ろろろのめ第9回 「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」に見る“日本版グラミー”の現在地と課題
「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」に見る“日本版グラミー”の現在地と課題
——YouTubeアーカイヴなし、届かぬ海外、音楽業界の“YMO的保守性”——
2025年5月21日・22日に行われた『MUSIC AWARDS JAPAN 2025』(以下MAJ)。「日本から世界へ」を掲げ、音楽業界を横断する新たな試みとして始動したはずのこのプロジェクトだが、その実態は、熱の伝わりにくさ、可視性の低さ、構造的な課題の多さによって、その志の高さとは裏腹に“内向きなイベント”に終わってしまった印象が強い。
5月22日夜、ロームシアター京都で開催された「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」(以下MAJ)は、初開催にして「紅白より豪華」と言われるほどのスケールで幕を開けた。MIKIKO氏が演出を手がけたオープニング映像にはPerfume、Number_i、FRUITS ZIPPER、10-FEET、Vaundy、新しい学校のリーダーズ、YUKI、岡村靖幸らが登場し、YMOの「RYDEEN」を軸にメドレー形式で次々と繰り広げられるパフォーマンスは、視聴者の度肝を抜いた。
YouTubeにも公開されたこの映像は「まるでオリンピック開会式」「こういうのが見たかった」と絶賛され、「紅白やレコ大より遥かに豪華」という声も多かった。しかし、それでもなお「何かが足りない」と感じたのはなぜだったのだろうか。
「見せ場」はあった。だが「音楽番組としての強度」はどうだったか?
イベントとしてのスケールや制作陣の熱量には疑いの余地はない。しかし、番組全体を通して見たときに「音楽番組」としての完成度に疑問を持った視聴者も少なくなかった。
特にパフォーマンス部分の音響やカメラワークには厳しい声が多かった。「なぜボーカルが聞き取りづらいのか」「せっかくのステージングがカメラで台無し」といった指摘は、SNSでも散見された。紅白やレコ大と比較しても、音響やカメラの精度において明らかに見劣りしていたという印象は否めない。
また、NHKでの中継も録画編集された状態での放送となり、「なぜ生中継でないのか?」という疑問も残った。こうした点にこそ、日本の音楽番組制作の「構造的な課題」が現れている。
この記事では、イベント直後の熱の今だからこそ、その構造的な問題と、今後の改善可能性について冷静に検証してみたい。
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◆ 観られない授賞式、伝わらない熱狂
最大の課題は「見せ方」だ。
NHKでの地上波放送は世帯視聴率でTOP10圏外、個人視聴率でも10代・20代のわずかな反応に留まり、大衆的な注目を集めきれなかった。YouTubeでの配信も30分遅れでリアルタイム性に欠け、アーカイブは一切残されず。唯一の見逃し配信先であるLeminoは国内限定かつ6月中旬提供予定と、“熱狂の鮮度”を失った状態での公開となってしまった。
しかも海外からのアクセスは事実上不可能。日本発の「国際音楽賞」を標榜しながら、世界中の視聴者が“観られない”という矛盾は致命的だった。
> 結果として、YouTube上では違法アップロードされた映像が拡散し、「正規ルートでは観られない」状況が“裏ルート”の需要を生むという皮肉な構図が生まれてしまった。
5月23日からパフォーマンス動画が徐々にアップされ出したがスピード感、アーカイヴ性、アクセスのしやすさも含めてはまだまだ改良すべき点がある事は否めない。



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◆ 参考にすべき「紅白歌合戦」の動画戦略
MAJが学ぶべき事例はすぐそばにある。
NHKのもうひとつの音楽特番『紅白歌合戦』では、放送直後から各出演者のパフォーマンス映像をハイライト形式でYouTubeにアップロードし、一週間で4,500万再生を突破。国内外から高いアクセスを集め、ストリーミング再生やSNS波及にも成功した。
「見せ方の改革なくしてグローバル展開なし」。
