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ろろろのめ第3回 【コラム】正義を疑え。それでも進め。




「絶対に許さない」という感情は、しばしば未熟と片付けられる。けれどそれは本当だろうか。
今この時代において、“許す”ことと“許さない”ことのどちらにも意味があるのだと教えてくれたのが、今回の田中宗一郎×宇野維正によるトークイベントだった。

SNS時代の空気、キャンセルカルチャーの波。そこに乗るのか、抗うのか。彼らが繰り返したのは「押しつけるな」という言葉だ。
それは思想に対しても、価値観に対しても、そして“正義”に対しても当てはまる。

「自分の正義を疑え」と宇野は言う。
自分が信じている正しさに、どこまで暴力性が潜んでいるかに無自覚な左派の過激さ。そしてその反動としての、wokeとノンポリの二極化する文化評論の世界。
そんな中で、真正面から「自分の立場」を語る1%の存在に、今こそ耳を傾けるべきではないか。

興味深かったのは、『天幕のジャドゥーガル』という映画を通じた「許さないことの意味」へのまなざしだ。
13世紀のイラン、奴隷として売られた少女シタラは、知識と怒りを糧にモンゴル帝国への復讐を誓う。これは単なる歴史ドラマではない。
「赦し」ではなく、「記憶すること」「問い続けること」の力を描く、戦時下の知と感情の物語だ。

一方で、ラオール・ウォルシュ監督の『私の彼氏』のように、誰かを助けたい、愛したいという思いが人生を変えることもある。
怒りと愛、どちらもが人間を突き動かす燃料になる。それはどちらか一方だけでは足りない。

そして、音楽業界ではライブ・ネイションによるhipの買収が象徴的だ。
フジロックか、サマソニか――。どちらを選んでも、選ばなくても、すでにフェスは資本主義という波に取り込まれている。
だからこそ、「どちらが幸せか」と問う前に、「どちらに自分の正義を見いだすのか」が試されている。

キャンセル文化を超えて、AI時代を前にして、求められているのは盲目的な“正しさ”ではない。
それは、「絶対に許さない」と「それでも許す」のあいだを、自分の足で歩き続けること。
「文化戦争は終わった。
私たちは、“より戻し”のない未来を生きている。ただ先へ進むだけだ。」

※田中宗一郎さんと宇野維正さんの来阪トークイベントの配信チケットの購入受付期間は2025年5月10日まで。GWのお供に。5時間30分2025年を生き抜く為に大事な話ししかしておりません。思いっきり笑って思いっきり怒って思いっきり考えて生きましょう。(さん付けは大事)



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