躍起になって情報を集めようとしていた。それでは下手な炎上系の人たちと変わらない。ガレージの家賃を稼ぐために人の穏やかな平日午後を奪うっていうのはあまりにもダサすぎた。
「一生懸命になるといちばん最初に見えなくなるのが人の気持ちよ。自分が頑張りたいときほど、まずその人がどう感じて、どう思うのかを考えなきゃいけないわよ」
「ごめんなさい」
心から謝りたくて謝罪の言葉を口にした。そこに恥ずかしさや葛藤のような抵抗はなくて、むしろ感謝にも似た清々しさがあった。
「いいのよ。わかればね」
「おばさん、教えてくれてありがとうございます」
ぼくはテーブルまで頭を下げてお礼を言った。おばさんは歯を見せて笑った。
「感謝するならお姉さんって呼びなさい」

トーキを引き連れて駐車場まで来ると、来瀬がパラゴンからちょうど出てくる姿が目に入った。姫継トーキに静かにするよう合図をして、姫継の背後まで近づいた。
「サボりかよ」
来瀬がビクッと肩を上げて振り向いたので姫継とトーキはケラケラと笑った。
「喫茶店でサボるなんておっさんじゃねえかよ」
「サボってないよ、ていうか誰?」
紹介するより早くトーキは名乗り始めていた。
「トーキって呼んでください! スプレーで退学になったアホです! いつもムーニーがお世話になってます!」
トーキはわざと普段より濃い関西弁を披露していた。これ以上なくアホさ加減のわかりやすい自己紹介だ。
「ムーニーって誰?」
来瀬が怪訝そうに聞いてきた。
「こいつムーニーやん」
トーキが指さして来たので俺はアイアンクローを極めて黙らせようとした。
「パンパースとムーニーでムーニー選んだやん! うわあああ!」
アイアンクローに悲鳴を上げるトーキを来瀬は心配したが、姫継はしばらく攻撃を止めなかった。
三人は駐車場の塀に自転車を並べて立てかけて、塀に背中をもたれさせて並んで座った。お尻を付けると大きめの砂利が容赦なく刺してくるので、三人とも尻を微妙に浮かせてヤンキー座りから胸を張ったような姿勢で塀にもたれかかっていた。
砂で埃っぽい地面は晴れた空の下で四角く浮き上がっていた。ぴっちりと区画に線が引かれ、
来瀬がしょんぼりと聞き込みを始めてからのこと、パラゴンの店主に言われたことを話した。話の途中でトーキがパラゴンの窓まで行って「あれお姉さん言うてたら詐欺やで」と笑いながら戻ってくる場面もあった。
「とにかく、殺人のことはわからなかったし、自己嫌悪だよ」
「四字熟語だな。悪気があったわけじゃないし、考えすぎるなよ」
「わかってるけど」
来瀬はおそらくこういう無自覚な失敗があると、とことんまで落ち込んでしまうタイプなんだろう。俺は来瀬の沈んだ気持ちを盛り上げてやりたくて景気の良い言葉を探そうと考えていた。そこへ携帯を触って暇そうにしていたトーキが
「聞いてええですか」と話に入ってきた。
「ええです」と来瀬が答えると、
「噂のことなんか聞いてもよくわからへんし動画にもしにくくないですか。映えでいきましょうよ、映えで」と言った。
「なんで敬語になってんの」と俺がトーキに聞くと、
「よくよく考えたら来瀬さんとは初めましてやったんで」と大袈裟に何度も会釈した。
「確かにインパクトのある映像はまだないんだよね。ステッカーとステッカーの眼は面白いんだけど、今のままじゃコメントで自作自演だろってツッコまれそうだし」
ようやくユーチューバーモードに戻ってくれた来瀬に、ようやく俺とトーキは手土産のニュースを届けられるようになった。
俺は体を回して来瀬の方を向いた。
「実はトーキの親父があの倉庫で働いてたらしいんだ。倉庫は印刷会社のものだったらしい。トーキの親父さんはそこでフォークリフトを運転してたんだ。で、出勤するときにはこの駐車場を使ってたんだって」
「ここは印刷会社の駐車場ってことだったのか」
今まさに三人が座る駐車場からトーキの親父さんは倉庫に通っていた。駐車場がヤケに広いのも元は倉庫で作業する人に向けたものだったからだ。それなりに人は多かったんだろう。
「で、その出版会社はもう三年前に潰れちまったらしい。なあ、どっかで聞き覚えのある話だろ」
「三年前に潰れた印刷会社といえば、宜丹さんの言ってたハシノ印刷か」
さすがによく覚えている。俺がすっかり忘れていた印刷会社の社名を来瀬はしっかりと覚えていた。
「ムーニーは社名忘れてたやんな」
「黙ってろ」
頭をまた掴んでやろうとしたが、トーキは砂利を蹴りながら逃げた。
「かつてハシノ印刷のものだった駐車場と倉庫に、ハシノ印刷に納入されたフクロウのキャラのステッカーが貼られてるってこことになるのか」
「しかも殺人の噂付き」
「何かを伝えようとしている?」
「ただのイタズラでここまで揃うってことはないよな」
トーキは話に飽きたらしく、バイクでドリフトしながら砂利を巻き上げていた。
更に情報を足してやる。
「そんで、ハシノ印刷の本社と工場が隣町にあったんだ。本社の方はもう更地なんだけど工場の方は廃墟になって残ってるって」
「ふんふんふん」
しきりに頷いたかと思うと、来瀬は興奮して勢いよく立ち上がった。
「これは事件だね。今夜にでも廃墟に行って、情報を集めよう」
来瀬は鼻息を荒くして走り出しかねない勢いを帯びていたが、制したのはトーキだった。
「ごめんな。俺が今からバイトやから案内できひん」
来瀬は「わかった、明日の夜なら?」とトーキに尋ねた。
「ええよ」とトーキは答えた。
「ありがとう。急な話なのに付き合わせちゃって」
来瀬がトーキに対して丁寧にお礼を言うので、自分を指差して「俺には?」と主張した。
「そもそも留年って厄介な話を持ち込んだのは姫継だろ。むしろ感謝してほしいよ」
来瀬はあっさりと言い切った。

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