MAJはまずその基本から再設計する必要がある。
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◆ 表彰結果に見る“業界の意思”とその限界
Creepy Nuts「Bling-Bang-Bang-Born」の7部門受賞という快挙には、多くの視聴者が納得したはずだ。だが、同時に「ダンスポップ部門」にノミネートされた作品群にはジャンル的な違和感も。YOASOBIやAdoのようなポップス寄りアーティストが並ぶ中で、LDH系やK-POP系のような「ガチのダンス&ボーカル」はほぼ無視されていた。
また、「最優秀ボーカロイドカルチャー楽曲賞」に『千本桜』(2011年発表)が選ばれたことも物議を醸した。象徴的なボカロソングであるのは確かだが、2024年のボカロシーンを象徴していたのは原口沙輔やKikuoのような若手作家たちだったはず。
> 「今を評価する」賞としては、あまりに懐古的な判断だったのではないか。
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◆ 価値観の更新が見えないキャスティングと演出
岡村靖幸の出演、BOOM BOOM SATELLITESの楽曲起用、YMOの「RYDEEN」を軸にメドレー形式で次々と繰り広げられるパフォーマンスに代表されるように、MAJは明らかに「過去の音楽遺産」を今風に再提示する構成だった。それは敬意でもあり戦略でもあるが、一方で“YMO的保守性”——つまり、テクノロジーと格式への過度な依存——が垣間見えたことも否めない。また、プレゼンター陣もYMOにゆかりのある人物や、映画監督・黒沢清の作品に出演経験のある俳優が多く、キャスティングの偏りが目立った。この「身内感」は、他の音楽賞とは異なる独特の“閉じた空気”を醸し出し、一部の視聴者には息苦しさとして映ったのではないか。
> 「変化しているのに評価されない」——それが、今の音楽カルチャーの若年層を最も失望させる。
実際には、「NEW KAWAII」「音楽性特化型ボカロP」など新しい潮流が生まれている。だがMAJは、それらを文化的背景ごと掘り下げて紹介することがなかった。表層的に“拾って終わり”では、未来の観客は育たない。
◆ 「YMOの亡霊」から脱却するには
今回のMAJを見て思うのは、日本の音楽業界にいまだ根強く残る「YMO的保守性」だ。技術と様式に対する強いこだわりはある一方で、グローバルな見通しやスピード感、メディアとの連動といった現代的な戦略が欠けている。選ばれた楽曲が「既に評価されたものばかり」と指摘されるのも、革新よりも“安定”を選んだ結果なのかもしれない。
---一方で、NHKも音楽イベントの中継においてかつてほどの役割を果たせていない現状がある。テレビ中継の重要性が下がる中、それでも視聴者の熱量を引き出すには、配信・SNS・インタラクティブ性を加味した設計が必要だ。
◆ 他の音楽番組ができていたのに、MAJができていなかったこと
「MUSIC AWARDS JAPAN(MAJ)」は、日本版グラミー賞を標榜する意欲的な試みだった。しかし、同時期に放送された他の音楽番組の先進性と比べると、どうしても見劣りしてしまった。
今回の「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」を巡って、旧来のテレビ音楽番組とは異なる“何か新しい試み”が期待されていたのは確かだ。しかし、結果的に「他の番組がすでにできていたこと」をMAJが“できていなかった”点が際立ってしまった。
以下はその代表的な例だ:
【1】YouTube戦略の不在
紅白歌合戦:本放送後すぐに公式チャンネルで歌唱パフォーマンスをアップ。SNSとも連携し、ハッシュタグで数百万件のリアクションを生む。
THE FIRST TAKE/Tiny Desk Japan/Venue101 Extra:YouTube前提で収録・演出が組まれており、画質・音質も高水準。
MAJ:リアルタイム配信はYouTubeで30分遅れ。アーカイブなし。Leminoでの見逃し配信も6月中旬予定と、熱が冷める時期に。
【2】“一発で引き込む”演出設計の不在
Venue101 Extraでは、アーティストと楽曲の文脈をテロップやトークで明確にし、初見の視聴者でも理解できる工夫がある。
