神秘の熊本旅行★弊立神宮編★
先日、熊本旅行に行ってきたローサです。
トップの写真は九重連山国立公園です。
短い日程ながら、強烈に密度の濃い旅行でした。知人に会いに行くのが目的で、初日は九重連山に寄り知人宅に行き、2日目は神社巡りの旅になりました。
さて、その2日目のお話。
結果として2日間で5社とパワースポット1ヶ所に行くことが出来たのですが、その最初の一つが弊立神宮。

九州は神話の魅力が多すぎて行きたいところが山盛り。行きたいところと行けるところを選別するのが大変。
日程が近づいても、知人宅と九重連山以外はなかなか決まらずにいた旅の1週間前。
いつものように朝、起きた時の事です。
起きあがった時すぐから、頭のなかに
「へいたて……へいたて……」と響き始めたのです。
でも全然、寝ぼけていて「…へいたて…?」みたいに反応できずにいたら、次は映像が。
立派な垂のようなもの。神様のお鏡の前にしっかりと棒に飾っているあれです。
たぶん御幣と思う。
私は拝殿外から見ているようで、拝殿の欄干のような手すり越しに大きな御幣?とそれ以上に大きな鏡がぼや〜と見えてました。
しかしまだぜーんぜん寝ぼけていて
「……あぁ…へいたて……って神社にそんなんあったか……?」
とこんな調子で頭がクリアになるまでしばらく「へいたて……」と繰り返されて、やっと起きた頭で
「弊立神宮って、なんかそんなんあったなぁ」
となったのです。
朝ごはんでも食べるかとなった頃
「んで、弊立神宮ってどこにあんのかな?」
と調べると
なんと熊本県!!
えええええ…
そりゃ行かなにゃならん
という事で、2日目一番に詣でたのでした。

楽しみにしていた弊立神宮に着き、鳥居をくぐる前に撮影タイム。パシャパシャとたのしく撮影をして鳥居をくぐりました。

たった一歩鳥居の内側に入った瞬間に、体中が震え突き刺すような御神気に包まれました。
なんかね、語彙がこれしかなくて不本意なのですが「震えて突き刺さる」なんだけど、良い意味なんです。
この参拝の間中、最後まで霧雨が降っていました。立ち込める白霧は、御神気が可視化されたものとしか思えなかった。
おっそろしく清いのですよ
ほんとに清すぎてビビったのですよ
普段の自分の次元の低さをしっかり認識しました。
それで弊立神宮ではこの写真が最後です。
別に撮影の制限は一切されていなかったし、撮ってる人は全然いたのですが。
「撮れない」のです
畏れに包まれ
カメラを向けるなど無理
撮影という行為の不遜さを
感じてしまったのです
でも、これは現代人にとってのサガ、常にやっちまう「撮影の呪縛」から解かれ、のびのびと参拝できる時間を下さったと捉えるべきでしょうね。
いや、絶対そうだ。
すごい御神気にも程なく慣れ、畏れは穏やかな畏怖の念に変わり、それはもう素晴らしい参拝になりました。
拝殿前についた途端にご祈祷も始まり
至福の時間でした
こまごまと感動や出来事はあるのですが、そんな事よりも凄いのは、ここにいると「ありがたい」とか「来れて良かった」としか思わなくなるということ。
凄い神社と聞きつけて、俗にまみれた祈願を懐に隠し持って来ていたけれど、そんな事はどうでもよくなる。
一応、「動物たちとの通訳を生涯やりたいのです、私頑張ります」と言うだけは言ってみましたが、それが精一杯。
守って下さいとお願いするとか、はたまたなぜお呼び下さったのか知りたいと聞くとかが、もはやどうでもよくなった。
そんなこと。
それらは「そんなこと」なんですね。
ただ、ただ、自分がここにいるという恵みと喜び。それだけに包まれました。
しいて祈願といえば
「必ずまた来れますように」と。
それはお願いしてきました。
凄い神社でしたが、文面の通り「凄い」の連発だけです。 なぜなら、三次元的な事象や出来事による感動でなく、もっと高い何かを「感じられた」感動だったから。
弊立神宮、お参りの候補に上がっている方はぜひ行ってみてくださいね。
そうそう追記で。
素晴らしい神社に後ろ髪を引かれつつ、一歩鳥居をでたら、
この世はもんのすごくぬるかった
重くてぬるかった
仲間たちみんなで感じたくらいの落差。
淋しげにこの世は不快やなぁといいながら弊立神宮をあとにしました。
ま、そのぬるさにすぐに馴染むんですがね。私達w
