プロレス事件簿 BEST5 (前編)
リングの上で繰り広げられるのは、勝敗だけではありません。
時に“事件”とも言える瞬間が訪れ、その後のプロレス史を大きく塗り替えてきました。
今回ご紹介するのは、そんな「歴史を変えた衝撃の瞬間」――。
ただし、お断りしておきます。
三沢光晴のリング死やブロディ刺殺事件といった“死亡事故”はあまりに衝撃が大きすぎるため、ここでは対象外としました。
それでも、残る「事件簿BEST5」はプロレスファンの胸を熱くするには十分。
あなたの記憶に残るあの事件はランクインしているでしょうか?
それでは第5位からご覧ください。
🏆第5位「2代目タイガー、仮面を脱ぐ!三沢光晴誕生の夜」
~全日本プロレス“新時代”の幕開け~
1990年(平成2年) 5月14日 、全日本プロレス ’90スーパーパワー・シリーズ開幕戦の東京体育館で“前代未聞”の事件が起きた。
佐山聡の初代タイガーマスクの後を受け、「2代目」として活躍していた2代目タイガーマスクが試合中に突然、マスクを脱ぎ捨てて、素顔をさらしたのだ。
2代目タイガーマスクは、この2年前の結婚発表時に公式に素顔を晒し、素顔の「三沢光晴」を明かしてはいたが、それにしても「覆面剥ぎマッチ」で敗れたわけでもない覆面レスラーが試合中に突然、素顔を晒すなど前代未聞の行為であり、大きな衝撃を受けたものだ。
当事、ジャンボ鶴田と熾烈な「鶴龍対決」を繰り広げ、人気No.1だった天龍源一郎が退団した事により、ポッカリと穴の空いたこの“ポスト”を埋めるのは、次期エース候補の筆頭と目されていた『三沢光晴』しかいなかったのも事実であるが、この時は正直、あの天龍の抜けた穴を埋めるのは無理だと思っていた。
「三沢では、ヘビー級としてはサイズが小さい」「鶴田やハンセン、ゴディ、ウィリアムスなど大型のヘビー級レスラーと渡り合うには荷が重い」等がその理由だった。
…しかし、その後の『三沢光晴』のプロレス史に燦然と輝く活躍ぶりはプロレス・ファンなら誰しもが認める所であり、素顔に戻ってから亡くなる迄の『三沢光晴 19年間の軌跡』は、また折に触れ、語る機会もあろうか。
2代目タイガーマスクが素顔の三沢光晴に戻った、東京体育館大会から35年。
あの日を境に、全日本プロレスは更に前進し、新たなフェーズに突入して『四天王プロレス』の時代へと変遷を遂げていく。
その「夜明け」を告げる事件であった。
🏆第4位「スタン・ハンセン 全日本プロレス移籍事件」
~引き抜き戦争が生んだ 最強のウエスタン・ラリアット~
ハンセンの移籍劇には、皆が衝撃を受けた!
1981年(昭和56年)12月13日、’81世界最強タッグ決定リーグ戦 最終戦の蔵前国技館大会で事件は起こった!
この日のメインイベントである、最強タッグ決勝戦「ザ・ファンクスVSブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ」戦に、ブロディ&スヌーカ組のセコンドとして寄り添っていた“テンガロンハットを被った大男”こそ、「新日本プロレス外国人エースのスタン・ハンセン」だった。
ハンセンは、3日前に大阪府立体育会館で開催された新日本プロレス ’81MSGタッグリーグ戦に出場したばかりであり、当然事前発表も無い中で突然の“全日本マット登場”は、インパクト大であった。
裏では、新日本プロレスにブッチャーを引き抜かれた全日本プロレスがシンを引き抜き返し、熾烈な「引き抜き戦争」に突入した事から『テリー・ファンク』を介して発生した移籍劇だった。
セコンドとして戦況を見守っていたハンセンが『ウエスタン・ラリアット』でテリーを場外に沈め、試合後は馬場&鶴田と大乱戦を演じて“全日本プロレスへの挨拶”を済ませるや、翌’82新春ジャイアント・シリーズ中盤戦から特別参加し、最終戦の東京体育館ではジャイアント馬場と夢の初対決が実現。
PWFヘビー級王座を懸けた同一戦は「82年プロレス大賞ベストバウト」を受賞。
以降、ハンセンは全日本プロレスの外国人エースとして第一線で活躍し続けたのは、誰しも知るところであろう。
あの時、ハンセンが移籍したからこそ、マンネリ気味で停滞していた全日本プロレスは息を吹き返したし、ハンセンという“エース”が去ったればこそ、新日本プロレスは「ハルク・ホーガン」という新たな“エース”を売り出し、更に躍進していった。
今から40年以上前、少年時代の私を夢イッパイでワクワクさせてくれた移籍劇であった✨✨
🏆第3位「1999年1・4 東京ドーム 橋本VS小川 衝撃のKO劇」
~破壊王が沈んだ日、蝶野の怒号が響いた夜~
正直、この東京ドーム大会は「大仁田厚の新日本プロレス初参戦」以外に目新しさや興味を引くカードに乏しく、ましてや3度目となる橋本VS小川戦には「大阪ドームでの橋本TKO勝ちで決着している」感があり、特に注視してもいなかった。
しかし、大会当日放送されたテレビ朝日の“2時間特番”を視聴して、度肝を抜かれる事となる😮
随分とシェイプし、全体的にシャープな体型となった小川の動きにはスピード感も増し、何よりも打撃技が格段に上達していて、橋本の強みである打撃を封じ込めるのだ。
スタンドのみならず、グランド状態になるや、マウント・パンチを何発も入れ、顔面も蹴っ飛ばされた橋本は、もはや戦意喪失状態で場外に転がるしかなく…。
テレビ観戦しながら、戦慄を覚えた!
まさか、あの“破壊王”がこんなに無惨な醜態を晒すとは!
まさか、あの小川がここまで進化し変貌を遂げるとは!
新日本プロレス関係者の殆んどの人間にとっても、予期せぬ“不測の事態”だったのは、この後の試合で解説を務めた蝶野正洋が、いみじくも放送席で言った「腐ってるよ、この会社は!」「ぶっ潰してやるよ!!俺が!」からも推察出来た。
サングラス越しながらも、“いつもと違う”蝶野の怒りが伝わってきたものだ。
以降、この『橋本真也VS小川直也』戦は、3度の東京ドーム大会の“目玉カード”に昇華する(シングル2回、タッグ1回)と同時に、小川をけしかけたとされる“師匠・アントニオ猪木”が望む、緊張感のある闘いが、一時的にも新日本プロレスに戻った反面、この後の新日本プロレス迷走の発端となってしまったのも、また事実であろう。
😊第5位から第3位までを振り返りましたが・・
いかがでしたか?
どの出来事も、当時のファンを震わせ、今なお語り継がれる事件ばかりです。
――しかし、真に歴史を動かした“あの瞬間”は、まだ残っています。
次回は、いよいよ第2位と第1位を発表!
プロレス界の根幹を揺るがした衝撃の出来事とは何だったのか?
どうぞご期待ください!
