何度読んでもおもしろいSF小説
「ハヤカワSF文庫総覧」というページのある個人サイトを発見しました。このサイトのリストには2002年初頭のものまでしか掲載されていなかったのですが、それでも1400冊ほどの本の表紙と出版データのほか、カバー裏の解説まで載っているというものすごい力作。昔読んだけど内容どころか読んだことすら忘れていた本(ex.『突撃! かぶと虫部隊』キース・ローマー)とか、買ったけど積んだまま読まずに所在不明になった本(ex.『宇宙嵐のかなた』ヴァン・ヴォクト)とかを思い出しました。
それでハヤカワSF文庫の中で何度読んでも面白い本をいくつか挙げてみたいと思います。なお、2015年に『ハヤカワ文庫SF総解説2000』という本が通巻2000番記念で出ていました。老舗の創元SF文庫はしばらく前に創刊60周年とかで、『創元SF文庫総解説』という本を出していましたね。
『キャッチワールド』(1975)
かつて木星軌道上で発見された結晶生物クリスタロイドが地球を攻撃し甚大な被害を与えた。人類は辛くもクリスタロイドを撃滅したが、その本拠地はアルタイル星系にあるらしい。それから40年後、スペースラムジェットによる恒星間宇宙艦隊がアルタイル攻撃のために発進する。
SF小説の最高峰。とてつもなくおもしろくて圧倒的にすごい。そのすごさを言葉で表現するのは難しいです。
ハヤカワSF文庫で訳出されたのは1981年のことですが、冗談ではなく実際に当時「キャッチワールドはもう読んだ?」という挨拶を交わしていました。
感覚としてはTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が放送されていた当時の雰囲気に近いでしょうか。あらすじから『宇宙戦艦ヤマト』っぽいストーリーに見えるかもしれませんが、それは最初だけ。内容的には原作マンガ版の『攻殻機動隊』のスタイルとゲーム版の『Fate/stay night』のタッチでハードSF的なネオスペースオペラを展開する、といえばすこしは伝わるかもしれません。いや、ぜんぜん伝わらないかもしれませんが、とにかくそんな感じで、わけがわからないけどすごいのです。
作者のクリス・ボイスはほかに長編を2冊書いているようですが、50代半ばで亡くなっています。翻訳されているのは本作だけ。
ハヤカワ文庫ではながらく絶版になっているようですね。本作の荒々しくブッとんだいかがわしさは、これこそSFといえるもの。本作を読んだことがあるだけで自慢になるけど、それが通じるのはかなりコアなSF者だけでしょうね。

『渇きの海』(1961)
月面特有の細かな塵が堆積してできた砂の海。数十億年を経てほとんど流体のような性質になった砂の上を、観光船セレーネ号が乗客乗員22名を乗せて航行中、突如起きた陥没によって浮力を失い砂に飲み込まれてしまう。救難信号は電磁波を通さない砂に遮られて発信できない。行方不明になったセレーネ号の捜索が始まるが、広い海のどこに沈んでいるのか砂の上には何の痕跡も残っていなかった。果たしてセレーネ号の発見と救出は可能なのか。
アーサー・C・クラークの近未来SF。
セレーネ号ともに砂の海の底に閉じ込められた人々、セレーネ号救出に必死になる外側の人々、その様子を実況中継するテレビ局、それぞれの視点で危機また危機、難題また難題の連続が描かれます。
これはNHK-FMで放送されていた『FMアドベンチャー』でもラジオドラマ化されていて、当時聞いていました。毎回ピンチで終わって「このあとどうなるの」で次回につづくのです。原作を読んでいるので内容は知っていたわけですが、ドラマとしても引き込まれる出来栄えでした。『FMアドベンチャー』ではけっこうSF小説がドラマ化されていました。昔の人はラジオドラマをよく聞いていて、クラークの『2001年宇宙の旅』もFM東京系でやっていましたね。
クラークの小説というと多くの人が『幼年期の終り』や『2001年宇宙の旅』をあげると思います。しかし、クラークの真骨頂は本作のような近未来リアル系小説。『海底牧場』や『楽園の泉』、短編の『太陽からの風』など、ハードSFを抒情的に描いた作品群なのです。
『宇宙のランデブー』(1973)
22世紀、太陽系外から飛来した謎の人工物体ラーマ。猛スピードで太陽系を通過していくラーマに接触可能な宇宙船はエンデヴァー号だけだった。ラーマは全長50キロ、直径20キロの円筒形の物体。エンデヴァー号の乗組員はラーマ内部に入り込んで調査を開始する。