MAJは、演出も進行も淡々としており、パフォーマンスの合間も「背景説明なし」「紹介も簡略」で、ストーリー性に乏しい。
【3】“バズらせる”導線がない
CDTVライブ!ライブ!やミュージック・ステーションSPでは、「TikTokで話題」「ライブ映像先行公開」などバズを狙った導線が事前から練られている。
MAJは、受賞楽曲の選定こそ妥当性があるが、選出の理由や文脈が観客に伝わらず、SNS上での“語り”が生まれなかった。
【4】アーティスト側の熱量が伝わらない
他の音楽番組では、SNSで出演者自らが出演報告や裏話を投稿するなど、ファンとの接点が数多く設けられている。
MAJ出演者のSNS投稿も少なく、番組側からの舞台裏ショットやリハ風景もほとんど発信されなかった。
特に象徴的だったのが、TBS『CDTVライブ!ライブ!』が4月28日に放送したKing Gnu特番だ。
【1】"没入感あるライブ体験"の実現度が段違いだった
King Gnu特番は12曲、約1時間をCMなしで放送。曲間の無音も排除し、テレビの前がライブハウスのように感じられる没入体験を実現。
カメラワークはライブハウス視点。観客のシンガロングや自然な動きが画面に映り込み、現場の熱量をそのまま伝えることに成功。
【2】"即時性・可視性・SNS拡散力"の全てが備わっていた
TVerでの見逃し配信、SNSでの即時動画公開、出演者の投稿と連動。観られる・語れる・拡がる仕組みが整っていた。
対してMAJはYouTubeでの30分遅れ配信、アーカイブなし、Leminoで6月中旬に再配信予定と、リアルタイム性をまったく欠いていた。
【3】演出・構成が"観る側の熱"を想定していない
King Gnu特番では「お行儀よくない」自由な熱狂を映し込む構成で、ライブの“共犯性”を体現。
MAJはカメラワーク、音響、観客の配置に至るまで、演者中心で没入感に欠ける。紅白やレコ大より音響や画作りが悪いとの声すらあった。
◆ 「テレビである必然性」も「ネットで拡がる導線」も欠いた
今の時代、テレビとネットの両輪がなければ、音楽番組は“残らない”。それは紅白やCDTV、THE FIRST TAKEといった事例が既に証明している。
一方、MAJは「テレビとしての魅せ方」も弱く、「ネットでの拡がり」も設計されておらず、どちらの足場も築けていなかった。フォロワー数やYouTube登録者数が極端に少ない現実(※XではRecording Academy 380万人に対しMAJは4.3万人)は、その証左ともいえる。
◆ 選考の透明性:「5000人ガチ投票」の盲点
公式には「音楽関係者5000人によるガチ投票」とされているが、著名音楽評論家やジャーナリストが一切選考に加わっていないという報告もSNS上で散見された。投票者の選定基準が不透明なままでは、“公正さ”を名乗ること自体が逆効果になりかねない。
選考委員が誰で、どんなバランスで構成されているのかが非公開のままでは、“透明性”という名目自体に説得力がなくなる。
選考過程をよりオープンにし、審査員の属性やバランスを公開することでこそ、「なぜこの作品が評価されたのか」が正しく共有され、納得感のある賞になるはずだ。
選考過程の可視化、審査員の属性の公開など、納得できる説明責任が求められる。
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◆ 海外展開は“プレスリリース”だけでは足りない
MAJは授賞式後に英語プレスリリースを発信し、米ビルボード等にも掲載された。しかしそれは“情報の伝達”に過ぎず、“体験の共有”にはなっていない。海外の音楽ファンにとっては、映像が見られない以上、どれだけ文章で発信されても実感値は得られない。
視覚メディアとしての戦略、つまりYouTube、TikTok、Instagramなど、短尺動画や字幕付きダイジェストなどが不可欠なのだ。
また、MAJのYouTube登録者数は10万人程度、X(旧Twitter)のフォロワー数も約4.3万人。対してグラミー賞を主催するRecording AcademyのXアカウントは約380万人、YouTubeの登録者も桁違いだ。そもそも「観られていない」状態では、国際賞とは言い難い。
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◆ なぜ「5月開催」なのかという根本的問題
そもそも、なぜこの授賞式が5月下旬に行われたのか?
