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私をかたちづくるもの|暮らしに馴染む、大江戸骨董市の静かな戦利品

前回の骨董市で、ひとつ、心に残ったものがあった。
水色のガラスのすりおろし器。
それから、刺し子の入った、藍染の古布でできた雑巾。

どちらも、手にとってはそっと戻し、何度も見返して、でもその日は迎えることができなかった。
「予算オーバーだから」と自分に言い聞かせながらも、
帰り道ではその佇まいばかりが浮かんできて、数日経っても、ふと思い出してしまう。

——ああ、あれはもう、私の中では迎えに行く約束ができていたのだと思う。

そして今日。
晴れた日曜日の朝、大江戸骨董市へ向かった私は、
ちゃんと待っていてくれたそのふたつを、ようやく手にすることができた。

すりおろし器の中にある、水の記憶

それは、レモンの皮をすりおろすための小さなガラス器。
だけど、ただの台所道具としては収まりきらない美しさが、そこにはあった。

色は、涼やかな水色。
透明なガラスの中に、ほんの少しだけゆらぎがあって、
縁には泡のような気泡がいくつも閉じ込められている。
まるで昭和のガラスが持つ、あの”不完全さの中のやさしさ”を、そのまま留めているかのようだった。

すり面は小さな凹凸がびっしりと並び、
その影に光が差し込むと、水面のように細やかな輝きを返してくれる。

——すりおろす、という行為のなかに、
静けさを刻むような時間が生まれそうな気がして、
見ているだけで、少し深く呼吸ができる気がした。

使うたびに「生活のための動作」が、「ひとつの所作」へと変わっていく。
そんな気配を、この小さな器は持っている。

縫いとめられた布、ほどけない記憶

見た目が可愛い、というのが第一印象だった。
けれど、それだけではなかった。

深い藍の布に、くすみピンクと淡いグレーのかけらが、まだかすかに残っていた。
全体に施された刺し子は、破れやすいところを何度も補強した跡。
その縫い目の重なりに、手をかけられてきた時間が宿っている。

古民家の解体時に見つかった布だと、出店者さんは話してくれた。
元は野良着やモンペだったものが、最後は雑巾へと姿を変えたのだという。
どこの家から出てきたものかは不明だったけれど、
その布が暮らしの中で使い込まれ、今また手に取られるということ。
それが何より、尊いと感じた。

だから私は、この雑巾を“雑巾として”迎えることにした。
飾り布や敷物として再利用されることも多いと聞いたけれど、
私は、この布に本来託された最後の役目を、そのまま引き継ぎたいと思った。

台所や洗面まわりで、そっと水気を拭う日常の中で、
この布の時間を、私の暮らしのなかに受け継いでいく。
そうして少しずつ擦り切れて、やがてほころびて、
最期には静かに布としての命をまっとうする。

ただの雑巾ではなく、
「最期まで美しく生きるための布」だと、私は感じている。

美しさの行き先

今回のふたつの道具。
どちらも、最初に心を掴まれたのは、その佇まいの美しさだった。

けれど、それだけでは迎えなかった。
使う場面がすぐに浮かんで、暮らしのなかで確かに役立つとわかったからこそ、
ようやく「うちに来てもらおう」と思えた。

美しいものを飾るだけでなく、
美しいまま、ちゃんと使うこと。
日々の中で出番があること。
それが、私の中のひとつの基準になりつつある。

道具としての命を持ちながら、
目に映るたび、手にするたび、少し心が整うような存在。

静けさを削る音も、
濡れた床をそっと拭う手触りも、
そのひとつひとつが、私の暮らしをかたちづくってくれる。

そんな気がしている。

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