アーサー・C・クラークの近未来SFからもう一つ。
ラーマの内部はガンダムのスペースコロニーのように空洞になっているが、異星人が暮らす街が広がっているわけではなく無人。その中を探検していく、ただそれだけの話です。
ラーマの正体が何で、何のためにどこから来てどこへ行くのか、すべては謎のまま終わります。人間ドラマがあるわけでもありません。
とにかく、がらんどうのラーマの中に入って端っこまで行ってみたという、それだけ。
人類にとっては異星文明とのファーストコンタクトですが、ラーマは人類には何の興味も示しません。太陽に接近して太陽からガスか何かを補給したあと、去っていきます。どうやら最初から太陽で補給するつもりだったらしいと思えるだけで、何もわかりません。
ストーリーはないに等しいのに圧倒的におもしろい。これは徹底的にSFマインドの純度を高めた雑味なしの純SF小説なのです。
2017年に史上初めて発見された太陽系外天体オウムアムアが話題になりました。これは明るさが極端に変化することから回転する円筒形をしていると推測されました。そして多くの人が「ラーマがやってきた」と言い出しました。やはり『宇宙のランデブー』は大傑作として人々の心に刻まれていたのだなと思いましたね。
『宇宙の戦士』(1959)
人類が超光速航法を得て銀河に版図を広げている未来。かつての世界戦争から立ち直った人類社会は独特の社会体制になっていた。能力主義で人種や性別による差別は一切存在しないが、自由と責任が重視され、兵役を経験したものにのみ参政権が与えられる。兵役につかなくても選挙権がないだけで不利益はないが、主人公は高校卒業後の進路としてなんとなくカッコいいから程度の気持ちで入隊志願してしまう。機動歩兵部隊に配属された彼は訓練キャンプでの厳しいシゴキに耐え一人前の兵士へと成長していく。ところが、除隊する前に人類と蜘蛛型エイリアンとの宇宙戦争が勃発。そのまま戦場へと身を投じることになる。
ロバート・A・ハインラインの比較的初期の作品。
前半は新兵訓練と高校の授業「歴史と道徳哲学」が中心、後半は戦場が舞台となります。戦場といってもミリタリーものではなく、軍事作戦がメインで描かれるわけではありません。テーマはあくまで主人公の成長であり、新兵から少尉として小隊を指揮するようになるまでが描かれます。
出版当時『宇宙の戦士』は軍国主義的だと批判されたそうですが、本作で描かれる一種のユートピアはこれはこれで筋が通った世界観です。ほかの作品を読めばわかりますが、ハインラインは右翼的というよりは徹底した自由重視で、上からあれこれ言われるのは大嫌い、そのかわり自由にともなう責任は引き受ける、という態度です。近親相姦もやるし『夏への扉』のようにロリコン主人公まで活躍させています。左翼が元気だった60年代と違って令和の現代ではこの小説を軍国主義的だとする批判はリアリティを持ちません。
ポール・バーホーベン監督で映画化された『スターシップ・トゥルーパーズ』(1997)は小説の軍事国家をそのまま描いているのに小説とは真逆の反戦映画になっていたのが印象的でした。
ハインラインの作品は本格的なSFというより、一般の娯楽小説をSF仕立てにした感じのものが多い。加えて、技巧を感じさせない技巧といわれた圧倒的なストーリーテリングのうまさが特徴。とにかく読みやすい。初期の『人形つかい』『夏への扉』から『月は無慈悲な夜の女王』まで、どれもおもしろいです。
後期になると、普通に小説として書くことに飽きてきた感がありますね。『悪徳なんかこわくない』なんか脳内会話だけでディアディア言ってるし、『愛に時間を』もそこまで長くする必要あるのかと思うし、それ以降のはちょっと読む気が起きません。

『ミクロの決死圏』(1966)
東西冷戦のさなか、物体をミクロ化する技術が極秘に研究されていた。しかし、ミクロ化しても時間がたつと元のサイズに戻ってしまう。この制約を解消する技術を開発した博士を、アメリカが東側から亡命させるが、敵の襲撃により博士は脳出血で意識不明に。博士を救うにはミクロ化した医療チームを体内に注入し、内部から脳外科手術をするしかない。ミクロ化の制限時間は60分。頸動脈に注射された潜航艇は血流に乗って一気に脳の患部に到達できるはずだった。だが、事前の検査ではわからなかった動静脈瘻に飲み込まれ静脈に流されてしまう。その先に待つのは心臓。心臓の鼓動に巻き込まれたらミクロ化された潜航艇はひとたまりもなく破壊されてしまうだろう。果たして制限時間内に手術を終えて体外に脱出できるのか!?
