【祝100城目】福井城〜お城マニアへの道 No.100
こんにちは!
歴史と食がつながると、旅はもっとおもしろくなる。
お城さんぽの楽しさをお届けしたい!
アラフィフ旅ライターの更科そば子です。
日本城郭検定(6月)に向けて、学習まとめシリーズ継続中です。
おかげさまで、お城マニアへの道シリーズ100城目を迎えることができました!🎉
いつもスキやコメントで応援してくださる方に心から感謝しています!ありがとうございます😊
さて記念すべき100城目は、福井県福井市の福井城。
今も福井県庁・県議会・県警本部が本丸跡に建つ、現役バリバリの「最強の政治拠点」です。
毎朝「本日も登城して参る!」と言いながら出勤できる県職員の方がうらやましい…
私も登城したい…福井県庁からお仕事来ないかな…笑
柴田勝家とお市が散った灰燼の上に建てられた「徳川の巨城」福井城。
歴史の重みを感じながら、お城検定目線+更科そば子の旅目線で学んでいきましょー!
基本情報:福井城
城名:福井城(ふくいじょう)
区分:続日本100名城
所在地:福井県福井市大手
築城者:結城秀康 ※徳川家康の次男
築城年代:慶長6年(1601年)
城郭構造:輪郭式平城
天守:4重5階(寛文9年/1669年の大火で焼失、以後再建されず)
主な城主:越前松平家17代
別名:北ノ庄城
→地名に由来廃城:明治の廃藩置県による
👉 ポイント
石垣・内堀が現存。笏谷石(しゃくだにいし)の切込接ぎ布積みは二条城・江戸城と同格
天守台と「福の井」(地名由来の井戸跡)が現存
御廊下橋(2008年復元)・山里口御門(2018年復元)が見どころ
福井城の歴史
● 北ノ庄城:柴田勝家の夢と散華
福井城を語るには、まず前身の北ノ庄城から始めなければなりません。
天正3年(1575年)、朝倉氏を滅ぼし越前を平定した功績により、織田信長から越前国を与えられた柴田勝家が自ら縄張りを担って築城したのが、北ノ庄城です。
宣教師ルイス・フロイスの記録によれば、天守は7層(一説に9層)で安土城に匹敵する巨城、町の規模は安土の2倍にも及んだとされています。
しかし天正11年(1583年)、羽柴秀吉との賤ヶ岳の戦いに敗れた勝家は北ノ庄城に戻り、正室・お市の方とともに自害。
城は炎上し、わずか8年の命を閉じました。
なお、No.98の丸岡城を築いた柴田勝豊は勝家の甥であり、No.102の玄蕃尾城は、賤ヶ岳の戦いで勝家が本陣を置いた城です。
この福井名城シリーズは、柴田勝家という人物を軸に読むと、歴史の流れが一本の線につながっていきますのでぜひマガジンをご覧ください。
● 結城秀康の入封と福井城の築城
関ヶ原の戦い(1600年)の後、越前北ノ庄68万石を拝領したのが、徳川家康の次男・結城秀康です。
慶長6年(1601年)に建設に着工し、全国諸大名を動員した天下普請によって、約6年をかけて完成させました。
本丸・二の丸の縄張りは徳川家康自身が手がけたとも伝えられているのだとか✨
きっといろんな工夫があるんだろうなあ✨✨
結城秀康は幕府の威光を示す城にふさわしく、東西2キロメートル四方に及ぶ巨大な城を完成させます。
本丸には高さ37mの4重5階天守がそびえていたそうです。
その後、3代藩主・松平忠昌が、「北」の字が「敗北」に通じて不吉だとして「北ノ庄」を「福居」と改名。
その後さらに「福井」と改められました。
● 天守の焼失と松平春嶽
寛文9年(1669年)、大火で天守をはじめとして御殿・侍屋敷・町屋など城下の主要部が焼失してしまいます。
幕府への再建許可申請は叶わず、以後天守は再建されませんでした。
しかしその後も越前松平家は17代にわたって藩政を続け、幕末には第16代藩主・松平春嶽が「幕末の四賢侯」のひとりとして活躍します。
藩政改革や公武合体の推進をはじめ、明治維新後の政界でも重要な役割を果たした人物は、ここ福井城の藩主だったのですね。
明治4年(1871年)の廃藩置県で福井藩は消滅しますが、1923年(大正12年)、本丸跡に福井県庁が移転新築され、現在に至ります。
見どころ情報
● 笏谷石の石垣
福井城最大の見どころは、水堀からせり上がる笏谷石(しゃくだにいし)の石垣です。
笏谷石は福井市足羽山で産出される凝灰岩で、加工しやすく寒冷地の凍害にも強い福井の銘石。
青緑色に輝く独特の色合いが美しく、丸岡城の石瓦にも使われています。
石垣の積み方は切込接ぎの布積み。
切込接ぎの布積みって。笑
ホント専門用語すぎますよね。
解説します👇
【更科そば子の専門用語クエスト】
切込接ぎは石垣の最終進化形態!
石垣は、最初は「野面積み」といって、自然石をそのまま積みつつ、間に小石などを挟んで安定させる石垣でした。豊臣秀吉の時代までのお城に見られます。
「よくこんなに違う形の石を上手に積んだな〜」と感心することが多いです。
次に発展してきたのが「打込接ぎ (うちこみはぎ)」で、石の角や面を平らに加工して隙間を減らして積む技法です。「野面積み」より頑丈で、隙間に小石(間詰石)を打ち込むのが特徴です。
関ヶ原の合戦以降のお城に見られます。
そして、「切り込み接ぎ」になると、あらかじめ石材を四角く加工するため、隙間がほとんどないように緻密に積み上げることが可能となります。
高い技術と財力が必要となるこの積み方は、第一級の城に用いられた積み方で、徳川が天下を取った後のお城に見られます。
例えば江戸城や二条城に綺麗な切り込み接ぎの石垣が見られます。「布積み」とは
長方形や正方形に加工した石を一段ずつ水平に並べていく石垣の積み方です。
比較対象として「乱積み」があり、大きさが不ぞろいの石を、パズルのように組み合わせて強度を確保する工法になっています。
布積みは、あらかじめ石の加工が必要ですが、いざ現場で組み立てるときには特別な技術は必要なく、効率が良いので、次第に普及していきました。


