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ろろろのめ第16回 信頼と真正性の間で──メディア環境の静かな地殻変動



信頼と真正性の間で──メディア環境の静かな地殻変動

「テレビはもう見ていない」「こたつ記事だらけ」「煽るだけのメディア」──。ネット上では、既存メディアへのこうした手厳しい言説が飛び交う一方、選挙や政治ニュースの情報源としては、依然としてテレビや新聞といった既存メディアが最も多く使われ、高い信頼を得ているという調査結果がある。

一見すると矛盾するこの状況は、日本の情報環境が「分断なき多層性」とも呼ぶべき、複雑な状態にあることを示唆している。本稿では、この二重構造を冷静に紐解き、現代社会が直面するメディアと信頼の課題について考察する。




既存メディアの「強さ」と「嫌われ方」の二重構造

スマートニュースと研究グループが2024年6月に発表した「メディア価値観全国調査」によると、選挙や政治に関するニュースの情報源として最もよく使われる手段はテレビ(46.5%)、次いでニュースサイト・ニュースアプリ(17.8%)、紙の新聞・雑誌(16.0%)となっている。SNSやYouTubeなどのソーシャルメディアは10.9%にとどまり、マスメディアの合計はソーシャルメディアの約6倍となる。

また、マスメディアへの信頼度は「とても信頼している」が9.0%、「まあ信頼している」が59.7%と、合わせて約7割に上る。米国と比較しても高水準を維持しており、速報性、取材力、公共性への期待は依然として根強い。

ただし、この「信頼」は一枚岩ではない。事件報道における誤報や、「こたつ記事」の多発、取材不足、収益優先の編集方針といった批判は、既存メディアに対する不信の火種としてくすぶり続けている。「煽って数字を稼いできた」という過去の姿勢が現在の反感を招いているケースもあり、「個別の不信」が構造的な信頼の揺らぎへと波及している可能性がある。

「スマートニュース・メディア価値観全国調査2025」より

「信じたい人から聞きたい」──「真正性」の時代へ

一方、ソーシャルメディアの隆盛は、情報の信頼のあり方そのものを変えつつある。そこでは従来の「信頼性(credibility)」に加えて、「真正性(authenticity)」が重視されるようになっている。

既存メディアは、発信者や編集意図が見えづらい匿名性を持つのに対し、YouTuberなどの個人発信者は、自身のパーソナリティや価値観を前面に出すことで、視聴者との擬似的な信頼関係を構築する。たとえ演出されたキャラクターであっても、「人間らしさ」や「近さ」によって発信内容そのものが信頼される傾向がある。

複雑な社会問題を「わかりやすく、面白く」解説し、「理解できた気分」にさせる手法は、認知的な快感を与える。その結果、事実に基づいているか否かにかかわらず、パーソナリティへの共感が情報そのものの信用を上回るケースが少なくない。

このような「パーソナリティ依存型の信頼」は、教育現場における「誰が教えるか」が重視される傾向や、推し文化における情報共有とも通底している。リチャード・セネットのいう「親密性の専制」にも通じ、世界の複雑さが、信頼できる人物かどうかという単純な軸に還元される現象が進行している。


二つのメディア環境──接触層の分離と共通認識の危機

この「信頼」と「真正性」の二重構造は、社会に異なるメディア接触層を生み出している。朝日新聞の調査でも、年齢や属性に応じてメディア接触の傾向に大きな差があることが指摘されており、「テレビ・新聞中心の層」と「SNS・YouTube中心の層」の間では、そもそも接する情報が異なりはじめている。

この現象は、「分断」というよりも「共通土台の喪失」として捉えるべきだろう。情報源が異なるだけでなく、何を信じ、どう考えるかという回路そのものが乖離し始めているため、同じ事象に対しても認識や評価が大きく食い違う。

例えば、トマ・ピケティが排外主義の背景に「貿易や雇用の不安」があると指摘したように、経済政策の失敗がアイデンティティの危機と結びつく過程で、情報源の分離が「レッテル貼り」や「他者の悪魔化」を助長する。特定のイデオロギーに基づく「善悪二元論」は、その対極にいるとされる層だけでなく、表層的にはリベラルな立場を取る層にも見られる傾向である。

韓国に対する「安全保障の現実」や「財閥中心経済」の文脈を無視し、DEIの物差しだけで「良い韓国人/悪い韓国人」を選別しようとする態度も、異文化への無理解という点で、ネトウヨ的排外主義と鏡像関係にある。このような「選別的な善意」は、相互理解を深めるどころか、分断を拡大させる要因となる。



情報リテラシーの限界と再構築の可能性

このような情報環境において、従来のファクトチェックやデマ拡散防止だけに依拠するリテラシー教育は限界を迎えている。問題は「情報の正しさ」だけではなく、「誰が語るか」によって信頼が決まるという構造にあるためである。

求められているのは、「誰の話を聞くか」という選択そのものに自覚的であること、そしてその構造がどのように形成されるのかを理解する教育である。「人間が言っていればハルシネーションではない」という幻想を打ち破り、真正性と信頼性を混同しないための認識が不可欠となる。



分断を超えて、構造を見るために

現代のメディア環境は、既存メディアへの根強い信頼と、それに対する批判、さらに個人発信者への共感的信頼が混在する、前例のない多層構造を呈している。

この状況を乗り越えるには、感情的な言説や断定的な批評に流されず、事実をベースに構造を読み解く視点が求められる。既存メディア批判と個人メディア礼賛のどちらにも偏らず、多様な「現実」が併存し得るという前提に立ち、冷静なまなざしで情報環境をとらえる姿勢が重要となる。

この静かな地殻変動の時代において、共通の土台を築くための唯一の道は、構造への理解と、他者への想像力である。



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