1966年の同名の映画をアイザック・アシモフがノベライズしたものです。映画の原題は『Fantastic Voyage』で、幻想的な映像による体内の描写が特徴の一種のファンタジー。これをアシモフがSFとしての整合性を与えた小説に仕立てています。
小説を読んだあとで映画を見直すと、穴だらけだなと思わざるを得ません。
ストーリーは映画と同じで、様々な臓器を渡り歩きながら次々に起きる危機を回避していくというエンターテインメントな内容。映画では描かれなかった科学考証的な部分だけでなく、登場人物それぞれの動機も補完されています。
単なるノベライズには収まらないおもしろさ。ノベライズが映画より圧倒的におもしろいことなんてそうそうありません。アシモフの小説はけっこう読みづらいところがあると思うのですが、これはストーリーが活劇調だからか読みやすかったです。
ジェームズ・キャメロンが『ミクロの決死圏』のリメイクをやりたがっているそうですが、どうなりますかね。
『盗まれた街』(1955)
カリフォルニア州の田舎町で開業医の主人公のもとに、自分の家族が別人になっているという相談がいくつも舞い込んでくる。いままで通りの生活を営んでいて姿形も何も変わらないが、家族が偽物になっているというのだ。最初は集団ヒステリーを疑ったが、友人宅で奇怪な物体を見せられる。それは人間そっくりの姿だがまだ人間になっていない何か。その何かが最後の仕上げを経て完全な人間になったとき、住人と入れ替わってしまうのだった。
ジャック・フィニイ作の侵略物のホラーSFの古典。
アメリカ人はこの話が大好きらしくて、繰り返し映画化されています。映画で観たことがあるのは1956年に製作されたドン・シーゲル監督のモノクロのやつだけ。アメリカでの公開当時、これはアメリカの共産主義者追放運動を描いていると言われたそうです。それに対してジャック・フィニイは「いやいやこれはただのSFですよ」と答えたとも言われています。
身近な人間がある日まったくの別人になってしまう。いつもどおりで何も変わってはいないのに何かが違う。そして、徐々に街全体が乗っ取られていく。誰も気づかないうちに。気づいたとしてもほかの誰も信じてくれない。
この状況は現実の社会でもよく起こります。それは大量のスパイが紛れ込んでいるとか、宗教がはびこっているとか、外人労働者があふれているとかといったものだけではありません。ホワイト社会だとか、社会の右傾化だとか、左翼の過激化だとか、Z世代はダメだとか、マスコミ報道はすべてフェイクだとか、SNSの炎上だとか。わかりやすいところでは数年前の新型コロナ感染だとか。
エイリアンの侵略はあらゆるところで実際に起きている。その状況にこの小説はストンと当てはまってしまうという普遍的な怖さを持っているわけです。だからこそ何度も映画化されているのですね。
『アンドロメダ病原体』(1969)
米軍の人工衛星がアリゾナ州の砂漠に落下、回収に向かった部隊が消息を絶つ。調査に向かった偵察機は落下地点に近い小さな集落の住民が死んでいるのを発見。人工衛星に付着していた地球外の未知の病原体によると判断され、秘密裏に研究チームが招集される。実はその人工衛星は生物兵器の研究開発のために、大気圏外にいるかもしれない未知の微生物を回収するためのものだった。そして、それを研究するための極秘施設もネバダ州の地下に建設されていたのだ。研究所は外部と完全に隔離され、万一病原体が漏洩した場合には自動的に核自爆装置で熱消毒されることになっている。こうして、回収された衛星カプセルとなぜか死を免れた2人の生存者が研究所に運び込まれ、4人のチームによる病原体の調査が始まった。
マイケル・クライトンがメジャーになるきっかけになった小説。ハヤカワではマイクル・クライトンと表記しています。
