映画『2001年宇宙の旅』(1968)
2026年元日にNHK BS8Kで8Kレストアされた『2001年宇宙の旅』が放送されるそうですね。8K版はいままでにも何度か放送されています。でも、うちのテレビは8K放送は見れないのですよね。
宇宙でロケした最初の映画
『2001年宇宙の旅』のすごさはやっぱり圧倒的にリアルな宇宙感と未来感。舞台が宇宙に移ってからは実際に宇宙で撮影していますよねというほどリアル。その映像は2026年になったいま観ても古さを感じさせません。
真空の宇宙では音はしないとか、太陽の強烈な光でコントラストが強調された宇宙船とか、宇宙は無重力だから上も下もないとか、そうしたことが西暦2001年のあたりまえの日常風景として描かれている。そのおかげで未来世界で宇宙を旅するという物語の世界観に強固な納得感を与えています。
科学考証がされていても映画なので映像表現が優先されています。宇宙で音がしないだけで科学的に正しい描写がされていると思われてしまったこの映画、実際には科学的におかしいところがあちこちにあります。
昔は「完璧なこの映画にも一箇所だけミスがある。宇宙船の中でフロイド博士の飲むジュースが無重力なのにストローの中で下がっていくのだ」と盛んに言われていました。こんなの物理現象として普通にあり得ることでミスでも何でもありません。だれかが言い出したことが、自分で考えないタイプの人にコピペされて広まったものです。
そんなどうでもいいことより、普通に観ていれば科学的におかしいところはいくらでも見つかります。たとえば、月から見た地球の位置がコロコロ変わるよなとか、ディスカバリー号の影の部分はもっと真っ暗になるはずだよなとか、正しさより映像としてのおもしろさが優先されているところはたくさんあるのです。また、フロイド博士は月面でそんなに普通には歩けないだろとか、月面の砂埃はそんなふうにふわふわ舞い上がらないだろとか、撮影技術的に実現が難しかっただろうところもたくさんあります。
ボーマン船長がヘルメットなしでポッドからディスカバリー号に乗り移る場面は、科学的に可能なのか公開後に議論が持ち上がったらしいですね。クラークは短時間なら真空にさらされても大丈夫だと言って、たしか小説『3001年終局への旅』で真空の月面を生身で駆け抜ける遊びを描いています。この場面、爆発は無音で起きるのに直後にエアロックが与圧されて音がし始めるのがリアルなのです。
音や光や重力といった根本的な部分の表現がしっかりしているので、映画全体がリアルに見えるのですよね。
この映画ではリアルな映像を作るために様々なVFX技法が使われています。ディスカバリー号の人工重力区画などは圧巻です。
宇宙船は初期のモーションコントロールカメラで撮影されています。よく見ると、撮影の難しいカットにならないよう、なるべく惑星や月の前を宇宙船が横切らないように配慮されているようですね。どの宇宙船でも窓の中で人が動いている様子が写っているのがリアリティを増しています。
終盤の木星はジュピターマシンという装置で作られています。これは半円形の板の側面に木星表面のテクスチャを投影し、回転させながら撮影するというもの。投影された絵が最終的に球体の映像としてフィルムに収まるわけです。いってみれば球状マッピングの3DCGをアナログで作っているわけで、ずいぶん凝った撮影です。当時の映画では惑星はマットペイントかミニチュアのボールで表現していたので、それとは一線を画する神秘的な絵になっています。ジュピターマシンは扱いが大変なので、その後は『アンドロメダ…』(1971)の地下研究所見取り図の立体映像と『サイレント・ランニング』(1972)の土星の表現に使われただけだと言われていますね。
ラストのスターゲートシーンはスリットスキャンという技法だといまでは誰でも知っています。この場面はLSDによるサイケデリック体験を思わせるため当時の若者にも大人気だったと、NHKの『世界サブカルチャー史』で語られていました。
難解なストーリーか?