つまり、福井城の石垣は、非常に美しい「最終形態」ということです。
なお、福井城から徒歩約10分の場所にある柴田神社は、北ノ庄城の本丸があったとされる場所に建てられた神社ですが、発掘調査で出土した北ノ庄城の石垣遺構を見ることができます。
柴田勝家とお市の方が合祀されているので、福井城とセットで訪れると越前の歴史がさらに立体的に見えてきますね。
● 天守台と「福の井」
現存する天守台は、切込接ぎの石垣で築かれていて、とても美しいです。
かつてここに高さ37m(!)の天守がそびえていたことを想像しながら眺めると、福井城の規模の大きさが伝わってきます。
など、天守台のそばに残る「福の井」は、地名「福井」の由来ともいわれる井戸跡です。
昭和23年の福井地震で形が歪んでしまいましたが、平成29年(2017年)に復元整備され、往時の姿に近い形で見学できます。
● 御廊下橋と山里口御門
御廊下橋は、本丸と藩主の生活空間・西三ノ丸御座所を結んだ専用の橋です。
屋根と壁が付いた木造の橋という全国的にも珍しい形で、松平春嶽もこの橋を渡って毎朝登城していたとされています。
橋を渡った先にある山里口御門は、櫓門と棟門が組み合わさった枡形門で、笏谷石の石瓦と越前赤瓦が混在する屋根も見どころとなっています。
どちらも復元されたもので、往時の威光を感じられるものとなっています。
城下町グルメ(※試験には出ません!)
さあ、皆さんお待ちかね!
お楽しみの城下町グルメ情報のお時間です!
前回の一乗谷城と同じ福井市にある福井城ですが、今回はスイーツを中心にご紹介したいと思います!!
■ 冬限定の水ようかん
全国的には夏の涼菓子として知られる水ようかんですが、福井では冬の風物詩なんですって!
冬のイメージないですよね〜!
というのも、そのルーツは江戸時代の丁稚奉公の文化にありまして、
関西へ奉公に出た福井の少年たちが、年末の帰省時に福井に持ち帰った練りようかんを水と寒天で伸ばしてかさを増やし、近所に配ったのが始まりなんだそうです。
糖度が低い水ようかんは夏の常温では腐敗してしまいますが、冬の福井の気候なら、縁側や廊下が天然の冷蔵庫代わり。
そのため「冬の菓子」として定着したんだとか。
A4サイズの平たい紙箱に流し込んだ「一枚流し」が定番で、付属のヘラですくって食べるのが福井流。
販売は11月〜3月のみの店舗が多いそうなので、タイミングを合わせて訪問したいですね。
あ〜でも、一乗谷城は冬季閉鎖なんだよなあ💦
なんと悩ましい😭
■ 羽二重餅

羽二重(はぶたえ)とは、滑らかで光沢のある絹織物の名称。
明治から大正にかけて、福井は「羽二重の産地」として全国にその名を馳せていました。
そんな絹織物で栄えた城下町の豊かさを体現したお菓子が、「羽二重餅」です。
シルクの布のように白くきめ細かく、ふっくらと柔らかい餅菓子で、シンプルな甘さの中に上品さが漂う銘菓で、福井駅でもお土産として購入できるそうです。
■ ソースカツ丼

言わずと知れた福井のソウルフード🤤
発祥は大正2年(1913年)。
薄くカラッと揚げたカツを特製ソースにくぐらせ、ご飯にのせたシンプルな一品がたまらなくおいしいですよね〜✨
ご飯の上に3枚の薄いカツがどっさりとのり、丼の蓋からはみ出るほどのボリュームが福井流だそうです。
「蓋の上で1〜2枚を待機させながら食べる」のがコツとのこと。
現地に行ったら見よう見まねでやってみましょう!
そば子的感想まとめ
福井は京都に近い立地もあって、激しい領地争奪戦が繰り広げられたのだなあ、と改めて感じます。
その痕跡は、お城の作りにもみられます。
今回、石垣の積み方について改めてまとめて解説してみましたが、いかがでしたか?
正直、どこのお城も「見どころは石垣!」っていうので、ちょっと飽きちゃってる自分もいるんです笑
でも、知ると時代ごとの違いと、それぞれの時代の人たちの創意工夫が見られて面白いなあ、と思うようにもなりました。
でも、それよりも(おい!w)グルメの方が気になっちゃう私にとって、福井はなんとも魅力的〜!
京都や大阪が近いからこその食文化、ぜひ訪問時には満喫してきたいなあと思います🤤
もしあなたも歴史とグルメの旅を一緒に楽しんでいただけるなら、次回も読んでもらえると嬉しいです☺️
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