この小説の特徴は、すでに起きた事件についてのドキュメンタリーの体裁をとっていることです。衛星の落下から病原体の弱点がわかるまでの5日間の出来事を、史上初めて起きた地球外生物による危機の記録としてクライトンが執筆したという形になっています。架空の政府資料とか架空の研究論文とか架空の医療事故とかが、さも実在しているかのように参考資料リスト付きで語られます。
人間ドラマのようなものはありません。コンピューターの印字はこうなっていたとか、こういう実験をやったらこんな結果になったとか、講談社ブルーバックスかよというノリで淡々と話が進みます。それなのにベストセラーになったし、実際とんでもなくおもしろいという不思議な小説でもあります。
クライトンは同じように科学技術の暴走による災禍をドキュメンタリーノベルとして書くスタイルの作品をいくつも発表しています。『ジュラシック・パーク』もそのひとつです。クライトンの小説はNV文庫から出ていますが、SF文庫にあった『アンドロメダ病原体』も現在ではNV文庫に移っていますね。
テクノスリラーの嚆矢にして大傑作ということで、本作の50年後を舞台にした続編が別作者によって2020年に発表されています。ちょうどコロナのときでしたが、その割にはあまり一般の話題にはならなかったですね。
何度も読みたくはない小説
めっぽうおもしろくて、もう一回読みたいなとは思うけど、現実的にそうはいかないなという小説もあります。
『ハイペリオン』(1989)『ハイペリオンの没落』(1990)
これはおもしろい。SFを読みつづけてきた人へのご褒美と言われるだけあって、SF好きならたまらない内容。でも、何度も読むには長すぎる。さらに続きの『エンディミオン』(1996)と『エンディミオンの覚醒』(1997)がまた長い。ダン・シモンズはNV文庫の『殺戮のチェスゲーム』とかも読みましたが、どれも長すぎて。
『ディアスポラ』(1997)
現代で最高のSF作家と言われるグレッグ・イーガンの中でも、もっとも難解な作品と言われるのがこれ。めちゃくちゃおもしろいし、けっこう読みやすいのですが、すごすぎて脳体力が削られます。
ポストヒューマンのイメージの過激さとしては、これも名作ブライアン・W・オールディスの『地球の長い午後』の感覚に近いでしょう。どちらもSF読みでさえ挫折する人が多い作品です。
ペリー・ローダン(1961~)
70巻くらいまで読んでいました。最初の第三勢力編はおもしろかったですね。『地球替え玉作戦』なんてタイトルが最高すぎる。100巻から始まるアンドロメダ編がまたおもしろいらしいのですが、まあちょっと手は出せません。
これを読み返すのは物理的に不可能。
ハヤカワ文庫では現在のところ月2冊ペースで刊行されているので、ドイツ版に追いつけないまでもこれ以上引き離されはしないという。昨年末に750巻を刊行し、これで1500話達成。ドイツでは2026年1月22日時点で3362話か。
『スターログ』誌の1979年5月号でスペースオペラ特集をしたとき、「21世紀まで読めるスペースオペラ」として紹介されていました。当時日本語版はポスビ編が始まったばかりの頃。ドイツではもうすぐ1000話になるという頃です。その記事で今後のストーリーが軽く紹介されていたのですが、「星のメールストロームで行方不明の地球と月を探している」なんてことが書かれていました。いま思えば公会議編あたりまでの概略と当時最新のバルディオク編のさわりを紹介していたということですね。
本当に21世紀になり、この記事で紹介されていた今後のストーリーが次々に日本語版で出てくるのは感慨深いものがありました。
早川書房はローダンハンドブックはもう出さないのでしょうかね。