この映画のログラインは「サルから人類を作ったモノリスが月面で発見され、その信号を追って木星まで行ったら神様に出会ってしまった」というもの。ストーリーは単純です。SF者なら大して難解さは感じないでしょう。
モノリスが何なのかや、スターゲートからのシーンが何を意味しているのか、ということについては解釈が観客に委ねられています。正解はありません。これはこの映画を作ったキューブリック監督にもわからないことです。
ラストシーンの意味がわからないといって悩んでいる人もいますが、あれは人知を超えたものを描いているので、どうにもわからないものを見ているのです。わかろうとするのが土台無理な話です。
クラークは小説版で一つの解答を提示しています。それは解釈の一つであって正解ではありません。
正解がわからないと不安でしょうがないというメンタル不全の人は小説版を読んでみるのもよいでしょう。
『2010年』(1984)
クラークは続編となる小説『2010年宇宙の旅』を1982年に発表、1984年に『2010年』として映画化されました。ディスカバリー号の木星探査計画が失敗した原因を調査するためにフロイド博士がソ連の宇宙船で木星に向かうという話。
『2010年』は『2001年宇宙の旅』の解答編として、前作の様々な謎に対して明確な答えを出しています。たとえば、モノリスは何なのか、モノリスの目的は何なのか、ボーマン船長はどうなったのか、HALはなぜ暴走したのか、といった諸々です。
『2010年』の製作当時には、本物のコンピューターディスプレイがあり、木星は本物の3DCGで作られ、特撮技術も進歩していて、ボイジャーの観測データもありました。でも『2001年宇宙の旅』よりも古臭く見えてしまいます。
前作の映像は今でも新しく、未来世界に見えますが、『2010年』は公開時点でも西暦2010年ではなく1984年当時の現代を描いているように見えました。パソコンがあり、スペースシャトルが飛び、木星の近接写真や火星の地表の写真を誰もが目にしていて、スターウォーズ以降のSF映画ブームがまだ続いていた時代です。映画の世界に時代が追いつきつつあったからかもしれません。
やっぱり宇宙で音が響くのがね。『2001年宇宙の旅』にあった音と光と重力の表現はありません。そのため当時たくさん公開されていたSF映画の中にうずもれてしまっています。
『2001年宇宙の旅』は先史時代にはすでにあったはずのもっとも根源的な神話、「誰も知らない山の向こうまで狩りに行ったら信じられないものを見てしまった」という物語を宇宙開発時代を舞台に描いています。これは神話の物語なのです。
それに比べると『2010年』は小学生が初めて電車で隣町に出かけたらおもしろいお店があった、という程度の日常の冒険談に感じられます。
まあ、解答編というのはそういうものかもしれません。
『3001年終局への旅』
クラークは『2010年宇宙の旅』につづけて『2061年宇宙の旅』『3001年終局への旅』という続編を発表しています。このシリーズを通じて、人類と人類を生み出したモノリスとの関係の始まりから終わりまでが描かれています。
結局このシリーズが描いている事件はこういうことです。実験室でハツカネズミの集団に知能を与える研究をしていたら、どんどん頭がよくなって複雑な迷路を簡単に脱出できるようになった。そこで実験室の反対側に餌を置いて、迷路のゴールから餌まで辿り着けるか試してみた。すると一匹のネズミが餌に到達できた。そのネズミを解剖して脳を取り出し、ほかの知能ネズミとのコミュニケーションを行うためのインターフェースに改造。ネズミたちに実験室を開放するが、新しく研究を始めた知能メダカの実験水槽には近づかないよう命じておいた。たまにネズミが水槽に落ちることもあったが、実験は順調に進む。ある日、ネズミたちは、隣の実験室にも知能モルモットがいたが、何かの悪さをして殺処分されたらしいことを知る。そして、自分たちが実験室内を散らかし放題にしていることから、次は自分たちが殺処分されるのではないかと考える。それを避けるために実験装置を壊すことに成功。メダカ水槽のポンプも停止し、実験室のドアも開く。ネズミたちは実験装置が自分たちを支配していたと思っていたが、実験装置を操っている何者か(実験をしている教授か学生)がいるのではないかと考える。その何者かは実験室のドアが開いたことに気づいて何か手を打ってくるかもしれない。ただ、警報が鳴るまで時間がかかるのでその何者かが気づくのはまだしばらく先のことだ。それまでになんとかしなきゃ、というところで物語は終了する。
つまり、クラークの2001年シリーズは『アルジャーノンに花束を』をアルジャーノン視点で語った話なのですw。
この小説の中で、西暦1000年の人間には西暦2000年は想像を絶した世界だが、西暦3000年は西暦2000年の人間にも想像できる範囲だ、という意味のセリフがでてきます。科学は大幅に進歩したが人間のあり方は、科学的思考が花開いた西暦2000年以降の1000年でさして変化していない。つまり中世の人間と違って(小説が書かれた)20世紀末の人間は理性的で成熟している、という意味です。
21世紀を迎えて四半世紀がすぎ、AIによる人類滅亡がまじめに取り沙汰されるいま、そもそも3001年が来るかどうか自信を持てずにいる現代人からすると、笑えるほど楽観的ですね。
モノリス本
SF映画の金字塔であり最高傑作であるこの映画を退屈でつまらないと評価する人がいても不思議はありません。なんといっても50年以上前の作品です。
それでもこの映画は大変な熱量を注いで作られたものだけがもつパワーを感じさせます。『2001年宇宙の旅』という映画はその存在自体が現代の神話です。
この映画については数多くの研究書や資料本が刊行されていて、私も何冊か持っています。
中でもすごいのがTASCHEN社の『THE MAKING OF STANLEY KUBRICK'S 2001: A SPACE ODYSSEY』という2015年の本。562ページの中にコンセプトアートや図面、セットの製作風景や撮影時のスナップなどが山ほど掲載されています。元は豪華限定版で出ていて、私が持っているのは普及版の安いやつ。


この本は判型が変わっていて、17.9cm x 4.5cm x 38.5cm というサイズ。これは各辺の長さが 1:4:9 というモノリスと同じ比率にしてあるのです。
そのせいで読みにくいったらありゃしない。