・企業会計的には「第1四半期」の後半
・会計年度的には「上半期」
・音楽シーン的には「2025年モードがすでに始動」
このタイミングで「2024年を讃える」のは、熱が冷めきった後の発表となり、既に消費された話題を再加熱する構図になってしまった。
実際、すでに2025年の音楽シーンは大きく動いている。春フェスや新譜リリース、夏フェスのラインナップ発表など、「今」の話題はもう次のフェーズに入っているのだ。そんな中で、「去年の話」をいま改めて表彰するのは、やはり“熱”の持続という観点で難しい。賞の価値は“鮮度”とも密接に関係している。
> 選ばれた曲が悪いわけではない。ただ、「なぜ今?」という温度差が視聴者を突き放してしまった。
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◆ まとめ:「グラミー賞」を目指すなら、まず“観られる”仕組みから
『MUSIC AWARDS JAPAN 2025』は、確かに大きな第一歩だった。だが、今のままでは「日本の音楽業界による内向きな祭典」に過ぎず、「グローバルで通用する音楽賞」にはなり得ない。
国際性とは何か? それは英語で喋ることではなく、誰もが簡単にアクセスでき、参加できること。その一点から、MAJは再構築されるべき
MAJは、志の高いプロジェクトではあった。しかし、現状では「日本の音楽業界による内向きな祭典」の域を出ていない。国際性とは「英語を交えること」でも「外国人ゲストを呼ぶこと」でもなく、「世界中の人がいつでも観られること」だ。その一点から再構築しなければ、日本版グラミー賞の未来は拓けない。
“日本の音楽番組が嫌い”という層にこそ届いてほしい。だからこそ、演出・設計・届け方のすべてを刷新する必要がある。「今のままでいい」という内向きな発想から一歩抜け出さなければ、YMOの亡霊に縛られ続けたまま、未来は来ない。
「日本の音楽番組が嫌いな層」に届くために
現在の地上波音楽番組に対して、「マジで吐き気がするほど嫌い」という若年層も少なくない。その背景には、形骸化した進行、口パクの多用、演出の古臭さ、そして「音楽を愛しているように見えない」スタッフの空気がある。
MAJはその中で、確かに一石を投じた。が、本当に“革命”を起こすなら、演者や演出家だけでなく、放送局・制作会社・技術スタッフ・カメラマンまで含めた「音楽番組づくりの全体像」を変える必要がある。その意味で、今MAJが受ける批判や指摘は、“無関心”ではなく“期待の裏返し”として受け止めるべきだろう。
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最後に──次回以降に望むこと
MAJは、まだ“最初の一歩”にすぎない。だが、その最初の一歩の振動は確かに大きかった。だからこそ次回に向けては、次のような点に期待したい。
音響とカメラの刷新(「見る/聴く」体験の質的向上)
観客とのインタラクション演出の強化
生中継体制の整備
海外との本質的な連携(ノミネート制度や投票システムの透明化)
SNS・YouTubeを通じたプレゼンス拡大
本気でグラミー賞に並ぶアワードを目指すならば、“格好”ではなく“構造”を変えるしかない。MAJがその意志を持ち続けられるか。今はその可能性を信じて、次の開催を見守りたい。
初開催であるがゆえの混乱や模索もあっただろう。だが、せっかくの「日本版グラミー賞」というコンセプトを掲げるのであれば、それにふさわしい制度設計・情報設計・発信設計が必要だ。選ばれるべき人が正当に選ばれ、見るべき人が確実に見られる。そんな当たり前の“音楽賞”が、MAJ2026でこそ実現されることを願いたい。
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※2025年6月10日アップデート
